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どっしりパンのつくり方

 ばちこーん!と粉を振った台に生地を叩きつける。舞い散る白い粉。丁寧に生地に手をかけて、もう一度。

 どすーん!と良い音が響く。


「…………調理をしている音ではないのぅ」


 見ているだけの奴が横からやかましい!


 しかしそれに対して文句を言うことが今のわたしには難しい。はーはー、ぜぇぜぇと息をするので精一杯。

 なんということだ……。これほどまでに体力を消耗するとは……!

 肩で息をするわたしの目の前で、コルトゥラが細い脚を振る。


「くっ……、ま、まだまだだと……!」


 疲労困憊だと見てわかるだろうに、そこに容赦など欠片もない。鬼という単語が脳裏を埋め尽くす。だが仕方がない。覚悟が出来ていると言ったのは自分だ。


 指示されるがままに生地を叩きつけ、それを数回繰り返した後、ようやく休憩時間が訪れた。休憩と言っても、わたしではなく生地を休ませる時間だ。生地のためだろうがなんだろうがどうでもよい。わたしはテーブルに突っ伏した。

 

「うぅ……、ぜったい筋肉痛になる……」

「あのパンの作り方を知りたいなどと申すからであろう」

「薬を調合するのと大して変わらないと思っていたんです……」


 わたしは今、受付嬢にも渡したパンの作り方を教わっていた。

 一応薬師の端くれなので、レシピ通りに計測したり混ぜたりするのは得意だ。しかし実際やってみるとまた勝手が違う。

 たぶん何度か練習すれば、材料の混ぜ具合とか、生地はどの程度まで捏ねれば良いかとか判断つくようになると思うのだが…………。現時点で、何度もやりたいと思えない…………!

 

「アヤツら、己が分野においてルインに教えを請われたために張り切っておるな」


 ヴェヒターの言葉に視線だけ上げれば、張り切っているのか普段より3割増しでブンブン飛び回るコルトゥラとクフェーナがいる。


 …………今更辛いとか言えない。でも辛い。


 どっしりパンを自分で作れるようになっておくと便利だなーという思い付きで行動してしまった自分が悪いのか。


 そうこうしている間に、生地がふっくら膨らんでいた。発酵が終わったので次の段階に入る。

 ビシバシと飛んでくる指示を通訳してくれるヴェヒターの声に従い、怠い腕を動かした。


「コルトゥラとクフェーナに願えばいくらでも作ってくれるであろうに」


 指示の合間に呟かれた言葉が耳に届くが、それでは意味がない。


 何故今日なのかと問われれば、単に気分が乗ったからだとしか言えない。強いて言うなら、天気が良かったから。

 家でゴロゴロするだけではもったいない。しかし外に出る用事もなければ散歩するだけなのも生産性がない―――――よし、パン作ろう、となったのだ。


 わたしは、自分というものを良く理解している。

 この機を逃せば、次に気が向くのがいつになるかなど不明! 


 しかし、これはただの暇つぶしの行為ではないのだ。

 保存もできて味も良く栄養価も高いどっしりパン。自分で作れるようになっておけば、いずれ一人で暮らすようになってからも重宝する。

 自立に向けて一歩踏み出した自分、偉い。偉すぎる。涙が出そうだ。

 自分で自分を十二分に褒めたら少しばかりやる気が出て来た。


「次はツィトローネの花蜜漬けと、木の実の花蜜漬けが必要だぞ」


 ヴェヒターの声で、数匹の魔蜂が瓶を持って飛んできた。

 一つは、以前ツィトローネの粉末を作る際に出来た失敗作を刻んで花蜜に漬けたもので、もう一つは森で採ってきた木の実を乾燥させて花蜜で漬けたものだ。

 

 目の前にゴトリと置かれた瓶の中身の揺れ具合が大分違う。

 ツィトローネの入った方はたぷんと揺れ、木の実の方はほとんど動かない。


「違う種類の花蜜を使っているんですか?」

「いや、同じものだ。ツィトローネから出る水分が花蜜に混ざっておるのだ。どちらも乾燥させてはいるが、やはり果物と木の実では違いが出る」

「ははぁ……」


 木の実を匙で取り出すと、木の実の周りに透明な膜のようにまとわりつく花蜜。木の実自体の色も形も変わらない。

 対するツィトローネの方は、茶色っぽく変色していた。


「……腐っているわけではないですよね……」

「何を言う!!」


 ぽつんと零した疑惑に、ヴェヒターが声を荒げる。


「花蜜は殺菌効果があるのだぞ! 純度100%の花蜜を使った故に腐るなどあり得ぬ!!」


 ヴェヒターがこんなに怒るのは珍しい。

 なにこれ、魔蜂のプライドに障ってしまったのか。


「そうですか……、なんかスミマセン?」

「わかれば良い!」


 謝罪を口にすれば、ヴェヒターがムン!と胸を張った。


「その昔は死者の躯を保存するのにも使われたくらいであるからな。その辺りは心配せずに使うが良いぞ」


 脳裏に、木の実の代わりに死体が摘められた棺が描かれる。

 惜しげもなく花蜜を流し入れる魔蜂たち。花蜜が満ちるたびに余分な空気の泡がぶくぶくと浮かび、蜜に満たされた棺の中で、物言わぬ死体は腐りもせず永遠に――――――そこまで考えて、ぶるりと身体を震わせた。

 気持ち、ヴェヒターからそっと距離をとる。


「……それ、実際にやってみたとか……?」

「む? 我はやったことないぞ? ははぁ、さては我の豊富な知識に恐れ入ったのだな? むふふー。何せ我は知識の宝庫であるからして!」

「……まぁ、ある意味恐れ入りますよね」


 魔蟲とわかりあえる気がしない。

 その後どうにかパンを作ることに概ね成功した。

 焼き時間が長すぎたのか、少しばかり堅かったが初めてにしては上出来だと思う。


 残念なことに天板の奥側に置いてあった生地は焦げてしまっていた。火加減は難しい。途中で投入した薪が燃え過ぎたのだろうか。

 厨房魔蜂たちから、よくあることだと慰められた。








 四方を真っ黒な壁に囲まれたそこは、この家で唯一、魔蜂たちが入り浸らない場所でもある。


「…………」


 少し逡巡した後、わたしは黒こげの失敗作をポイッと放り込んだ。吸い込まれるように落ちていったそれは、奥底で蠢くものに絡めとられ、やがて視認できなくなった。


 失敗作を特殊軟体生物に与えてみたが、食べ物を粗末にしている気分になった。

 ぐぅっ……、なけなしの良心が疼く。場所か、場所が悪いのか……!


 何はともあれ、当初の目的は達した。いつか自立した暁にはきっと役に立つだろう。

 筋肉痛でぎくしゃくと動きながら、来たる未来へ想いを馳せる。


 でもとりあえず、トイレに失敗作放り込むのはやめておこうと思った。

 なんか罪悪感がひどいから。




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