1話
「えー、そうか、よつ葉ちゃんは本当は終わってたんだ。すっかり見慣れて馴染んでたから、そんなこと思いもしなかったけど?」
「はい。そうなんです。本当は統合実習で終わりだったのですが、実習延長申請の許可が出たのでお世話になっています」
昼下がりの入院病棟。俺は談話室でぼんやりと外を見ていた。会話はそんな後ろで行われていたもの。
もう入院生活も長くなってきたから、声を聞いただけで誰のことかは振り向くまでもなく分かるようになった。あの声はやはり入院が長くなってしまっている舞花さんだ。
入院患者にとって、冬への移り変わりになるこの季節に外に出るのはリスクも大きいから、天気のいい日は病室ではなく、この談話室に自然と集まってしまう。
今日は朝から天気がいいから、このガラス張りの部屋は暖かくて居心地もいい。
談話室は患者と家族が時間を共有できる場所であると同時に、こうして患者同士のコミュニティも生まれる場所。看護師さんたちも病室にいなければ大体ここだろうと探しに来てくれるような位置付けになっている。
でも、そんな暖かい時間は夏とは違ってすぐに終わってしまう。空が夕暮れへの準備を始める頃、みんな担当の看護師さんに付き添われたりしながら少しずつ自分の病室に戻り始める。
周りを見回すと、もうほとんど残っていない。もうすぐ彼女が俺を呼びに来るはずだ。
「小林さん、そろそろお部屋に戻りましょうか?」
「そうですね」
「立てます?」
「大丈夫ですよ」
立ち上がるときに肩を貸してくれて、隣で病室まで手を引いてくれる若い看護師の女性は、さっきの舞花さんから声をかけられていた彼女だ。でもネームプレートには病院の正式な看護師さんのものではなく、顔写真と『○○大学 菜須よつ葉』がラミネートされてつけられている。つまりまだ看護を学ぶ学生さんという立場だ。
「いつも悪いね」
「いいえ……。遅くなってごめんなさい」
そのままナースステーションの目の前にある個室のドアを開けて中に入る。
今年の夏、そして秋にかけて2回の救急搬送を経験し、検査の結果は過度の疲労による基礎体力の低下で、精神的にも不安定という診断。
仕事にも支障がでてしまうとのことで、静かに落ち着ける場所で半年間にわたる治療とリハビリの生活を送ることになった。
本当なら急を要する状態ではなくなったので、一般の複数病床室に移動してもいいものだけど、何故かまだ特別室のこの部屋を使わせてもらっている。
「この部屋を使うことに反対する人はいないの?」
「ううん。特に規定がなくて、主に担当する看護師が認めれば使用するってことだけだから」
ドアを閉めて、ベッドのところまで付き添ってもらう頃には、言葉の口調が表と変わる。
「それは、よつ葉が俺には個室じゃなきゃダメって言ってるんじゃないのか?」
「だって、複数病室に移動したらこういう会話できなくなっちゃうもの……」
やっぱり……。これでは彼女が認めているのと同じだ。
でも、この子一人の権限ではできないだろうから、担当してくれている島看護師さんになにかのお願いをしているのかもしれない。
「まだ学生の身分なんだし、あまり迷惑かけるんじゃないぞ?」
「うん。もし重い患者さんが来たらお願いするかもしれないから」
話しながらも検温を済ませて、カルテに書き込んでいる姿も、いつの間にかすっかり様になっている。
「お食事は自分で取りに行けますか?」
「大丈夫ですよ」
「分かりました。それでは失礼します」
「お疲れさま」
ドアを開けながら振り向いた彼女。言葉としては看護師のそれだったけれと、こちらを向いて外から見えない顔は家族との別れを惜しむような表情だった。
『パパ、おやすみなさい』
彼女の口が最後にそう形だけ告げて扉が閉まった。
時間になって、廊下に食事の用意ができたことが放送される。
それぞれの病室から順番に自分のお盆を取って部屋に運んでいく。
食堂という形をとっている病院もある。本当ならそちらの方が楽なのだろうけど、このシステムなら、取っていない人の確認だけでなく、食事制限などの配慮も個別で可能だし、下膳の時も看護師さんが確認することができるからだ。
「やっぱり、頼んでみるしかないよな……」
部屋のテレビをつけたけれども、あまり内容は入ってこない。
それよりも、頭の中に残っているのは、帰りがけの彼女の顔だったからだ。
本当なら、彼女の実習期間は終わっているはず。それにも関わらず残って自主実習を続けているのは、間違いなく俺の存在があるはず。
そんな彼女にはお礼をしなければならない。でも、それは形あるものではない。看護学生という身分では金品の受け取りは禁止されていると聞いていたし、彼女が喜ぶのは、そんなものではないと分かっている。
準備をする時間的にもそろそろタイムリミットが近い。
俺は翌日の回診に、とあるお願いを主治医にしようと心に決めた。