29話
どうやら天気予報によると、明日に控えた今年のクリスマスはあまり天気がよろしくなさそうだ。
目覚めてみると、よつ葉は隣にはいなかった。
でも家の中にはいることが分かる。なぜか。部屋の中に味噌汁の匂いがしているからだ。
「よつ葉、おはよう。朝からやってもらっちゃって悪いな」
「パパおはよう。本当にあるものだけで在り合わせだけど許してね」
全く、何時に起きたのだろう。
洗濯物がすでに浴室に干されているし、ご飯が炊けていて……。確かに急な外泊になったので、よつ葉の部屋に寄ったときに、悪くなってしまいそうな野菜など少しの食料品を持っては来ていた。それに加えて保存食になっていた乾物、レトルト食品や缶詰などを使って朝食まで作り上げてしまうなんて……。
「よつ葉……」
「パパ、よつ葉がやりたかったことなんだからいいの。ちゃんと夢かなっちゃったよ?」
昨夜見たように、普段は深夜まで勉強をして、そのうえで家事までこなしている。あのあとどのくらいまで起きていたのかは分からないけれど、俺よりもよつ葉の方がよほど出来ているじゃないか。
昨日の夜、この部屋で初めてふたりきりの食卓を経験したはずなのに、今朝はそれを感じさせない自然な光景。
これがきっと、他の人ではうまく行かない。
やはりよつ葉という血が繋がっている存在だということも非常に大きいだろう。
「ごちそうさまぁ。片付けちゃうね」
「よつ葉、お皿の片付けはやっておくから、外出の用意を始めてくれるか? 着替えとかお化粧とかもあるだろう?」
よつ葉が朝早くから頑張ってくれた。そのくらいなら自分でもできる。
「お願いしちゃうね?」
昨日買った服のタグを切り、嬉しそうに並べていく。
「パパ、ちょっとこっちから目をそらしててね? ちょっと刺激強いかも? それともガッカリするかなぁ?」
パジャマのボタンに手をかけながら、いたずらっ子のように笑うよつ葉。
そうだよな。先日の病室のこともそうだ。あの頃の幼少時代とは違う。
もう成人した年頃の女性なんだ。
そこは娘とはいえきちんと尊重してやらなくてはならない。
幸いこの部屋の間取りは2DK。「自分の着替えを取りに行く」と、よつ葉の視線から自分を外してやる。
「パパ、ごめんね。ありがとう」
襖の反対側からよつ葉の声が聞こえた。
「謝ることじゃない。当たり前のことだよ」
自分の着替えを、その間に済ませる。
「パパ、終わったよ。ありがとう」
よつ葉の声に、襖を開ける。
昨日買った服に着替えてくれて、ナチュラルメイクも済ませてある。あのマフラーもきちんと用意されていて、暖かそうだ。
「よつ葉……」
「なぁにパパ、なにかよつ葉についてる?」
服装の色を少し変えるだけでここまで変わるのか。
髪型も病院の実習の時はまとめあげているのを、自然に肩まで下ろしている。
若々しくて、少女から女性へ階段を上ったばかりのような可愛らしさも残る初々しさ。
自分の娘だということが分かっていても思わず見とれてしまう。
本当にこの子は自分の血を引いた娘なのだろうか……。
「よつ葉……、きれいだ……」
「もぉ、パパ? お世辞は抜きだよぉ?」
お世辞なんかじゃなくて、贔屓目なしに見てもよつ葉は美人だと思う。
こんな可愛い子を隣にして歩くんだから、自分も頑張らなくちゃならない。
「よしよつ葉、出るぞ?」
「うん!」
服と同じく昨日買ったブーツに足を入れたのを確認して、よつ葉と再び電車に揺られて、駅から降り立つこと数分。
よつ葉とふたりで到着したのは、郊外にあるキャラクターがいっぱいのテーマパーク。
ここにしようと決めていたのは、実はかなり前からのこと。
この計画を思い付いたときに、遊園地にも行ったことないという会話をしながら、どこにしようか迷っていた。冬場だから寒いところではお互いに体調を崩しかねない。
そこで、屋内型のテーマパークをいくつかピックアップした。
そのときに、ふとよつ葉の実習服の胸ポケットにいつも刺さっているペンに気づいた。
歳を重ねてもやはり可愛いキャラクターが好きというのは変わらないようだから、絶叫アトラクションがあるところよりも、キャラクターと一緒に写真が撮れたり、キャラクターショーなどを中心とした場所にしようと決めていた。
「よつ葉はここ来たことないだろう?」
「もちろん。遊園地だなんてもういつ以来の話だろう……」
入場パスポートを買ってしまえば、一部のものを除いてアトラクションも自由に入れる。
「パパ、もぅ、こういうことは先に言ってもらわなくちゃ」
やはりいくつになっても女の子なんだなと思う。
目を輝かせながらボートライドのアトラクションに並んで「可愛い」を連発しているよつ葉を見ていると、連れてきてよかったと思う。
きっとよつ葉だけでは、実習や春の国家試験のことがいっぱいで、遊びに行くという発想自体がなかったかもしれない。
「ねぇ、パパ、あのうさぎさん懐かしい!」
「よつ葉が小さい頃からいるよなぁ」
「うんうん!」
まだよつ葉が幼稚園の頃だったか。今でもそうだけど、この子はキャラクター自体は変わっても代々うさぎのモチーフが好きなことは変わらないようで、よく揃えてあげたのを思い出す。
そのあとも、ショーやパレードを一緒に見たり、乗車中に撮られた写真を買ったり、よつ葉の持っているスマホで、キャラクターと一緒に写真を撮ったり過ごした。
「パパ……、体は大丈夫?」
昼食に、よつ葉の好きなキャラクターの飾りをつけたパスタを食べながら、この瞬間だけは看護の顔に戻る。
「よつ葉こそ、慣れないことして大丈夫か?」
「うん、だってパパと一緒。こんなに楽しく笑ったの、前はいつだったんだろう……」
表情からして全く悪気はない。
しかし、それだけ長い期間よつ葉たちを苦しめてしまったのかと思うと、もう少し別の手はなかったのかと自責の念を感じてしまう。
「パパ、よつ葉もお姉ちゃんもパパのこと責めたりしてない。仕方ないことだったんだよ。そうでなきゃ今こうしてパパと一緒にデートなんか出来てないよ?」
「よつ葉……」
「おしゃれもして、一緒に手を繋いで外出して、一緒にごはんも食べて。そして、とても楽しい……。これって立派なデートだよね。パパはよつ葉に初めてのデートをプレゼントしてくれてるの」
よつ葉の瞳が潤んでいる。この子は看護上やむを得ないもの以外、プライベートでの嘘はつけない。それはよつ葉と病室で過ごしてきた時間でよく分かっている。
「朝にお着替えをしたあとにね、どんなお化粧をしたら大人のパパとお似合いになるんだろうって、一生懸命考えた。ドキドキしながら普段とちょっとだけメイクを変えてみた。逆に普段より幼くなったかもって思ったよ。パパはそんなよつ葉のこときれいだって言ってくれた。よつ葉、朝から嬉し泣きずっと堪えてた……」
よつ葉の頬に一筋の線ができる。
「ほら、よつ葉。せっかくの顔が台無しになっちゃうぞ? 俺だってこんな可愛い子隣に歩いて、どう見られるんだろうと思った。父娘なんだから当然なんだよな。病院じゃ見られないよつ葉の顔が見れてよかったよ」
「うん、だから……、よつ葉の初めてのデートのお相手はパパで決まりなの」
そのあとの時間、ふたりでクレーンゲームをしたり、よつ葉が使う小物や文房具を好きな絵柄で買い揃えて、学校のゼミのメンバーへのお土産も買ってから、最後にクリスマスのステージを並んで見た。
「ぱぱぁ……」
見終わったあとに、一番近い化粧室に駆け込んだよつ葉。
メイクを直しているのだと分かっていたけれど、そこは何も言わずにいた。
「ただいまぁ」
「おかえり。よつ葉が疲れないようにそろそろ上がろうか」
「それは、パパが疲れたってことじゃないの?」
「それがなぁ……」
不思議だ。よつ葉と一緒にいると本当に自分の体のどこにこれだけの体力があったのだろうと思える。
もともと屋内施設だから、寒さによる消耗はないにしても、きっとよつ葉がさりげなく買い物や飲食、トイレ休憩などを挟んでくれたことでここまで疲れ知らずに来たのだと思う。
「パパ、よつ葉は思いっきり楽しめた。だから、お礼がしたいの……」
電車での帰り道、よつ葉は俺の腕を掴んだ。こう言うときは何かせがむ時だということも分かってきた。
「明日ね、あんまりお天気がよくないって言ってたから、よつ葉がおうちでお料理作ってお祝いしようって思ってたの。あと、今夜のお夕飯のことも考えなくちゃ。帰りにスーパー寄っていい?」
もちろんそれに異論はない。明後日の朝は可燃ごみの日だから、出たものをみんな処分していける。
二人で食料品売り場でカートを押す。こんなことも二度とできないと思っていた。
「よつ葉、今日の夕飯は俺が作るよ」
「えっ? でもパパが……」
「よつ葉がいればこれだけ元気でいられる。逆に、明日はみんなよつ葉に任せるから」
「うん、任されたよー」
二日分のメニューを考えながら、ふたりでカートに入れていく。
「よつ葉……。夜更かしは体に毒だ。夕飯を作っている間に看護記録書いてしまいなさい。それに、試験の参考書も持ってきたんだろ? それをやってなさい」
「ぱぱぁ……」
家に戻り、明日の食材を冷蔵庫にしまい、夕食分で使う分を並べておく。
「今日はサーモンのムニエルにするから、少し待っててくれな? ご飯炊いてすぐに作るから」
「うん……。じゃあ、それも記録に書いておくね」
よつ葉が記録簿に記入を始めた。
「パパ、いくら一時退院でも、今日のこと全部書いたら怒られちゃうかなぁ?」
「そこは……、そうだなぁ、適当にはしょっておけ……。真実はよつ葉とパパの秘密だ」
「パパ悪いんだぁ!」
「そういうのを必要悪って言えるかなぁ……。河西さんにはナイショだぞ?」
昨日と同じくお皿やお椀がふたつずつ。
この風景がいつまでも続けばいいのに……。
贅沢な願いだとは思いつつ、そんなことを思わずにはいられない夕げの支度だった。




