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夢はひとりみるものじゃない  作者: 小林汐希・菜須よつ葉
15/71

15話

 この病院の正面玄関を出て、左に折れると病棟の並ぶエリアが広がる。

 大学病院ともなれば、それなりの規模であって、診療科によって病棟まるごとが分別されている場合もあるし、感染症患者を隔離する一角というのもあると聞いた。もちろん、そういった重篤なもののエリアは奥の方になるのだけれど。


 この一角に、渡り廊下で結ばれている、少しだけ離れている一棟がある。

 「小児医療センター」と名が示すように、小児科専門を扱う一角だ。


 よつ葉の進路を聞いたときに、NICUを担当したいと言っていた。

 そこは小さな命が懸命に生きようと戦っている場所でもある。俺の看護に比べれば桁違いに緊張も強いられる場でもある。そのNICUも小児医療センターの中にある。


 病気と戦う子どもたちの手助けがしたい。それがもともとの理由らしいけど、同じ子どもたちを相手にする教員ではなく、命を扱う仕事がしたいというところによつ葉なりの強い意志があるように思えた。


「今日は暖かいね」

「そうだなぁ。河西さんの言うとおりだ。これでもうすぐクリスマスが来るなんて思えないよ」


 季節外れの暖かさだというのは今朝のテレビの天気予報でも流れていた。

 病棟の中は基本的に管理されている温度に設定されているから、入院患者は気温では季節感を感じることはできない。


 ただ、今日からまた別の要素が加わるという。


「あの中庭って、パパの病室から見えるよね?」

「え? そうだな。もう紅葉も終わりだなんて、いつも舞花さんと話しているところだけど」


「今夜からね、あの中庭にイルミネーションがつくの。小児病棟からよく見えるから、あそこだけは欠かさないんだって」

「そうか、それなら喜ぶだろう?」

「うん。そうだね。でも……」

「でも?」

「ううん、なんでもない」


 これだけ深くなってきた付き合いだ。言いたいことも分かる。

 本当なら、病棟の部屋からでなく、イルミネーションが灯る街の中を一緒に過ごしたいということも。

 でも、それだけはまだ言わないようにしている。天野先生も河西看護師長もどういうアプローチで本人に告げるのかを知らないから、ここから情報をリークさせる訳にはいかない。


「腕は大丈夫か?」

「うん、心配かけてごめんなさい」


 怪我をしていない右腕で俺の手を引いてくれる。

 もちろん、表向きは私服の俺と、実習服のよつ葉なのだけど、彼女の左腕には包帯が巻かれている。

 これではどちらが病人なのか、ぱっと見た目では分からなくなってしまいそうだ。


 例の中庭が見えるベンチが空いていて、そこに腰を下ろした。


「老人というのは、だんだん自分で自分がコントロールできなくなってくる。プライドが高ければ高いほど、本人はそれを感じてしまう。若いよつ葉に拒否感を持ってしまう人がいてもおかしくない。本人もまさか怪我をさせるとは思っていなかっただろうがな。俺だっていつああなってしまうか分からないよ」

「パパが、もしそうなっても、よつ葉は平気だから……」


 俺は首を横に振った。


「娘にまで迷惑をかけるわけにはいかない。もし、そうなったら、俺は精神病棟に入るつもりだ。自分で表に出ることもないだろう。そんな覚悟はもうできているさ。お前たちと離れて独りで暮らすことになってから……」


 本当なら、子供が二人だったし、下のよつ葉だけでも引き取りたいと、最後までお願いをしていた。

 しかし、姉妹を引き離すことの方が大人の都合になると当時のカウンセラーに言われて、仕方ないと思いながら帰った日のことを覚えている。


 だから、引っ越しは俺が家を出ていくという形になった。幼稚園や学校を変えるという子どもたちの負担を増やしたくなかったからだ。


「よつ葉は最後まで泣いてたよな……」

「覚えてるの?」

「あんな幼い娘を泣かせた最低の親だと思ってたよ。いつかは迎えにいってやりたいと思っていた。でも、それは叶わない夢になってしまいそうだ」


「なんで?」


「よつ葉も、春には一人立ちができる。もう自分でいろいろと決めてきているんだ。そこに親が出る幕じゃない。それに自分もこんな体になってしまったんだ、諦めもついたよ。でも、偶然だろうが、こうやって大きくなったところを見られた。それだけでも、俺は幸せ者だ」


「そんな寂しいこと言わないで……お願い……」

「よつ葉?」


 潤んだ瞳でこちらを見上げている。この目元は幼いときと変わらない。あのときは「行かないで」という願いを叶えてやることができなかったけど……。


「どんなになっても、よつ葉のパパはパパひとりだけ。よつ葉をこの世に生んでくれた人だもん。だから、いられる限りは一緒にいたいよ。この病院に就職を決めたのも、偶然住んでいる町を知って……、もしかしたらって思ってた。まさか看護学生のうちから願いが叶うなんて思っていなかったけどね」

「そうか……。迷惑をかけるかもしれないが……」

「ううん、それは大丈夫だから」



 日が傾きかけて、風が少しずつ冷たくなり始めた。


「病室に戻りましょう?」

「そうだな」


 立ち上がって入り口に歩き始めたとき、俺は大切なことを忘れていたことに気づいた。


「よつ葉、すまない。明日で構わない。一瞬でいいんだけど、自宅に戻ることはできるか? タクシーで往復するだけなんだが……」


 いま、こうして入院をしている間、郵便物などは俺の実家に転送してもらっている。

 ただ、自分もこの年齢なので、年老いた両親に負担をかけたくないと、それを月に一度まとめて病院宛に送ってもらっている。

 医療費やら保険やらの書類も多いので、仕方のないことだ。


 ところが、今朝郵便局から連絡があり、親展の封書を誤って配達しまったと連絡があった。

 それを取りに行って確認したいのだと。


「分かりました。天野先生に聞いてみますから、待っていてくださいね」


 さすが、建物の中に入れば仕事モードだ。さっきまでの素顔とは別人のように変わる。


 病室に入って、上着を脱いでいると、早速天野先生と河西看護師長さんが入ってきた。


「小林さん、久しぶりの外はいかがでしたか?」

「ありがとうございました。気分転換にはなりました」


「それはよかった。ところで短時間ということですが、お昼は外で食べられますか?」


 これは意外な質問だった。すぐに戻ってくるというのに、時間を伸ばして構わないというのか?


「よろしいんですか?」

「小林さんには特に食事制限もありませんし。お目付け役もつけますから」


 天野先生は、よつ葉の肩を持った。


「午前中の回診のときに最終的に判断しますし、菜須さんも回診の見学が終われば小林さん専属ですから」


「分かりました。ありがとうございます。……ちなみにこの子に食事をおごるのは禁止事項ですか?」


「あら、親子で食事をされるのに禁止なんてありませんわ。菜須さん、実習服は脱いでいってね?」


 先生の隣にいた河西さんも笑っている。きっと、あの突然の模擬試験の費用のことも知っているんだろうな。本当なら金品の受け取りは当然禁止のはず。

 いくら事情があるとはいえ、この部屋のことも含めて、ずいぶんと目をつぶってもらっている。


「では、また明日の回診で判断させていただきますね。風邪などひかれませんように」


 ふたり残された病室で、夕焼けに照らされたよつ葉の顔。赤く見えるのは夕焼けなのか本当に赤くなっているのかよくわからなかったけど。


「あれじゃぁ……、明日は弁当作ってこなくていいからな」

「うん、分かった……、じゃなくて! 明日の回診まで風邪を引いたりしないでくださいね!?」


 最後に「失礼します」と部屋を出ていくよつ葉の顔は間違いなく笑顔だった。



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