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夢はひとりみるものじゃない  作者: 小林汐希・菜須よつ葉
35/71

35話

 パジャマに着替えて、一緒の布団に入る。

 初日を含めればもう3日目にもなる。


「今日は冷えるな。確かに天気が悪かったし……。風邪をひいたりしないようにな」

「うん……。今夜は雪が降るかもって天気予報言ってたよ」


 よつ葉が体を寄せてくる。最初の夜にはこのシチュエーションにどう対応していいのか困ったこともあったけれど、もうすっかり昔と同じように当たり前になっていることに驚いている自分がいる。


「パパ、今夜は甘えちゃうけど……。それでもいい……?」


 そうだったよな。昔からこの子は幼稚園や小学校であったことをこうやって布団の中で話してくれたっけ。


 胸元に顔を埋めてくる。自分の顔の前によつ葉の頭が来ている。

 自分と同じシャンプーを使っているはずなのに、この子が使うと、ちゃんと女性用のそれなりのものを使っているように感じてしまうから、人間の感覚なんていい加減……いや、不思議なものだ。


 その髪の毛をそっと撫でてやる。


 よつ葉が俺のパジャマをぎゅっと握ったのが分かる。


「ごめん、嫌だったか……?」

「ううん……。違うの。そんなことをしてもらったら、よつ葉……、こらえきれなくなっちゃう……」


「いいんだぞ。今夜はクリスマスなんだから。よつ葉がやりたいと思うこと、溜め込んでいるもの、楽になるならみんな吐き出してしまいなさい」


 抱き締める腕に力を入れる。


 最初は鼻をすする程度だったものが、少しずつ嗚咽に変わっていく。


 ここは声をかけるところじゃない。 自分の心のなかで解毒していくしか乗り越えられない。


 頭を撫で続けているうちに、嗚咽から声をあげての感情放出に変わっていった。


 よつ葉の心が、『これでいい』と思うまでやめさせるつもりはない。

 これまでに聞いてきたことだけでも、自分ですら耐えられるだろうかという経験をしてきている。


 それが、学校や実習の場面だけならいい。家庭環境でそれを支えてもらえなかった中で、ここまで育ってきたのは、この子の実力なのだから、そこは素直に認めてやりたい。


 この3日間を一緒に過ごしてきて、もちろん娘として甘えることは当然として、看護記録をつけたり、食事のバランスや服薬の時間管理などは、それこそ入院中と変わることはなかった。


「ぱぱぁ……」

「うん?」


 少しずつ落ち着きを取り戻してきたよつ葉が顔をあげる。


「恥ずかしい……」

「どうして? 泣いてる娘を抱きしめていて何が恥ずかしい? ここは外じゃないんだから」


「ありがとう……」


 よつ葉はぽつりぽつりと話し始める。

 その内容は、いつだったか進路相談のあとに担当の教授から言われいていたものとほぼ同じだった、


 よつ葉にとって、転機が訪れたのは高校3年生になったときだという。


 それまでにも学校でのいじめなどがあった。それは成績のことだったこともあり、勉強は裏切らないからと黙々と勉強に打ち込んだ。

 その頑張りもあり、高校も県内でも有数の高校に進学していた。


 そして、大学への進路を決めるときになって、初めて母と娘での意見が食い違った。

 看護師への道を進みたいよつ葉と、指針と同じである教師への道を進めたい母親との間で意見が対立した。


 その後は、家の中でも存在を無視されてしまうような扱いを受けたり、正直俺が聞けば虐待と思われることもされてきた。


 寝る間も惜しんでの猛勉強の結果、県内でもトップの国立大の看護学部に堂々の入学を果たした。


 それでも、教職への道を進まなかった娘を家から追い出した。それからよつ葉の一人暮らし、そして看護師を目指す孤独な戦いが始まった。


「前にも言ったよね……。もう戻るところもないって。引っ越しで持ってきていなかった荷物は、全部捨てられていた。もうだからよつ葉があの家に戻ることはないから……」

「無理して戻ることはない。よつ葉が今一人暮らしで安心できる部屋があるなら、それが一番いい」

「うん……。お金大変だけどね……」


 奨学金は、アルバイトをしてしまうと返済額が上がってしまうから、ひたすら食費や服飾費を削って学費に充てていたこと。


「あとね……。あの人に言われた……。あんたなんか産むんじゃなかったって……」

「なんてことを……!」


 あの母親からすれば、確かに自分の望んだ進路に進まなかった。それでも看護師というのは世間一般から見ても十分に親が鼻を高くしていられる職業ではないか。

 そうであっても、十分に応援するに価する進路を自分だけの力で勝ち取った娘に、なんという暴言を……。


「よつ葉……、頑張ってめげずにここまできてくれたな」

「ぱぱぁ……」

「もう、単位は全部取りおわったんだろう?」

「うん。あとは試験だけ……」


 そう、いま病院で延長していることは、俺のためなのだから。本当なら図書館や家で試験勉強をしていていい時期に入ってるはずなのだから。


「そうか、わかった。河西さんとも少し話してみるよ……」


 再び力を入れてよつ葉を抱き締める。

 今日は疲れたが楽しかった。

 よつ葉も自分も本当にしたかったこと。

 こうして抱き締めていることも同じなのだから。


 よつ葉が寝息に変わったのを確めて、俺も意識を手放した。




 翌朝、目を覚ますと、この数日と同じようによつ葉が朝食の準備をしていてくれた。


「パパ、おはよう!」

「おはよう。元気そうだな?」


 本当なら今日の午後には病院に帰る必要があるのだから、こんなに明るい表情というのは、無理に笑顔を作っているのだろうか?


「ねぇねぇ、外を見て?」

「うん?」


 カーテンを開けてみて驚いた。

 確かに、昨日から今朝にかけての天候はよくなかったはず。

 静かで寒いわけだ。外はすっかり銀世界だったのだから。


 よつ葉が用意してくれた朝食を食べて、ゴミだしや部屋の片付けを済ませる。


「よつ葉……、頼みがあるんだけど……」

「なぁに?」


 戸棚の奥においてあった封筒を取り出した。


「これ、よつ葉に預ける。なにかと役に立つだろうから。父娘だ、渡しておいて問題はないだろう」


 この部屋の鍵。以前複製しておいたものだ。いつかはよつ葉に渡そうと準備していたものだ。


「パパ……。預かるよ……」


 自分のバックの中から鍵のついたキーホルダーを取り出して、その場で取り付けてくれた。


 すっかり片付けも終わり、あとは出るまでとなったとき、ふと、窓の外の児童公園が目に入った。

 窓の外、もう雪は降っていない。


「よつ葉、まだ時間平気か?」

「うん」


 二人でその児童公園に向かう。まだ誰も来ていない公園。


「やった、まだ誰も足あとつけてない!」


 ショートブーツであることをいいことに、真っ白な地面に足あとをつけていく。


「転ぶなよ?!」

「うん!」


 ベンチ上に雪うさぎを作ってみたり、年甲斐もなく軽く雪合戦をしてみたり。

 まだよつ葉が幼かった頃には普通にやっていたこと。


 気がついてみれば、手袋もしていなかったから、二人とも手が真っ赤になっている。


「このまま帰ったら、河西さんに怒られるな?」


 一度部屋に戻り、ヒーターで手を暖める。

 何も悪いことをしてあるわけではないのに、顔を見合わせては思わず笑ってしまった。


「よし、行くか……」

「パパ、お願い……。あと5分だけ……」


 ギュっと抱きついてきたよつ葉をコートの上から抱き締めてやる。

 病院に戻ってしまっては、これも出来なくなってしまうから。


 外に出ると、道路に積雪はほとんどなくなっていた。


 先によつ葉の部屋に荷物を置き、そこから病院に戻ることになった。




「戻りました」


 3日ぶりのナースステーションに顔を出す。

 河西さんにがすぐに出てきてくれた。


「もぉ、こんなに早くなくても大丈夫だったのに。菜須さんも息抜きできた

?」

「はい。お世話になりました」



 河西さんは自分の病室に誰も入らないように鍵をかけてくれていたらしい。

 三人で3日ぶりの病室に「戻ってきた」ような不思議な気がした。本当はさっきまでの部屋が自分の居場所であるはずなのに……。



「今日まではお休みだから、ここでゆっくりしてもいいし、帰宅しても構わないわ。明日から、また制服で来てちょうだいね。あ、そうそう、看護記録持ってきてくれた?」

「あ、はい。こちらです」


 河西さんがよつ葉から看護記録を受け取ってざっと中身を改める。


「うん、記入漏れもないわね。このまま今夜の夜勤ナースに引き継ぐから、もう大丈夫よ。訪問看護お疲れさま」


 河西さんが扉を閉めて出ていく。


「よつ葉も、このあとは好きにしていいぞ? 部屋の荷物整理もあるだろうし、布団1枚で寝てたんだ。少しはゆっくりしたいだろう」


「そんなことはないけど……、パパの方もゆっくり休んで?」


 本当ならもっとゆっくりとでもいいたいのだけど、日が傾いてきて気温が下がれば、道の凍結もある。暗い凍結道を一人で歩かせるわけにはいかない。


「パパ、明日からまた実習生で来るね」

「この部屋ではあんまり気にしないでいればいい」

「うん、わかった。ありがとう……いろいろと」

「こっちこそ。楽しい時間だったよ」


 なかなかお互いに離れがたい。そりゃそうだ。せっかく昔の感覚を少しずつ思い出せるようになったのに、そこで時間切れになってしまったのだから。


「また退院すればいくらでも時間は作れる。それまでもう少し。よつ葉も試験に向けて年明けから忙しくなるだろう?」


 そう、いつまこの延長実習を続けるか。それも河西さんとも相談しなければならないし。


「明日の実習服取りに帰ることにするね」


 そう言ってよつ葉が病室をあとにしたのは、太陽が地面に溶け込もうとしている夕暮れのことだった。


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