自由
魔蟲どもの奸計に嵌ったわたしは憐れ人体実験の犠牲と相成った。
新たな研究にはつきものの犠牲。
だが、同じ犠牲になるならば、難病のための試薬などといった、精神的にも満足度的にも納得のいく犠牲が良かった。
ヴェヒターが言うところの巣の中。つまりは我が家。
その家の中で、おそらく魔蜂基準でもっとも清潔ではない存在。それがわたし。
その一点の汚れを拭いさる、ただそのためだけに魔蜂どもは虎視眈々と機会をうかがい、献身的な姿でもって油断を誘ったのだ。
そしてわたしは、そんな奴らに格好の口実を自ら与えてしまった……その様子はさながら知らずに己の墓穴を掘り続ける愚者であったであろう。
やはり魔獣大好きバカが言っていた通り、知能の高い魔蟲はずる賢かったのだ……!
魔蜂に襲い掛かられてから数日。
わたしは家から一歩も出られない日々を過ごしていた。……そう、監禁である。
「No.8は艶が出ているが若干濯ぎが大変…?次はNo.9だな」
動くことも儘ならない。
ああ、僅かな自由すら奪われた我が身が憐れ……。
「人聞きの悪いことを言うでない。すべてはルインのためぞ?」
「そうは言っても、納得いかないものはいかないんですよ……」
わたしの軽口にあきれ顔のヴェヒター。
髪の間でもぞもぞ動いているのは小さな魔蜂。
品質チェックをしている彼らがいるからあまり大仰に動けない。
これも奴らの謀略の一つだと確信している。
きっと一生懸命やっているだろうその姿を見て癒されることもできないなんて、まったく楽しくない。
軽口くらいは許してほしい。
水の張った洗い桶の前に座らされ、桶の上に頭が来るよう下を向くと、小さな魔蜂たちが支える水瓶の中からドバーッと水が流され、髪が濡れる。
ロナの粉末と花蜜を混ぜ合わせて丸くしたものを少量のぬるま湯が入った器に溶かす。
もちろん、この湯の量もきちんと計測してある。
次に、わっしゃわっしゃと洗われる。
直接洗うのはコルトゥラとクフェーナだ。
小さな魔蜂は水にぬれると動きが鈍くなるからと遠巻きにしているが、コルトゥラとクフェーナはまったく意に介さず細い脚で器用に洗ってくれる。
ヴェヒター曰く「存在そのものの格が違う」とか胸を張っていたが、あんまり周りを見下してばっかだとトモダチ失くすぞ。
それはさておき、その手腕は確かで程よい強さで頭皮をもみ込まれると心地よさにうっかり声が出そうになる。
寝かけて首がガクッとしたことも数回ある。
ぬめりを落とすようにして、数回水で濯がれる。
洗い終えると小さな魔蜂たちがふんわりした布を運んできてわっしゃわっしゃと水気を拭きとって乾かしてくれる。(正直これがまた可愛い)
ここまでで一工程。
大抵そのまま一日置き、髪の状態を確かめたのち再び頭を洗われる。
まったく、面倒くさいことこの上ない。
「何が面倒なのだ。ルインは座っているだけではないか」
そんなこと言われても、面倒だと感じるこの心は本物なんだから仕方ないだろう。
感じ方は人それぞれ。
腹立ちまぎれに、「そこまで否定しては人間関係破綻しますよ」などと適当に告げてやれば、何やらうぬぬと考え込み始めたので少々溜飲を下げた。
そもそも、わたしからすれば、身体なんて寝る前に少し濡れた布で拭くだけで十分。
この時期はまだ髪が乾きやすいから現状も我慢できるが、普段なら汚れたなぁと思った時に水で漱いだり濡らした布で汚れを拭くくらいだ。
髪を短く切るという手もあるが、伸びてくると束ねることもできずに邪魔になる。
定期的に短く手入れをしないとならないならば、適当な長さで束ねて放置しておきたい。
髪が短いとどうしても女騎士とかそういう方面に見られるせいもある。
第一印象はほんわか系を目指しているので、これでも髪の長さと最低限の清潔は保っているのだ。
そして、これが一番重要なのだが、平民としてはごく普通の生活なのだ。
「だから、あんたらがキレイ好き過ぎるだけなんですよ」
そう説明しても、この蜂どもはわかってくれない。
小さな魔蜂は小首を傾げ、クフェーナたちはきょとんとする。
「見せかけの清潔など、真に清潔とは言えぬではないか」
本気で不思議そうに言われた。
………それ、わたしのことを不潔だと断言しているのと同じだからな?
実験体にされている現実はもういい。
だが、この実験だってまだまだ序盤。
身動きがとれない今、今後を如何にして逃れるかを考えておく良い機会だ!と、己に言い聞かせて耐えた。
No.10まで試した後、ようやく解放されたわたしの髪はピッカピカ。最終結論として、調合はNo.6の割合が良いのではないかと思われる。
――――が、彼らはまだ先を考えていた。
「クフェーナが、香りの高い花蜜を採ってきたいと言っておる」
「花蜜ですか?」
「うむ。我らが貯蔵しておる蜜は、きちんと種類別にされておるのだ」
初耳である。
花蜜は、全部一緒だと思っていた。
だが、花に種類があるぶんだけ蜜にも種類があり、香りや味がそれぞれ異なるものだと考えるのは当然なのか。
花の種別ごとに保管管理とか、どうやって……?
想像するだけで気が遠くなりそうな作業ではあるが、薬師が薬草を種別ごとに保管したいと考えることと比べれば、まぁ納得できなくもない。やるのは魔蜂だし。
そうして発案者であるクフェーナは、より良い香りを求めて一小隊を率いて採集に出かけて行った。
イルメルダもそれについて行く。
「花蜜を奪わんとする輩から死守するのだ!」というヴェヒターの命令に深く頷き、前脚を前方にシュッシュッと繰り出していた。
……いったいどんな敵を想定しているのだろう。
やはり熊か。熊なのか。
もう遅れは取らないとばかりに息巻くイルメルダを含んだ一行は南の空に飛び立って行った。
なにはともあれ、実験はひとまずの成功を収めながらも一時中断ということ。
それが意味することはただ一つ―――――――自由だ。