洞窟 3
魔素が沸きだしている中心付近には、そうと示すためかぐるりと地面に印が描かれていた。
「山の隅々を舐めるようにして探し、ようやくこの魔素の泉を見つけたのじゃ。だからこれは儂の泉」
めちゃくちゃな理屈を口にする老人の手のする網の中で大人しくしているヴェヒター。
ちょっと頑張って逃げたりしようとか思わないのだろうか、あの蜂。
「周囲の地質を調べれば、ここがごく最近に生まれたばかりの泉だとわかる。他にも、魔素の泉があったと思われる場所では特に上質な魔石が採れたのではと―――――――――――――――」
「ビジュール、そんな話はいま必要ない」
カレラスがぴしゃりと老人の談義を止める。
「そうでしたな」などと答えつつ、老人の口は止まらない。
自然豊かな場所は魔素が豊富なことが多いことに始まり、調査させてほしいと言う自分のささやかな願いを断る権力者たちへの苛立ち等々。
そしてそれは、一緒にいる人間たちにも向けられる。
「魔獣を連れてきてほしいと頼んでいましたのに、なかなか叶えてくれませんでなぁ」
「……生け捕りになど、領都の騎士でもできません。殺らなければこちらが殺られてしまいます」
「ビジュール、無理ばかり言うな。狩りが得意とはいっても所詮は平民だ」
「ならばカレラス様の私兵で…」
「それも無理だな。余程のことがなければ、魔獣はそれぞれの領地で対応することになっている。オルカディスの騎士どもの目を盗んで魔獣狩りなどできるわけがないと前にも説明しただろう」
「――――そうでした!そんな折に薬師の娘のことを聞いたのでしたな!」
「へ?」
自分に関係ない話だと半分聞き流していたら、思いがけずビジュールの青い目に射抜かれていて心臓が変な音を立てた。
瞬きしない老人の目って怖い。
「大型の生物を入れましたが所詮はケダモノ、何の役にも立たん。魔蟲を連れ歩く女がいると聞いた時は耳を疑いましたが……、捕獲に失敗したと聞いた時はどうしてくれようと……」
「ビジュール。そんなことはどうでもよいから早く済ませよ。私は長居したくない」
「それもそうですな!」
カレラスの白い手袋に包まれた手に、恭しく老人が網を手渡す。
布で覆っているが、カレラスが意地の悪い笑みを浮かべたのがわかった。
「さて、お前の家族同然だとか言ったのだったか?」
言うと同時にカレラスが腕を振りかぶった。
あ、と思うのと、無造作に放られたそれが宙に浮くのは同時だった。
老人が青い目をキラキラさせる。
隣のネイダルが目を背ける。
網の隙間から、ヴェヒターの黒い目と目が合った。
「ヴェヒター!!!」
視界の端で愉快そうにしている男が見て取れた。それでも勝手に喉から声が出た。前へ出ようとした腕をネイダルに強く引き寄せられる。
魔素が渦巻くその中に、吸い込まれるように網が落ちていく。
瞬きなどする間もなく網は落ち、吹き上がる魔素に煽られて揺れ―――――ドボンと、幻聴が聞こえそうなほど魔素を揺らし、沈んだ。
「思った通りじゃ!やはり魔素を貯め込む器官が必要だったのじゃ!」
場違いなほど明るい老人の声が洞窟内に響き渡る。
「普通の獣ではダメだということか?」
「普通の生物も多少は魔素を受け入れますが、魔素を貯め込む器官がないのです。だからこれまではあふれた魔素が体中から突き出し、すぐに泉から吐き出されていましたのじゃ!ですがご覧くだされ!あの魔蟲めは未だ魔素を受け入れ続けております!泉から吐き出されぬのがその証拠!」
うきうきする老人と違い、カレラスは眉間に皺を寄せた。
「…魔生物を生け捕りにするのが難しいな…。だが、成功すれば他を説得することも可能か」
護衛の一人に「どれくらい時間がかかりますか」と尋ねられた老人は「そうですなぁ」と顎に手を当てて泉を見据えた。
「魔蟲は小さいですかなぁ。十分に満たされればじきに吐き出されましょうぞ。やれ楽しみじゃ」
「では、仕留める準備を」
「これまで吐き出された獣はみな瀕死だったのではないか?」
「カレラス様、魔生物は生命力が強いのです。それに、魔蟲は体液で仲間を呼ぶと言われていますので、仕留めるにも手順があるのです」
老人はキラキラした目で渦巻く魔素の中心を見つめ、護衛は洞窟の隅に置かれていた道具の中から大きな桶を運んできて、中を水で満たした。
それを視界におさめながらぼんやりとしていれば、いつだったか金髪美人なティオーヌの顔が頭に浮かんだ。
―――――重しを付けて水に沈めます。
それは確か、最初に捕らえた魔蟲をどう処分するかと尋ねたときの答えだ。
ネイダルたちがしているのはそれだろう。
――沈める準備を、今している…?
……あれ。
もしかして、ヴェヒター生きてる!?