21話
翌朝、まだ暗いうちに、河西さんが約束通りにそっと起こしに来てくれた。
「おはようございます。支度が終わったらナースコール押してくださいね。正面玄関は閉まっていますから、夜間口まで案内します」
前日と同じ、よつ葉の着替えを待って、自分も外出の用意をする。
「準備いいか?」
「うん、パパは大丈夫?」
うなずいてナースコールを押すと、河西さんがすぐに来てくれた。
「菜須さん、これ、小林さんの記録簿とお薬。大丈夫だと思うけど、お願いね」
預かったファイルを鞄の中に入れたのを確認して、3人で病室を出た。
そして、一般のエレベーターではなく、手術室フロアにも停まる業務用に乗って夜間口がある1階まで降りていく。
「なんか、雰囲気的に病院を脱走しているみたいだなぁ?」
「本当に脱走だったら全力で止めますよ。これは菜須さんにとってもいい経験になるでしょう。在宅看護の実習ですからね。お二人ならきちんと戻ってくること分かってますから」
夜間口を通るときに緊張もしたけれど、河西さんが手続きしてくれて、タクシーも呼んでいてくれたことに驚いた。
「菜須さん、小林さんを4日間お願いします。そして、あなたも元気になって戻ってきてね」
「はい。ありがとうございます」
タクシーを出してもらい、まずはよつ葉の部屋に向かうことにした。
昨日の騒ぎ、本当はシャワーを浴びるはずだったよつ葉が、着替えたあとにすぐ寝てしまったからだ。湿布は貼り替えたけれど、年頃の女の子なのだから、さっぱりさせて、着替えだってしたいに違いない。
よつ葉の部屋は、学生向けアパートとしては鉄筋コンクリート造りのしっかりした建物だった。
「このお部屋」
ドアを開けてもらって、よつ葉に続いて部屋にあげてもらう。
「お邪魔するよ」
間取りは1Kだろう。いや、広さと言うよりも、その部屋のなかの光景になんとも言えぬものを感じた。
「よつ葉、お風呂とか、お化粧とか、見られたくないものは済ませてきちゃえ。俺はここでじっとしてるから」
「うん、分かった」
部屋の中のケースから着替えを取り出して浴室に入っていった。
その間、部屋の中のを見回してみたが、本当に落ち着ける空間だったのだろうか。
確かにコンクリート作りの壁では隣の音は聞こえないだろう。
それは集中したいときにはいいのかもしれない。
でも、逆の一言で言えば、あまりにも殺風景なんだ。
机の上には医療書が並び、テキストも各診療科ごとにずらりと並んでいる。
また、本当なら食事をしたりするリビングテーブルの上にも、ノートパソコンや開いたままのノート。付箋がいっぱい貼り付いているテキスト。
いわゆるファッション雑誌やキャラクターグッズなどがひとつはあってもいい「女の子の部屋」という匂いがしない。
じっとしていると言ったものの、よつ葉が着ていたコートに手をかける。
ずいぶん長持ちをさせたのだろう。肩や袖口にその時間を感じられる。
同じ年の大学生をテレビなどで見ると、本当に同い年かと思ってしまう。
一時期の流行りほどではないが、高校生と一目で分かるのに、ブランド品に身を包み、化粧を決めて画面の中に登場する彼女たちが紹介されたりすると、自分がよつ葉にさせてしまった苦労を見せつけられているようで、自然にチャンネルを変えるようになってしまった。
そういえば、最近は病室のテレビもニュース番組くらいしか見なくなったことに今さら気づく。
そんな状況を知っているから、舞花さんは俺がクリスマスの記事が載った雑誌を見ていたことに驚いたのだろう。
今回の企画を思い付いたときに、どうしてもやりたかったことのひとつ目……。
「パパお待たせ」
脱衣場の扉が開いて、よつ葉が出てきた。
ライトグレーのニットに、黒チェックのスカート、寒さ避けに黒い厚めのタイツという。何度かよつ葉の私服を見ているから、そのときと変わらないなと思った。
「どう? 目立たなくなってきたでしょう? それにあのもらったマフラーしていくから」
目の前に立ってくれて、上を向くと、例の痣が大分薄くはなってきているけれど、よく見ればまだ残っている。それでもお化粧でうまく隠しているから、パッと見ただけでは分からない。
これなら外出しても大丈夫だろう。
「よし、よつ葉。今夜からなんだけど、この部屋に戻るか? それとも俺の部屋に泊まるか?」
この質問の答えは最初から持っていたようだ。
「もちろん決まってる。パパのお部屋に行く!」
「そうか。それじゃぁ、着替えの用意を持って行こうか」
小さなキャリーケースに、最低限の荷物を積めた。さっき干してあった洗濯物もその荷物の中に入る。昨日からの私服と病院で使った実習服を袋にいれて持っていくという。そして、忘れないようにと、預かっている俺の薬とカルテ。
「パパのところで洗濯機使わせてね。」
「よつ葉が使いたいなら好きにしていいぞ」
よつ葉の部屋を後にして、今度は俺の部屋に向かった。
天気が良くて、歩いていける距離だと知った。
こんな近くに住んでいたんだ……。休みの日ぐらいどこかで顔を見ていたかもしれない。
一方で、あの机のうえの資料やノートの様子では、きっと休みもずっと部屋にこもったりしながら勉強をしていたのだろう。あれだけを見ても並大抵の覚悟ではなかったはず。
どうしてそこまで自分を追い詰めなければならなかったのか……。
きっと……。
いや、そういう話は、今ここですることじゃない。まだ時間は十分にあるのだから。
以前、ふたりで来た俺の部屋に、両方の荷物を置く。
「よつ葉、今日は付き合ってもらうよ?」
「うん。どこにでも行くから大丈夫。お薬だけお昼と夜の分持っていくね」
自分のかばんに俺の薬を大切にしまって、笑ってくれるよつ葉。
よし、ここからはよつ葉への恩返しをすることにしよう。
玄関の鍵を閉めて、俺たちは駅へと歩きだした。




