洞窟 1
現地点、洞窟内。
ヴェヒターの位置、網の中。
わたしの状況、冷たい地面に座らされている。
………なにこれ。どうしてこうなった。
わたしはネイダルに連れられるまま穴の中に足を踏み入れることになった。
穴は急な角度で下方へ続いていたが、どこからか縄梯子を取り出したネイダルが、手慣れた様子で近くの岩場に引っかけると下へ垂らした。
降りるように言われ、仕方なく梯子を下りる。
縄梯子は不安定で、途中落ちそうになった。岩に手をつけば、つるつるしてひんやりした感触が伝わり、これが現実なのだと知らしめてくる。
梯子を下りきった後は、洞窟の奥へと連れていかれ、少し屈んで歩いていくうちに徐々に天井は高くなり、ややもすれば大の男が普通に歩くことのできる高さとなった。
やがて立ち止まったネイダルは、手慣れた様子で壁の出っ張りなどに設置されたいくつかのランプに火を灯した。
それによって浮かび上がるのは拓けた場所。
うす暗くてよく見えないが端の方に何やら道具らしきものがひとまとめにされている。
備え付けのようなランプといい、頻繁に使用されているのか。
「あの……どういうことですか……」
怯えた声で問いかければ、ネイダルが顔を上げた。
「やはり薬師だから魔素に耐性があるんだねぇ」
何も対策しなくても平気なのは羨ましいと続けられるが、わたしだって息苦しい。
洞窟の中は魔素が濃かった。
ネイダルはちゃっかり口元を布で覆ったりしている。おそらく布に魔素を中和できる葉でも挟んでいるに違いない。
濃すぎる魔素は毒だ。
たとえ耐性があったとしても、長く身を置いていればどうしても影響を受ける。
身体は冷えているのは、地面に座っているせいだけでもないと思う。
胸はどくどくいっているのに、手が冷たいことに気づいた途端に指の震えが気になった。
でもある意味好都合だと自分に言い聞かせ、震えるままに声を紡ぐ。
「……わたしが何をしたというんですか…、どうか帰してください……」
「あなたはギルドへの報告でもこの穴のことはまったく口にしなかったから、どこまで見たのか確かめようと思ったんですよ…」
わたしを見下ろすネイダルが、フッと息を吐いた。
「……あの日、まさかあれが動けるとは思わなかったんです……。そしてそこに誰かが出会ってしまうなんて……」
「女神の御手か男神の悪戯か…」とか溜息ついているけど、これってもしやただの愚痴?
どうせ愚痴るのならばもっとわかるようにしてほしい。親切心が足りん。
…ただ、この洞窟に誰も近寄らせたくなかったってことだけはだけはわかった。
ちゃんと依頼こなそうとした真面目さが仇になるとか、なんてひどい話だ!
なんだろう、何かヤバイことをしているってことだよね。
すぐに思いつくのは、魔石の鉱脈を掘り当てて、無許可で掘っていたとかだろうか。
「……わたしが戻らないとギルドに怪しまれますよ」
「その辺りはきちんと話を合わせてもらえることになっているから心配ありません」
ダメもとで揺さぶってみたけれど返って来た答えは揺らぎない。
話を合わせてもらえるって……ギルドに?
「……せめて、ヴェヒターだけでも自由にしてやってくれませんか」
「ヴェヒター、とは?」
「その魔蟲の名です」
ネイダルは手にした網の中を蠢く魔蜂に目を向けて瞬きを繰りかえし、再びわたしを見た。
ものすごく理解できない人間を見るような視線を向けられたが、大事なのはそこではない。
ヴェヒターを開放してもらえれば、助けを呼んでくれる……たぶん。空気を読んでくれれば。
イマイチ信用ならないのが正直なところだ。
何せあの蜂、行動が読めない。
だがしかし、今はそれに賭けるほかない。
そのためならば魔蟲を愛でるおかしな女の汚名くらい喜んで被ってやろうではないか。
「ヴェヒターはわたしの家族同然。わたしの心の慰め…。わたしはどうなっても構いません。どうかヴェヒターだけでも自由にしてやってください……」
胸の前で指を組み、精一杯憐れっぽく訴える。
震えるほどの寒さからきっと青褪めているだろう顔色。瞬きを繰り返して潤ませた瞳。
こういうときのために普段から外面を磨いているのだ。
今こそ輝け、わたしの外面力!!
「ここで大人しくしていてください」
牢っぽいところに入れられた。
わたしの外面力は意味を為さなかった……・
洞窟の壁を掘ってつくった横穴の出入り口に格子を入れただけの造りだが、押してもビクともしない。
「……こんなところに入れるってことはすぐに殺さないってことだよね」
ちょっと無理してでも前向きに考えてみる。
殺される前に、誰か探しに来てくれるだろうか……。
うーん、と考えていると、徐々に頭が傾いでいき、ガゴンといい音を立てて格子にぶつかった。
……蜂しか思い至らない……。
いや、仕方ないんだけどね?
毎日挨拶するような知人もいないし、今回の依頼だってギルドを通したものだから、少し不在でも誰も不審に思わない筈だ。
決してわたしに友人がいないせいではない。
そんなことを考えていたら、俄かに騒がしくなった。
誰か来たようで、出迎えたネイダルが膝をついているのが見える。
ここからでは相手の姿が良く見えないが、身分ある相手なのだろう。
「――――おい」
「!?」
突然の声に驚いて顔を上げれば、格子の向こうに男がいた。
「…………ネイダルさんの……」
ネイダルの息子ロイドだ。
ロイドはネイダルたちがいる方角を気にするそぶりをしながら、格子の隙間から袋を入れてきた。
「…あんたのだ」
厳密にいうとギルドの物なのだが、非常食も入っているのでありがたく受け取る。
しかし彼は一緒に山を登ってきていない。後から来た集団と一緒だったのだろう。
険しい表情をして、ロイドは踵を返すと行ってしまった。