16話
汐希パパと中庭に散歩に行ける機会をもらえた。河西看護師長の気づかいが嬉しく思う。
汐希パパにあまり心配をかけないように明るく話しかける。
「今日は暖かいね」
「そうだなぁ。河西さんの言うとおりだ。これでもうすぐクリスマスが来るなんて思えないよ」
併設されている「小児医療センター」を見つめて、その横にある中庭を指差した。
「あの中庭って、パパの病室から見えるよね?」
「え? そうだな。もう紅葉も終わりだなんて、いつも舞花さんと話しているところだけど」
「今夜からね、あの中庭にイルミネーションがつくの。小児病棟からよく見えるから、あそこだけは欠かさないんだって」
「そうか、それなら喜ぶだろう?」
「うん。そうだね。でも……」
「でも?」
「ううん、なんでもない」
今は看護学生、ここから先は言ってはいけない。自分で自分にブレーキをかける。
「腕は大丈夫か?」
「うん、心配かけてごめんなさい」
怪我をしていない右腕でパパの手を引いて、例の中庭が見えるベンチに腰を下ろした。
「老人というのは、だんだん自分で自分がコントロールできなくなってくる。プライドが高ければ高いほど、本人はそれを感じてしまう。若いよつ葉に拒否感を持ってしまう人がいてもおかしくない。本人もまさか怪我をさせるとは思っていなかっただろうがな。俺だっていつああなってしまうか分からないよ」
「パパが、もしそうなっても、よつ葉は平気だから……」
パパは首を横に振って言葉を続けた。
「娘にまで迷惑をかけるわけにはいかない。もし、そうなったら、俺は精神病棟に入るつもりだ。自分で表に出ることもないだろう。そんな覚悟はもうできているさ。お前たちと離れて独りで暮らすことになってから……」
そう言いながら、よつ葉を見つめて
「よつ葉は最後まで泣いてたよな……」
「覚えてるの?」
「あんな幼い娘を泣かせた最低の親だと思ってたよ。いつかは迎えにいってやりたいと思っていた。でも、それは叶わない夢になってしまいそうだ」
「なんで?」
「よつ葉も、春には一人立ちができる。もう自分でいろいろと決めてきているんだ。そこに親が出る幕じゃない。それに自分もこんな体になってしまったんだ、諦めもついたよ。でも、偶然だろうが、こうやって大きくなったところを見られた。それだけでも、俺は幸せ者だ」
パパのこの言葉。でも、それじゃあんまりだよ。心が寂しさについてこれず、思わず口に出てしまった。
「そんな寂しいこと言わないで……お願い……」
「よつ葉?」
「どんなになっても、よつ葉のパパはパパひとりだけ。よつ葉をこの世に生んでくれた人だもん。だから、いられる限りは一緒にいたいよ。この病院に就職を決めたのも、偶然住んでいる町を知って……、もしかしたらって思ってた。まさか看護学生のうちから願いが叶うなんて思っていなかったけどね」
「そうか……。迷惑をかけるかもしれないが……」
「ううん、それは大丈夫だから」
わかっている。看護師になろうと決めたときから、よつ葉の帰る場所はなくなっていたこと。
そこに偶然現れた、自分をなんの疑いもせずに想ってくれる存在。
今の話ははじめて聞いた。よつ葉を引き取りにくるためにいろいろと手を尽くしていてくれたなんて、本当に知らなかった。
きっと、体がへとへとになるまで働いて、疲れきった姿で運ばれてきた。独り暮らしでなぜそこまでとこれまで思っていた。そんな理由のためだったなんて……。
だから、決めた。今度はよつ葉がパパを守る番なんだって。
日が傾きかけて、風が少しずつ冷たくなり始めた。
「病室に戻りましょう?」
「そうだな」
立ち上がって入り口に歩き始めたとき、パパに話しかけられた。
「よつ葉、すまない。明日で構わない。一瞬でいいんだけど、自宅に戻ることはできるか? タクシーで往復するだけなんだが……」
「分かりました。天野先生に聞いてみますから、待っていてくださいね」
さぁ、ここからは看護学生。自分の決めたことだけは曲げない。甘えたりしない。寄り添う看護をしたい。
病室に入って、パパが上着を脱いでいると早速天野先生と河西看護師長が入ってきてパパと会話を始めたので、一歩下がって見守っていることにする。
「小林さん、久しぶりの外はいかがでしたか?」
「ありがとうございました。気分転換にはなりました」
「それはよかった。ところで短時間ということですが、お昼は外で食べられますか?」
「よろしいんですか?」
「小林さんには特に食事制限もありませんし。お目付け役もつけますから」
天野医師が、よつ葉の肩を持ち微笑んでくれた。
「午前中の回診のときに最終的に判断しますし、菜須さんも回診の見学が終われば小林さん専属ですから」
「分かりました。ありがとうございます。……ちなみにこの子に食事をおごるのは禁止事項ですか?」
ちょっと、実習中に患者さんから何かをもらってはダメだって、パパはもちろん、ここにいるみんな知っているはず。でも、その答えにびっくりした。
「あら、親子で食事をされるのに禁止なんてありませんわ。菜須さん、実習服は脱いでいってね?」
河西看護師長……。先日の模試費用の件も黙っていてくれた。実習服を脱いでということは、その規定を逆手にとって、私服ならば実習中ではないという理由付けをするためなんだと。
「では、また明日の回診で判断させていただきますね。風邪などひかれませんように」
ふたり残された病室で、パパが苦笑している。
「あれじゃぁ……、明日は弁当作ってこなくていいからな」
「うん、分かった……、じゃなくて! 明日の回診まで風邪を引いたりしないでくださいね!?」
最後に「失礼します」と笑顔でパパの部屋を出た。




