ツンツンの刑に処してみた
そういえば、今度からギルド内を確認してから入ろうと思ったんだった。
そう思い出したのは、ギルドの外壁を視界に納めてから。
他に頼る相手の無い、か弱い女の一人暮らしである。自衛の心は大事。
蜂?
奴らがいうところの常識と人間の常識には、ごくたまに深い溝がある。まったく危険の無い安全な道だと思って歩いていたら、突如足元に真っ黒な穴が現れて転落するようなものだ。その穴はかなり深い。
よって、奴らを自衛手段の数に入れることは危険。
「守りはヨロシク!」なんて丸投げしてはいけないと、わたしの本能が警鐘を鳴らしている。
というわけで、自衛自衛。
あんまり見かけない奴らがいたら回れ右。いなかったら突入だな。
ギルドの窓から中を覗いてみることにした。
「くっ…、もうちょっと……」
背伸びしても届かない。わたしが特別背が低いわけではない。窓の位置が高いのだ。
しばらくピョコピョコしてみたが、無駄だとわかった。
……仕方ない。
台になりそうなものを探すかとあたりをジロジロ見始めたとき、視界を黄色と黒の物体が過ぎった。
「来客はおらぬようだぞ?」
ブンブン音を立てながらこちらを振り返ったヴェヒターが教えてくれた。
「…………そうですか」
何でもない顔をして乱れた裾を直していたら、ヴェヒターが肩に止まった。
くっ…、人の失敗をあげつらうつもりか?笑うならば笑え。ただしずっと根に持つからな!
身構えたわたしの顔の横で、なぜだか蜂は溜息をついた。
「ルインは何故、我を頼らぬのかのぅ……」
……うん?
なんとなく呆れているようなのは伝わるが、その理由がわからない。
何故って言われても、思いつかなかったからですが?
「我はとってもお役立ちな蟲であるぞ?もっともっとできることはあるのだ!だからルインは我らを頼るべきだぞ?」
前脚を振り回して何やら訴えてくるヴェヒターを前に思案する。
ヴェヒターのセリフは、それだけ聞けばとてつもなく献身的。
しかし忘れてはならない。こいつらは献身的なフリをして己たちの要求を突き通す輩でもあることを。
「…どうしてそんなに役に立ちたいんですか?」
「そうやって頼るうちに、何をするにも我らの姿を第一に思い浮かべ、頼り、心を傾け、依存する日が来よるであろう?」
「………それは、わたしが人間として終わる日の話ですかねぇ……」
「なに?ルインは人非ざる者になれるのか?」
びっくりした様子のヴェヒターが、「何になるのだ?」「いつのことだ?」などと慌てて周りを飛び回る。
誰かこの蜂に、言葉の綾というものを教えてやってください。
ギルドの中に入ると一斉に視線が集まるが、それは束の間。視線はすぐにばらけていく。
最初の頃は慣れなかったが、今ではすっかり慣れたもの。わたしも顔なじみになりつつあるなぁと実感する瞬間。
カウンターの向こうに視線を向けるが、ダリウスの姿が無かった。休みだろうか。
基本的にわたしの相手をしてくれるダリウスがいないとなると、出直すしかなくなる。
それとも、半眼でこちらの様子を窺っている受付嬢の元へ行くべきか。
果敢なチャレンジは時期を見誤れば大やけど必須。今か?今がその時なのか……?
「あ、あの…!」
悩んでいると、いつもギルドの奥で書類仕事をしている青年が声をかけてきた。確か、マシューと呼ばれていたっけ。細身で、常に控えめな態度。腕にも口にも自信がないのか、冒険者から距離を置いて静かに作業をしている職員という認識だ。
「ダリウスさんは所用で不在です。あの、副ギルド長も一緒で……」
ほー。二人でお出かけかぁ。
頑張れ、おっさん。心の中で応援しておいてやる。
「ご親切にありがとうございます」
「あ、いえ……」
マシューの視線がわたしと受付嬢とヴェヒターをウロウロする。
「あ、あ、あの、今日はどういったご用件でしょうか……!」
……もしかして、ダリウスの代わりに話し相手になってくれるつもりなのだろうか。
せっかくの申し出なのでマシューに聞いてみようかな。留守だったならば、ダリウスだってあの怪鳥モドキと遭遇していない可能性もある。
わたしが説明する特徴を聞いたマシューは頷いた。
「確かに、そういう方が来ていました……。もしかしてお知り合い…」
「違います」
キッパリ主張すると、「あ、そうですか…」とマシューは目を伏せた。
なんだ、わたしにはああいう変な知り合いがいそうだとでもいうのか……!
「いえ、あの、実はあの人、蜜飴の作成者と会いたいと言って来ていて……」
「え?」
「だから最初、ルインさんのお知り合いだったのかぁと思ったんですけど…。あ、でもルインさんの名前も知らないようでしたし、言葉遣いも乱暴で……、あの、今のは念のため聞いただけというか……」
わたしを探していただと?……どういうことだ?
「あ、大丈夫ですよ、いかにも怪しい方だったでしょう?ギルドカードも持っていないし、素性が確かじゃないから紹介できませんって、カリーナさんがきっぱりお断りしていましたから!カリーナさん、あれで結構気にかけて―――――あ、いえ、なんでもないです…」
カリーナの方を気にしながらわたわた忙しなく手を動かす。ちょっと落ち着けよと内心思いながら半眼で眺めていたら、我にかえったマシューがコホンと咳払いをして少し声を落とした。
「あの………、ルインさん、依頼を受けませんか……?」
「依頼ですか?」
突然依頼の話を振って来られて戸惑えば、マシューが重々しく頷いた。
「あの人は長く滞在する予定ではないと言っていました。ですから、しばらく町を離れていれば会うことはないかと……」
ほほぅ。
怪鳥モドキは商売敵にはならないということか。それは良いことを聞いた。
ここ最近、わたしの人生に本来不要な出来事が立て続けに起きている。失職とか転居とか蜂とか熊とか。
熊菓子の厄落としの効果のほどは不明であるが、自ら災難から遠ざかることも自衛のひとつ。
「実は、シュタネイルの麓の村から依頼が入っていて…」
「そうなんですか?」
「ええ。……でも、副ギルド長とダリウスさんが、ルインさんは熊の魔獣に遭遇したショックが強かったようだからと断っていたんです」
何かと心配気な視線を寄こしていた二人の姿が脳裏によぎる。
…確かに、そういうことを言い出しそうだ。
実際には熊魔獣に遭遇したショックなど熊菓子を喰らう過程で消え去っている。熊魔獣を思い出そうとしたら熊菓子(生首風)が先に思い浮かぶくらいだ。
「熊の魔獣が出た場所を詳しく案内してほしいという依頼なんです。依頼料はそう多くはありませんけれど……。彼らにとっては生活の場ですからね、詳細を確認したいんだと思うんです」
………ふむ。
実は庭の畑に、近くで採取した薬草を植え替えて様子を見ているところだ。
庭で栽培できたなら、わざわざ危険を冒して山登りしなくてもいいし、費用も時間も節約できる。
特殊な条件下でしか生息しない高級薬草も、レーゲンの力が及んだ土でならば育つかもしれないので、試してみたいなぁと思っていたのだ。
ついでに、あの怪鳥モドキに会わずに済むなら万々歳。
のそのそ遠ざかる怪鳥モドキの背中が思い起こされた。
「魔獣の恐怖に怯える方々を放ってはおけません。微力ながら、わたしがお役に立てるのならば喜んでまいります。………けれど、…わたし、その、先ほどの方と会うのは少し怖くて……、できればこのまま依頼に向かいたいのですけれど、支度が……」
「ああ!そうですよね!」
一旦席を立ったかと思うと、マシューはあまり使われていなさそうな袋を持ってきた。袋には大きく『危急の時用のギルド貸し出し品』と記されている。
ダサさに愕然としているわたしに気づくことなく、「これは使っても弁済必要ありませんから!」と説明しながら携帯食をいくつか入れてくれたので、ついでに薬草を持ち帰る用の袋も入れてもらうよう頼む。
「村に着いたら、長の家に泊めてもらえますから!」
手配してくれた幌馬車の荷台に乗り込み、貸出袋を受け取る。
動き出したとき、ギルドの中にいたカリーナと目があったので手を振っておいた。
果敢なチャレンジはまた今度な!
荷物でいっぱいの荷台の端で景色を眺めていると、ヴェヒターが話しかけてきた。
「ルイン…。よもや、ロナの実験を厭うて……」
「誤解です」
全くないとは言い切れないが、そのためではない。
さっきマシューと話をしているときに思い出したのだが、怪鳥モドキが立ち去った方向―――――あれは家に続く道でもある。
ただでさえ、ヴェヒターのせいでわたしは悪目立ちしている。ギルドじゃなくても家の情報を仕入れた可能性は高い。
蜜飴はティオーヌに一任しているし、見るからに変人だとわかる相手と知り合う機会は要らん。
だからこそ、この依頼は渡りに船。ついでに珍しい薬草を採ってくる。いいこと尽くめだ。
「我はルインとともに旅することに異存ないが、コルトゥラには一言告げた方が良かったのではないか?」
「そうですか?」
基本的に、わたしが不在時に来客があっても魔蜂たちは応対しない。不要な失神者を出すのも、周囲に恐怖を撒き散らすことも本意ではない。
更に、ライリーやドナの件があって以降の話し合いで、敷地にちょっと足を踏み入れるくらいならば見逃して良いということになっている。
だから大丈夫だろうと考えていたのだが………、そう言われるとちょっと不安になる。
「じゃあ、ヴェヒターひとっ飛びして……」
「我の業務に伝令は入っとらんな!」
なら最初から言うなよ。
若干イラッときたので、革袋から出た頭をツンツンする刑に処した。
やめるのだ!とかなんとか言いつつ、なんか嬉しそうだった……。