洞窟 6
いくつかの火を灯して明るくした洞窟内には地面に倒れる男たちの姿がよく見えた。
すべて気を失っているだけだというそれら。
しかし、まず対処しなければならないのはそちらではない。
「ごめんって」
「うぅ……。ルインがひどいぃぃぃぃ…」
ぷるぷる震えるその背中に、とりあえずの謝罪をしてみたが、ぷるぷるは止まらない。揺れる。とにかく揺れる。目が離せなくなるほど揺れる。
わかりやすく言うと、わたしが最初に見たのはヴェヒターではなかった。
ヴェヒターは確かに変わり果てた姿になっていた。
ただし、ちょっと斜め上の方向に。
見下ろす先でぷるぷるしているヴェヒターは丸い。
泉から出たヴェヒターが、丸い。
――――そう、太ったのだ。
それを認識したわたしが爆笑してしまったがために、完全に拗ねてしまった。
直前の「革袋に入らない」発言もまたショックだったらしい。
最初に誤認した凶暴な姿に対してちょっと場を軽くしようとしての言葉だったのだが、ぶよんと丸くなり、革袋に収まりきらないかもしれないと懸念していたヴェヒターの胸を的確にえぐったようだ。
あとは……、もしかしたら、わたしの笑いが収まるまでかなり時間を要したことも原因かもしれない。
言い訳をさせてもらえるならば、ヴェヒターが野生味あふれすぎる姿になったという衝撃をどうにか自分の中で飲み下そうとしていたら、うわーんと泣く丸ッと太ったヴェヒターが目に飛び込んできたのだ。
その落差に耐えられる人間などいるだろうか。
いや、いない。
だって〇だよ?〇から脚と羽が出てんだよ!?
そりゃ重くて飛べないよ!!
「……っ!」
噴き出しかけた口をバシッと手で押さえる。
幸いなことに、うじうじしている丸い蜂には気づかれなかったようだ。
「我の繊細なガラスハートは粉々だ!!」
「…………悪かったってば……」
なるべく直視しないようにしながら、声が震えぬよう平坦を装って答える。
だけど、ちょっと太って丸々した姿になったからといってあれほど渋った意味がわからない。
そういえば、あのとき暗闇でポーズとったのだろうか。その身体で。
脳裏に、シュパッと前脚を挙げてポーズを決めた反動により、ぽよんと腹を揺らすヴェヒターが思い浮かんだ。
「…ぶふぅっ!あ、ははははははは無理、無理ぃっ!!!」
「…………ルインが我を笑うぅぅぅぅぅっ!!!」
「やめ、揺らすな、ぷるっぷる、ぶっ、ははははははは!!」
うわーんと蜂の慟哭が響き渡った。
慰めと謝罪の言葉と、帰ったら一日中ヴェヒターを構い倒すというという約束をさせられた後、ようやくヴェヒターは機嫌を直した。
魔素の泉に投げ込まれたヴェヒター。
その魔素を一身に受けたこの蟲は、なんと泉を飲み干したのだと言う。
「我が愛らしさを損なわせるとは……、恐ろしきは魔素なり!」
「いや、それただ単に食べ過ぎただけでしょうよ……。飛べなくなるほど太るってどういうことですか。そもそもどういう原理でそうなるんですか。真剣に疑問しかないんですけど」
「そんなこと言われてものぅ。既に目の前に存在する事実を前には些末事ぞ?」
些末事……なのか?
いまのヴェヒターは、これまで見たどの蟲とも異なる形状をしていた。だって丸い。(ぶふっ)
頭と胸と尻の境はどこへ消えた?
かろうじて、色彩だけがその境目を主張している。だから尻があった方は黄色と黒の縞々模様だ。
「……なんか、子どもの遊び道具に似ている…」
「ぬ?」
余った布で繕った布の中に布とか詰め込んだやつな。蹴飛ばして遊ぶやつ。
しかし本当に一体どうなっているんだ、魔生物。魔生物ってみんなこんなんなの?
奥が深すぎる。
洞窟に漂っていた魔素は、泉が消失したことで外へ流れたのかどんどん薄れていく。
魔素の泉が消えると、何かシュタネイルの山に変化が起きるのだろうか。
……ま、良いか。底辺薬師に関係ないよね。
ヴェヒターが、丸ッとした太ましい身体をよっこいしょと向き直った。
その背後に蜂がいる。
「ルインよ、こ奴らが助けてくれたのだぞ!」
「……どうもー、ルインでーす……」
蜂は二匹。
それぞれ、ツォーク、オストと紹介を受ける。
魔蟲に魔蟲を紹介されることに慣れを感じている自分をどこかで諦めで以って認めながら、目の前の二匹に視線を移す。
コルトゥラやクフェーナよりもずっと大きく、全体的に鋭く厳しい雰囲気を醸し出している。
先ほど、ヴェヒターの変わり果てた姿だと思い込んだのがツォークだ。
ヴェヒターよりもずっと体格が良く、野性味あふれていて顔が怖い。森で遭遇したらまず逃げる。
オストはツォークと同じ見た目だがツォークに比べると細くてすっきりしているせいかそれほど圧迫感を覚えない。
というか、ツォークの存在感が半端ない。
ヴェヒターの背後に控えているから、大人しそうにも感じられなくも……いや、騙されるな。こいつら男どもを倒しまくった実績を持っているからな!?
「我が魔素の渦に翻弄されておったそのとき!我を案ずる門が開きこ奴らが飛び出てきたのだ!!いやはや、目にも留まらぬ剣とはよくぞ申したものよ!我にも火を消したの見えんかった!」
ツォークがカチカチと顎を鳴らしたので、思わずビクッとした。
かなり怖いよ、それ!
「…飛び道具?オスト、其の方昔はそのようなもの扱っておらんかったであろう?」
ツォークが再びカチカチする間、オストがやや項垂れた、気がした。
ヴェヒターは前脚を胸の前で組み、「ふむ」と呟く。
「騎士らしからぬと申すが……、そも、いずこに身を置いたとして、いついかなる時も個として己が理想を掴む姿は尊きもの。ツォークよ、率いる立場である其の方の心持ちもわからぬでもないが、個を認めるもまた上に立つ者に必要な器よ」
「……ヴェヒターがマトモな説教だと……!?」
ツォークは鋭い目つきをキラキラさせて頭を下げ、オストもそれに倣う。
……何この謎の上下関係。
鷹揚に頷いたヴェヒターが、そっとオストに近づき、何事か囁く。
――――――シノビ最高。憧れる気持ち、我ワカル。
しばし見つめ合った後、二匹はガシッと前脚を交わした。
半眼となったわたしの視界の端に、感極まった様子のツォークが映る。
……こいつら、どことなくヴェヒター臭がする……!
ちょっと眩暈がした。
顔が凶暴であろうとも残念臭が漂おうとも魔生物であろうとも、助けてもらった事実は事実。
わたしは蜂たちに礼を告げる。
「助けてくれて、ありがとうございました」
意思の疎通ができるのであれば、最低限の礼儀を忘れないのが信条だ。
後々何かを要求される前に、一通りの筋を通して終わったことにした方が楽だからという若干黒い考えが元ではあるが、過去にこれで問題が起きたことはない。
「ルインは実に礼儀正しかろう!」
何故か自慢げなヴェヒターに、二匹が同意を示す。
……昔見た騎士団みたいだなぁ……。
学園時代にキエラに連れられて見に行った騎士団で同じような場面を目にしたことがある。
上官の言うことは絶対。返事は「ハイ!」一択。集まっては筋肉とか武器とかの話に花を咲かせ、己の頭で考えるよりも先に上官の言葉を聞く。
ひとはそれを脳筋と称するらしい。




