お家に帰ろう即帰ろう
熱は下がり、あとは体力を回復するだけ。
わたしは家に帰ることにした。
もっと休んでも良いんだぞと言うダリウスに、「もう全然大丈夫です」とことさら元気に笑顔を振りました。
……本当は、もうちょっと休ませてもらおうと思っていたし、ティオーヌからも話を聞きたいと考えていた。
最初は帰ろうと訴えていたヴェヒターも、わたしの体調がよくなってくると「ルイン独り占め万歳!」と現況に不満がなくなった。
構い倒せと言われていたため、最初は仕方なくぷにぷにしていたのだが………。
この不思議触感、気づけば触れてしまう何かがある。
「くっ…!またぷにってしまった……!」
「ふははははは!!どのような姿であっても愛らしい!それが我!」
ヴェヒターのご機嫌最高潮。
………なんの問題もない、はずだったのだ。
剥いてもらったリンゴをシャクシャクしていたあの日、不意に強い視線をわたしは感じ取った。
――――――なんだ?
不思議に思って振り向いたその先は、窓の外。
そこには、窓の外からわたしを見つめる小さな魔蜂が一匹。
もしかして我が家に棲みついている子だろうかと首を傾げて見つめ返すと、黒い瞳でじっくりと室内を確認したらしき魔蜂は、ブーンと飛び去った。
「まずい!!」
ハッとしたヴェヒターがころんころんと転がる。
「ここにいることがバレた!!」
「あ、やっぱり家の子でした?小さい魔蜂はみんな同じに見えるから判断がしにくいですよね」
「少なくともこの領地内に生息する羽虫はすべからく軍門に降っておるわ。……あれはコルトゥラに報告へ行ったのだ!」
「あ。そうか。コルトゥラたち心配していますかね。さっきの子に伝言でも頼めばよかったですねぇ」
なんか急いでいたんでしょうか、と続けるわたしに、ヴェヒターは「そこではない!」と焦りを滲ませた。
「無断で家を留守にした我らが、ここにいることが露見してしまったのだぞ!」
「はぁ」
「数日留守にするくらいならばともかく、他の巣でくつろいでいたのだぞ!?」
「はぁ」
「総攻撃がくる!!」
「なんで」
ヴェヒターはきょとんとした。
なんでわからないの?とでも言いたげだが、ワタシ、間違ッテナイ。
「他に巣が無ければ元の巣に戻ってくるであろう?」
だから新たな巣は壊滅させるのだ、と続ける魔生物にくらりと眩暈がした。
なんでこいつら、ところどころ過激なの!?
「ギルドに総攻撃とか、一気に手配書の仲間入りだからね!?」
「うぅ……我だって、すぐ連絡せずルインを独り占め~♪とかやっていたことが知れれば、あの女子力で何をされることか……!!」
ぷるぷる震えるヴェヒターを抱え、急ぎ家に向かったのだった。
小さな森にぽつりと建つ家。
いつぞやの魔改造により壁も屋根も黒くなったため、最初に見たときより随分と立派に見える。
「……特に変わった様子はありませんね……」
近くの木陰に身を潜めて様子を窺ったが、特段騒がしい雰囲気は感じられない。
ヴェヒターの考えすぎだったんじゃないかという気がしてきた。
「………危険思考はヴェヒターだけか………」
「あらぬ疑いをかけられとる!?」
隠れているのもバカバカしくなったので、さっさと家に入ろうとしたそのとき、家の上部から黒い靄が飛び出てきた。
ぶぉぉぉぉぉぉぉぉぉん
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉん
一旦宙にとどまった黒い靄は、すぐに降下すると家の前に列を為す。
一糸乱れぬその様子であっという間に家の前を埋め尽くした。
そうして最後に少し大きい一匹が彼らの前に姿を現わす。
丸っこくて黒色の蜂―――――コルトゥラである。
「……………」
「……………」
思わず木陰に身を隠した。
「……なんかいつもと雰囲気が違う……!」
隠れずにはいられなかったのは本能がそうしろと訴えたのか。隣でヴェヒターの身体がぶるぶるぶるぶると波打っている。なにその新機能。
禍々しさすら感じるコルトゥラが、整列した魔蜂たちの前で何やら脚を振り回す。その姿は遠目にも演説しているようにも見えた。
「なんと残忍なっ…!」とか言ってヴェヒターは通訳してくれなかったが、それ余計気になるヤツ!
「…ちょっと行って止めてきてくださいよ」
「あれほど昂っていては我が身が危険であろう!」
「あんた同胞なんだろうがぁぁぁぁ!!」
「シーッ!ルイン、シーッ!!」
ハッと我に返り、口を抑える。
そっと窺うも、熱気に包まれた演説に夢中で誰もこちらに気づいていない。
肩から力を抜き、膝を抱えて蹲って項垂れた。
「うぅ……、わたし普通の底辺薬師なのに……。魔生物の行動を先読みするのもどうにかするのも絶対無理なのに……。どうしてこう立て続けにいろんなことが起きるの……」
「これも運命と諦めてはどうかの?」
「冗談でもそんなの認めん」
本当にこの蜂は落ち込む暇も与えないな!
「……とりあえず無事な姿を見せれば思いとどまってくれますかね?」
「一度落ち着きさえすれば交渉もできようが、大分荒ぶっとるからのぅ……。むしろ、攻撃対象に保護すべき者がいないと知れば思う存分徹底的に滅する可能性が…」
「八方塞り!!」
清貧に生きて来たのに手配書に乗っちゃうの……!
ギルドの皆さま、ごめんなさい……。そしてさようなら。ご冥福をお祈りします……!
「諦めてはならぬ」
伏せていた顔をあげれば、ぽよんとした丸い蜂が目の前にいた。
いつもとは違う真剣な風情。
静かな声とともにその姿には威厳すら漂わせているような。
「ルインよ。諦めてはそこで終わりだ。ルインであればどのような状況も打破できると、我はそう信じておる」
「ヴェヒター……」
細い脚がそっとわたしの手の甲に触れた。
わたしも、その上に反対の手のひらを乗せる。
じっとその目を見つめ返す。
「そんなこと言って、わたしを囮にして逃げる気ですね……!?」
「な、何を言う!我がそのようなことするはずなかろう!!」
ぷるぷる頭を横に振るが、ちょっと言い淀んだのが怪しい!
「騙されるかぁぁぁ!!絶対に逃がしませんからねぇぇぇ!!」
「違、違うぞ!濡れ衣だ!」
……………ぅぅぅぅぅぅぅぅ――――――――――――んん……
ヴェヒターとともにピタッと動きを止める。
………いる。
最小限に音を抑えたようだが、間違いない……!
近くに潜伏しているっ……!
だらだらと冷や汗をかきながら身動きできずにいると、突然腕の中のヴェヒターが大声をあげた。
「大丈夫か、ルイン!」
「え」
「体調不良であったものな!…ギルドで休めと言われたというに、ここまで芋虫のように這って来たルイン!巣は目前ぞ、気をしっかり持つのだ!」
ヴェヒターの黒い目と目が合った。
その瞬間、ビビッときた。
「……ヴェヒター、早くお家に帰りましょう……、きっとみんな心配して待っています……。わたしなら大丈夫。ギルドで少し休ませてもらえましたから……」
「おおそうか!とてもとてもギルドに世話になったのだったな!」
聞き耳をたてているだろう相手に、これでもかと『ギルドに助けてもらいました』と訴える。直接対決しにくい場合にうってつけ。むしろ是非とも積極的に聞いてください!!
結論から言えば、ギルド総攻撃は阻止された。
『体調不良に陥ったわたしがギルドで休んでいた』という状況だったことが認められたのだ。
わたしたちが身を隠していた木の葉の陰からコルトゥラがゆらりと姿を現わした時には、正直ダメかと思ったが、多少荒ぶる気を抑えたらしく家へ入れてくれた。
ヴェヒターが懸命に「新たな巣などあるわけなかろう!」と訴えたおかげでもある。(愛人宅の存在をごまかそうとしている貴族男の言い訳みたいだなと思ったのは内緒だ)
そして現在―――――――
「………」
これでもかと目の前に並べられる料理の数々。
香草たっぷりのスープ、ほかほか木の実のパン、葉野菜のサラダに、カリっと揚げた鶏肉を卵で固めたようなもの。
『帰って来てくれてうれしい』という気持ちがこもっているように感じられる。もしかしたら『早く体力回復してね』というものでもあるかもしれない。
しかし、わたしは………ギルドを出てくる直前、差し入れの果物やパン、スープといったものを平らげてきている。
お腹なんて微塵も空いていない。
ごくり、と喉を動かした。
さぁどうぞ、と言わんばかりの………、そう、善意しかない黒い目があちこちから向けられているのを感じる。
せっかく収まったばかりの波をここで荒立てる勇気はない。ギルドで食べて来たから~とか言えない。言っても大丈夫なのかもしれないけれど、万が一のことを考えると行動に移せない。小心者だと笑うならば笑え。
ぎこちなくカトラリーを動かす。
ぱくっ。もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ………。
「―――――とっても美味しいです……」
にっこり、頬が引きつらないように微笑めば、ジィッと見守っていた小さな魔蜂たちがダンスを始め、コルトゥラは満足そうに厨房へ飛んでいった。
厨房の扉が閉まったのを確認したヴェヒターが、無言のまま皿ににじり寄った。
「ここは我に任せよ」
「え…?」
「………少々辛かろう?」
とても気の毒そうに言われた。
「でも……」
ここには小さな魔蜂たちがたくさんいる。こっそり料理をどこかへ持って行こうとしたらまず見つかる。そしてヴェヒターは今飛べない。ついでにいえば、せっかく作ってくれた食べ物を粗末にするわけにもいかない。
「案ずるな、そろそろ来る頃合いだ」
「ルインねーちゃーん」
「ねーちゃーん」
聞き覚えのある声に、わたしは目を見張ってヴェヒターを見た。
太ましい胸を張り、目の前の蜂は頷いた。
「コルトゥラが厨房で大量の料理を作り始めたときにな、羽虫を数匹迎えにやったのだ」
来るかどうかまでは賭けであったが、と続けるヴェヒター。
扉を開ければ、ライリーとドナが入ってきた。
「やっぱりいた!蜂がなんか言いたげについてくるから、もしかしてねーちゃんが呼んでるのかなって思ったんだー」
「ライリー……」
「蜂さん、ねーちゃんのお使いできるのね」
ごめんドナ、蜂使いすごーい、とか言うのヤメテ。
常にお腹を空かせている食べ盛りの子どもたちと一緒に食事という流れになった。
誰かと一緒だと食が進む――――というより、「ほらこれも美味しいよ、食べてごらん」という技で乗り切った。
途中、料理についてべた褒めしておいたので、コルトゥラの機嫌も悪くない。
きれいになった皿。満腹でうとうとする子どもたち。守られた平和。
わたしはヴェヒターと見つめ合い、無言のままその細い脚と握手を交わした。
危機を乗り越えた一人と一匹の間に、強固な絆が結ばれた――――――かもしれない。
ストックが切れてしまいました……。すみません、少々不定期になります。