ダルト村 1
御者をしていたおじさんに起こされたのは、大分日が傾いた頃だった。
御礼を告げ、走り去る幌馬車を見送って振り返ると、村の人間が遠巻きに注目していた。
この村の名はダルト。かつて魔石の発掘で栄えていたが、今は狩りを主体としていると聞く。子供が多いのはまだ親が狩りに出ているのだろう。
「初めまして。わたくし、ギルドの依頼で参りました薬師のルインと申します。どなたか、長様のところへ案内していただけませんか?」
ほんわかにっこり丁寧に!を心がけたわたしの挨拶の後、栗色の髪を一つに束ねた女性が進み出て案内してくれることになった。
村の奥に建つ長の館。
なんというか……、うん。立派すぎて違和感がある。
「ギルドから連絡はもらっています。私は村の長でネイダルと言います」
長というと農村地のオーベのようなジジ……ご老人だと思い込んでいたのだが、ネイダルは40を過ぎたばかりだという。ちょっとずんぐりしているが人の好さそうなおっさんだ。
「わざわざ来ていただいて、いや、本当にありがたい」
「あの、でも、わたしがお役に立てるかどうか……」
頬に手を当て、わたしはそっと上目遣いでネイダルを窺った。
ギルドを通した正式な依頼なので疑うべくもないのだが、こちとら王都暮らしが長い。狩猟生活なんて縁遠すぎて理解が及ばない。魔獣の目撃場所ってそんなに大事?
「おおまかな位置はギルドから報告がいっている筈なんですが、シュタネイルは広大な上に迷いやすいから正確な位置を把握したい、人里近くに魔獣が現れたのだからと領都から安全性を問う命令書が矢のように飛んできましてね…。私どもも生活もあるので、このためだけに時間を費やせないんです」
役人からせっつかれての調査なわけか。あまり時間も手間もかけられないけれど正確な報告を求められているってこと?大変だなぁ…。
「人里に魔獣が現れることは稀にですけれどありますからね。刺激しなければ特に問題ないんですけどねぇ」
……魔獣が危険だと思うのは普通の認識だと思う。
山で生活する彼らには身近な存在なのか。生活圏の差って割と衝撃。
…夜逃げするとき、こういう場所は避けよう。
夕食に招待された。
ネイダルの家族も一緒だと言われたので、ヴェヒターには革袋から出ないように約束させた。
わたしが魔蟲を連れ歩いていることは知られているが、ご婦人には魔蟲が苦手な人が多い。震えながら食事されるのも気が引ける。
「仕方ないのぅ、闇の胎動でも感じておるか」
いそいそと袋の中で丸くなったのを確認して、口紐を固く固く縛っておいた。
…良し。不安材料がなくなった!
気持ち的にとても軽やかになったところで食堂へと案内された。
とても広い食堂の真ん中にある頑丈そうなテーブルを囲む家族を紹介される。
「妻のアルマと息子のロイド、娘のメイです」
メイは最初にネイダルの屋敷まで案内してくれた栗色の髪の娘だった。
今日の夕食はメイが用意したのだと説明を受ける。
「仕掛けていた罠に掛かった獲物を仕留めて血抜きしただけなんですけれど…」
……調理じゃなくって仕留めた方…?
うふふ、と恥ずかしそうに微笑んでいるが、テーブルの中央に用意された塊肉のサイズから察するに、本体は結構な大きさだったと思う……。
なんだろう、我が家の厨房を占拠する丸っこい蜂と同じものを感じる。顔立ちも丸っこいから余計に既視感が……。
「狩りなどではなく、あなたは刺繍や料理が得意にならなければいけないわ」
メイとよく似た丸顔のアルマがお小言を言いながら塊肉にナイフを入れる。薄く切られた肉がそれぞれの器に配られる。
目の前には、小麦粉を水で溶いて薄く延ばして焼いた生地の他、細く切られた野菜や香草が用意されている。
生地の上に肉と野菜、香草を適当に置き、端から生地を巻き付けて口を開ける。
カリっと焼けた肉汁が口中に広がった。
味付けなんてものは特にない。全体に塩を振っただけであとは各々香草で補う形だ。
手が汚れるようなタレがかけられたものは串に通して火で炙られている。こちらは噛みごたえがあるので歯に力が必要だ。
器に盛られたスープは芋。手に持った器を口に近づけてふぅふぅ冷まし、縁に口をつけて飲み込む。
ごくりと飲み込んだ後、わたしは遠くに目をやった。
少し塩気が効いているだけのスープは正直味が薄い。
………………イイ。
コルトゥラとクフェーナの作る料理は美味しい。文句なく美味しい。文句なんてつけたら罰が当たるくらい美味しい。
だけど、こうやって手づかみしたり豪快に食いちぎったりゴッキュゴッキュ音を鳴らして飲んだりするのもイイよね!
この薄味加減がまた懐かしいよね!
最近では、調合室に籠って寝食忘れた後の胃が弱っているときくらいじゃないとこんな薄味のスープ出てこない。
贅沢なことだと自覚はあるから言わないけど!
どう考えてもクフェーナたちがつくるご飯の方が美味しいし身体にも良い。
将来的に魔蟲たちと別れた後が困るだろうと思うほど。
……いや、今のうちに栄養を蓄えていると思えば良いのか……?
「シュタネイルは良い狩場なんですね」
感嘆の意味を込めた言葉だったのに、何故か空気が重くなった。
「昔は魔石を掘り出すために人に溢れかえったものですが、外から来た人間が好き勝手に山で狩りを行ったために獲物が減りましてなぁ……」
「そんなの今更だ」
突然、吐き捨てるようにロイドが発言した。
「魔石は採れない、獲物もいない、そもそもちゃんとした狩りを知っているのが爺しか残ってないしその記憶だってあやふやだ。金があるヤツはみんな出て行って残ってるのはどこも行き場がないヤツらだけだ」
「ロイド、お客様の前だ」
「村は捨てて領都にでも出た方が―――」
「ロイド!」
大声で遮ったネイダルは厳しい表情を息子に向けた。
「お前が心配するようなことはない」
ギュッと顔を歪めたロイドはその後ずっと無言だった。
案内された部屋でようやく表情を崩し、ホッとする。
「別に普通にしていれば良いではないか」
ぐにぐに顔の筋肉をほぐしていたら、革袋から這い出たヴェヒターに言われた。
「良いですか、ヴェヒター。思うがままに振る舞って許されるのは一握りの人だけです」
王侯貴族とか、誰にどう思われようと、己の才覚でしっかりした地位を確立できる商人とか、腕一本で稼げる冒険者とか。
間違っても、底辺薬師はその中に入らんのだ。
「左様か、我らがルインを確固たる地位に押し上げる手伝いを…」
「しかぁーし!わたしは今現時点の自分に大変満足している!地位には責任がつきもの!そして強者は他者から頼られる立場になる上に、勝手な嫉妬にさらされる!そのような状況に我が身を置こうなどとはまったく考えていませんのでご心配なく!」
「うむ……?」
「わかってくれて何よりです」
ヴェヒターの扱いはこれで良いとして、ちょっと困ったな。
依頼を引き受けたときは、最初に薬草を採取していた場所を案内すれば十分だと思っていたが、ネイダルにはかなり正確な情報を期待されている。
「…熊を発見したのはイルメルダなんですよねぇ……」
黙っていればわからないことだが、正確な情報ではなかったばかりに、魔獣の巣を見逃してしまって後々誰か怪我をした………なんてことになったら繊細にできている私の心が罪悪感に苛まれそう。
悩んでいると、ヴェヒターがピシッと前脚を挙げた。
「熊の発見場所ならば、我わかるぞ!」
「…ヴェヒターが?」
「うむ!」
思わずジト目になったら、ヴェヒターの触覚がビビッとして詰め寄られた。
「わ、我を疑うと申すか……!?我はルインに嘘は吐かぬぞ!」
「…何も言っていないじゃないですか…」
空気は読めないくせに、こういう時だけ無駄に鋭いな。
このままではいつまで経っても寝られそうにないので、イルメルダが熊と遭遇した場所に案内してもらうことにした。
「万事我に任せよ!」
…大丈夫かなぁ…。
不安に感じながら薄い掛け布をめくって寝台に入る。
ふと、夕食時の気まずさを思い出した。
「それにしても、この村、人が少ないのは狩りに出かけているからじゃなくって出て行っちゃったんですねぇ」
長の息子であるロイドとしては、取り返しの効くうちに新しい生活なりなんなりしたいと考えたんじゃないかな。このままいくと、寂れる一方の村の代表を継ぐ羽目になるんだろうし。
しかし突然爆発するのは止めてほしかった。部外者は物凄く居た堪れないから!
「巣から出たくなったのならば勝手に出ればよかろうに。幼き者でもなかろうに」
「成人はしてますねぇ。でも一人で好き勝手できるわけじゃないんですよ」
別の村や町で暮らすには、最低でも金と伝手が必要だ。
新しい場所での家や生活に必要な物を揃えるのは勿論、そこまでの旅費がかかる。
領地を越えるならば地位ある人からの紹介状が必要な場合もあるし、許可が降りなければ入れない。
領地内で移動するとしても、移動した先で仕事を紹介してくれる人がいなければ路頭に迷う。大体は親族を頼っていくことが多いようだ。
「ギルドに登録して仕事を貰うっていうこともできますけど、どこにも古参の同業者がいるものですからね。新参者には厳しいんです」
マリーヤ婆さんの店とかな!!
わたしの説明に、ヴェヒターは「ふむ」と一つ頷き、前脚でトンとふわふわの胸を叩いた。
「安心いたすが良い。我は決してルインを放り出したりせぬからな?」
「………何の話ですか……」
相も変わらず意味の分からないことを言い出したヴェヒターに呆れた視線を向け、灯りを落とす。
眠らないというヴェヒターは、けれど大抵枕元に丸くなる。
瞼を閉じると、ロイドを宥めるネイダルの姿が思い出された。
ネイダルは、きっと巣から家族を追い出したりしないで、守ってやるのだろう。