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夢はひとりみるものじゃない  作者: 小林汐希・菜須よつ葉
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11話

 この日、俺は朝から落ち着かなかった。

 検温に来てくれた看護師さんにも、「少し血圧高いですけど大丈夫ですか?」なんて聞かれてしまったし。


 そうだよな。こんな進路を決めなければならない瞬間に立ち会うなんてことは、結局これまでなかったのだから。


「小林さん、見えられましたよ」

「はい、宜しくお願いします」


 河西看護師長さんに頷くと、後ろから天野先生に続いて、男性が入って来る姿が見えた。


「初めてお目にかかります。小林です」

「こちらこそ、初めまして。菜須さんのゼミを担当しております佐々木と申します。そのまま、ベッドの上で結構ですよ」


 佐々木先生も、やはり天野先生と今回の話で連携をしてくださっているという。ただし、あの秘密事項については話していないとのこと。当日に話をすれば分かってくれるとの理由でそういう流れになったそうだ。


「河西さん、菜須さんに実習服から私服に着替えてこの部屋に来るように指示してください」

「かしこまりました」


 河西さんが部屋を出ていく。


 天野先生と佐々木先生、自分の三人だけになった。


「実は、私はまだ詳しいことを知らされておりませんで、菜須さんについて重要な方とお会いできたということをこちらの天野先生からお聞きした上で今日は伺ったのですが」


「はい。いつもお世話になっております菜須よつ葉ですが、あの子はあの子がまだ幼い頃に離れることになってしまった私の実の娘です。この病院で偶然再会して、何も病院にお知らせする前から私の看護を担当してもらっていますが、本来であれば親を入れた面談が必要にも関わらず、それができなかったと耳に入りまして、私でよければと今回のご足労をお掛けしてしまった次第です」


「なるほど。人生どこに味方がいるか分からないものですね。実のお父様を実習とはいえ看護することになろうとは」


 佐々木先生が笑った。もう大丈夫だ。


「ひとつ、伺っておきたいことがあります」

「ええ、何でしょう?」

「私とよつ葉の間に、今となっては法律的な親子の繋がりはありません。法的な親といえば、あの子の母親……私の元妻になりますが、私がここで口を出すことによって、大学さんにご迷惑がかかることがないといいのですが……」


「大丈夫ですよ。もちろんご両親という方がほとんどですが、そうでない学生も少なくありません。菜須さんにとって、お父様という存在であるなら、それだけで資格は十分なのですよ」


 佐々木先生は納得した様子で、鞄の中から、よつ葉のこれまでの成績や実習の資料を取り出して見せてくれた。


「端的にいってしまえば、私がこれまでに担当してきた中でも三本の指に入るほど非常に優秀な学生さんです。しかし、お母様からは看護師という職に対してご理解を得られていない状況で、今は奨学金を使って一人でここまで来られたということです」


「はい。私たち夫婦の教育方針の違いでした。妻は教師ですから、その道に娘たちを進めたかったのでしょう。実際に上の子は教員になっていると聞きました。しかし、よつ葉には自分の好きな道を進んでほしいと願ったのですが、それがきっかけで家族が分かれてしまったのです」

「なるほど。菜須さんはお父様側に親権がつけばこんなことにはならなかったのでしょうね」

「仕方ありません、当時としては私より妻の方が職業的にも子どもたちの将来を考えて、養育するためにはより良い方をという、裁判所の判断としては致し方ないとは思っていました」


 佐々木先生が、一枚の用紙を取り出した。

 三者面談の記録。しかし彼女のものには、一部空白がある。

 そこに書かれる内容が無いからだ。


 もし、よつ葉の母親を呼び出して面談をしたところで、きっと看護師になることは反対だということを言ってしまう。それでは大学側としても判断に困ってしまうから、二者面談で済ませたということなのだろう。


 そのとき、ドアがノックされた。

「失礼します。菜須さんをお連れしました」

「ぜひ、中にお願いします」


「菜須さん、中に……」

「失礼します……。佐々木教授!」


 驚くよつ葉。そりゃそうだ。この三者面談の話も極秘に進められたという。他の学生に話が伝わってしまうと、アンフェアという声が出てしまいかねないからだ。そこの運びは河西さんに委ねることにしていた。


「菜須さん、これで形としても三者面談になります。面談室の続きをしましょう」

 病室に置かれていた丸椅子によつ葉が腰を掛ける。


「お父様にはこれまでのことをお話ししました。そして、菜須さんの事情もお伺いしました。そこで、大学としては、こちらの小林さんを菜須さんの保証人として登録し、その方との面談を行うことで、正式な三者面談として書類を製作したいと思います。それでよろしいですか?」


「はい……」


 信じられないだろう。ここで三者面談になるなんて。でも、この方法しかないのだから。


 佐々木先生から、これまでのこと、そしてこれからの予定のことについて説明が行われる。


 統合実習の延長もきちんと結果を残しており、病院側からも高評価を得ている。


 国家試験についても、模試上では十分な結果が出ている。


 あとは、本人の意思と家族や保証人の同意なのだと。


「菜須さん、このまま試験まで進まれて、合格した暁には、看護師として活躍することを貴女自身は望んでおられますか?」


「はい。私は看護師になりたくて、家を出る覚悟でここまで来ました。なりたいと思っている職業です。いえ、なりたいんです」


「分かりました。二者面談のときと変わりませんね。それでは、お父様にお伺いします。お嬢さんは今のように仰っています。医療現場というものは時として凄惨なこともあります。そういう場に、大切なお嬢さんを送り出すことを、お父様としてはどのようにお考えなのでしょうか?」


 佐々木先生がペンを持った。


「よつ葉が、看護師という職業を自分で悩み抜いて選択し、そして結果を残していること。国家試験を控えて努力している姿を、こうして実際に見ているわけです。患者としても、この子に看護し()てもらえると安心するのですよ。私には反対する理由など、どこを探しても見つかりません」


「パパ……、よつ葉は看護師になっていいの?」


 よつ葉の瞳が揺れている。反対される家の中でも、誰にも聞けなかった、究極の質問なのだろう。


「なりなさい。おまえは看護師になりたいという自分の信じた道を進みなさい。本人がなりたいことに進めること、そしてその夢に向かって応援すること。それが俺の教育方針だ。辛くなったらいつでもいい、帰っておいで。そうやってひとつずつ大人になっていくんだから」


「うん……。はい!」


 天野先生と河西さんも考えたもんだな。よつ葉の目から涙がこぼれている。実習服では泣かないと決めている彼女の本音を引き出すために、私服に着替えさせることを考えたのだろう。


「菜須さん、分かりましたよ。十分です。今のまま来年の試験に向けて準備を進めてください。大学としても、精いっぱいバックアップさせていただきます。三者面談をこれで終わりますよ。小林さん、申し訳ないですが、ご署名をいただいても宜しいでしょうか? あと、年明けに最終の面談があるのですが、それもお父様でよろしいですか?」

「ええ、もちろんです」


 俺が書類にサインをして、佐々木先生は笑顔で部屋をあとにしてくれた。


「パパ……、いいの?」

「これができるのは俺しかいないだろう?」


 そっと両手を広げると、よつ葉が胸元に飛び込んできた。

 もう十数年前になるのだろう。娘を抱き締めるなんて……。


「自分の信じた道を行きなさい。辛くても頑張れる。それに一度大人になればスタートラインはみんな一緒だ。何度でもやり直すことはできる。まずは、自分の第一希望に進みなさい」


「はい……」


 頭を撫でてやると、小さな嗚咽が漏れ聞こえてくる。


「よくここまで頑張った。もう少しだ。おまえなら胸を張って送り出せる」


「もう、みんなよつ葉を置いてきぼりにして話を進めるんだもん。いきなり「私服に着替えて」なんて、何かあったのかと思ったよ……」


 頬を膨らませて、ちょっとだけ拗ねているけれど、目は笑っている。そうだ、よつ葉の表情はそれでいい。


「ごめんな。他の学生にそんな話が漏れたら厄介なことが起きるかもしれない。河西さんに全面協力してもらった」


「看護師長にお礼を言っておかなくちゃ」

「河西さん、ちゃんと分かってるよ。だから、ウインクくらいしてやれば十分に分かるだろう」


「あぁ、パジャマ濡れちゃってる。戻ったらすぐに着替え持ってくるね」

「急ぐ必要はないぞ。それに、俺が水こぼしたくらいに言っておけよ?」

「はぁい」


 さすがに、自分の涙で入院患者の服を濡らしたなんて、絶対に言えないだろうから。


 病室をよつ葉が出ていって、また一人の空間に戻った。


 そう、ここまでやって来た子に親として出来ることは、はっぱをかけることじゃない。そっと見守ることなのだから。


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