25話
買い物から帰ってきて、荷物を床に下ろすと、思わず二人で顔を見合わせて笑った。
「よく買ったなぁ」
「本当に大丈夫だったの? みんなよつ葉のものばっかりなのに」
もちろんだと答える。どうせ自分はこの時間が終われば病院という閉じられた世界に戻る。
そこでは特に新しく必要なものもない。
「これ、病院に戻るときに持っていけないね。帰りによつ葉のお部屋に置いておかなくちゃ」
確かにここから病院に直行したとき、これだけの荷物をいきなり運び込むわけにはいかない。
「そうだよつ葉、明日は1日遊びに行くつもりだから、それ着てみたらどうだ?」
「えっ? いいの?」
「せっかく買ったんだ。好きなものを着ていきなさい」
「うん!」
そして、時計を見上げた。
「もう、こんな時間か。外に食べにいくのも面倒だな。出前頼もう。よつ葉はなにか食べられないものあるか?」
「ううん、特にはないよ?」
「そうか」
俺は、引き出しの中にしまってあったファイルをいくつか見比べた。
そして、お店にデリバリーをお願いした。
「飲み物も大したものないけど、許してくれな? お茶、温かいのと冷たいのどっちがいい?」
「じゃぁ、温かいのがいい」
「分かった。お湯沸かすから待ってろ?」
数ヵ月ぶりにやかんでお湯を沸かす。
お茶のパックはストックしてあったはずと探しているうちに玄関のチャイムが鳴った。
「ありがとうございます。明日の朝、洗って出しておきますから」
代金を払って、一度キッチンカウンターに置く。
一緒につけてくれたお吸い物と、お茶にお湯を注ぐ。
「よつ葉、運ぶの手伝ってもらえないか?」
「うん!」
よつ葉がカウンターに用意されているものをみて、息を飲んだのがわかった。
「どうした? いつか一緒に食べようと楽しみにしてたんだ」
昔ながらのすし桶に入っているお寿司。今は回収不要な容器で配達することもあるし、今回注文したときにもどちらがいいか聞かれた。
回収の手間をかけて申し訳ないけれどと、桶をお願いしたら、快く応じてくれた。
小皿にお醤油、これまで一人分しか並んだことがないテーブルの上に、二人ぶんのお箸が置かれた。
お吸い物とお茶を並べて用意完了。
「よつ葉、ありがとうな」
「パパ、どうして? よつ葉何もしてないよ?」
よつ葉は気づいていないのだろうか。この子の存在が自分の存在意義になっているということを。
毎日回診で病室を訪れてくれる。病院では当たり前の繰り返し。体温を測って、看護記録に書き込んで、次の患者さんのところに出ていく。この時間が毎日待ち遠しいし、次の患者さんのために部屋を出ていくときは正直寂しさすら感じる。
あたり前のことなのだ。看護学生ということで、まだ医療行為はできないけれど、俺の検査や点滴、先生との診察のときには必ず一緒にいてくれる。実習中という特権をフルに使って、どの診療科でもついてきてくれている。
もちろん、それを可能にしてくれているのは、指導看護師である島さんと、看護師長の河西さんの力があってのこと。
「よつ葉がいてくれるから、パパは自分を治そうという気持ちになった。これはよつ葉の立派な看護実績だ。河西さんもちゃんとそこを評価してくれている。だから4日間もの時間をくれたんだ」
「パパ……」
「よつ葉、もうここに十分な実績を作っている。立派な看護師になるんだよ?」
「うん……。ありがとぉ…ぱぱぁ……」
泣かすために言ったわけではない。今日の買い物も含めて、この子はもっと素直になっていい。もっと甘えることを覚えていい。
「美味しそう……。よつ葉お寿司なんていつ食べたんだろう……」
「お腹いっぱい食べていいんだからね」
そう、二人しかいないところを三人前頼んだ。よつ葉にお腹いっぱい食べてもらえばいい。
「パパ、おなかいっぱぁい」
やはり若いし、食事だって満足に取れていなかったのだろう。たっぷり二人前は平らげたよつ葉。
「でも、ちょっとはしたなかったかなぁ」
「大丈夫だ。お腹いっぱい食べて、いい顔してるぞ」
「もぉやだぁ、恥ずかしい……」
今日1日だけでも、よつ葉はこれまで病院内では見せない顔をしていた。笑ったり涙ぐんだり。
話もたくさんしてくれるようになった。病棟の中では泣かないとか、看護記録をまとめ上げるために就寝が明け方近くになっても、いつもの時間には起床して、笑顔で実習に入らなければならないとか。
正直、他の患者さんには絶対に話してはいけないことなのだろう。
「よつ葉、疲れたらあの部屋においで。少しくらいなら目をつぶっていけるだろう?」
「もぉ、実習服を着ているときは、よつ葉は見られているんだから、さすがにそういう事はできないよ」
「そうか。それなら実習服を脱いでしまえばいいわけだろ? 実習時間が終わったら、見舞いに来てくれた家族としてあの部屋で勉強していけばいいじゃないか。フードコートでやるよりも静かで温かいだろう」
どうせ自分は個室なのだから、よつ葉一人が勉強をしている間はおとなしくしていればいいだけの話だ。
「うん。パパがいいなら、それも使わせてもらうかもしれない」
食後のお風呂には先に入ってもらった。そして、次に自分が入って背中を洗おうとしたときだ。背後の扉が開いた。
「よつ葉?」
「うん。ちょっと、恥ずかしいけど……。パパの背中……洗ってもいい?」
「よつ葉……頼むよ」
「うん、わかった」
タオルにボディソープを付けて、背中を擦ってくれる。濡れてしまわないかと心配になって、振り向いてみると、一度着ていたパジャマは脱いでしまって、バスタオルを巻き付けている。これなら濡れてしまってもすぐに洗濯機にタオルを入れればいいだけだ。
最初は恐る恐るだったけれど、よつ葉が少しずつ力を入れてくれるようになった。
「無理してないか?」
「ううん。ごめんね……、上手じゃないでしょ?」
「いや、気持ちいいから続けてくれないか」
一通り、上から下までタオルで丁寧にこすり終わって、シャワーで洗い流してくれる。
「パパ、ここにいてもいい?」
「いいけど、風邪を引かないように着替えておいで?」
「はぁい」
扉が閉まっている間に、髪の毛を洗ってから、バスタブに入った。
「パパ、開けても平気?」
「大丈夫だよ」
よつ葉が再び浴室の扉を開けた。
「満足できたか?」
「うん。なんてことないことだったのにね……。ねぇパパ……?」
「なんだ?」
よつ葉の顔が少し赤くなっている。
「あのね……、パパさえよければ……なんだけどね……、明日から一緒にお風呂に入ってもいい?」
そうか……。買い物だけでなく、そういうことも満足に満たせてやれなかったよな。
恥ずかしそうな顔のよつ葉に、そっと首を縦に振った。
「よつ葉がそうしたいと言うなら、パパは構わないよ」
「うん。じゃぁ、明日からそうするね」
「そうだよつ葉!」
「うん?」
そうだ。夜までに聞かなければならない重要なことを聞き忘れていた。
「この家にはお客さんを想定していなかったから、布団が1セットしかない。このあとに買ってくることもできるけど、よつ葉はどうしたい?」
ところが、逆にそちらの答えはすでによつ葉は用意してあったようだ。
「パパと一緒に寝るから、お布団は一組でいいの」
「そっか。じゃぁ、敷いておいてくれるか?」
「うん。先に入って温めておくね」
にっこり笑ったよつ葉は、病院での看護学生という顔ではなく、昔見ていた幼い頃の甘えんぼうだった女の子のそれに見えた。




