謙虚って素敵な評価かも
農村地では、すくすくと作物が成長しているようだ。時期が遅くなってしまったので例年よりは少し収穫量は落ちそうだがどうにか生活の目途は立ちそうだと、パンケーキを頬張りながら報告するのはライリーだ。
正直、その辺りに興味はないのだが、ライリーとドナはキラキラした目を向けてくる。
「信じられないくらい成長が早いんだって!」
「すごいの。すくすくおっきくなるの!」
……何を期待されているのか知らんが、わたしはそれに対する明確な答えなど持ち合わせていないからな?
魔蜂たちに給仕されて平然としているふたりの姿に軽く眩暈を覚える。
なんなのこの子たち。初対面であれだけ恐怖に慄き泣き叫んでいたくせに、なぜそんなに順応しているの。子どもだからなのか?それだけで理由になるものなの?
もう会うこともないだろうと思っていただけに、二人の訪問は予想外だった。
この庭で蜂に吊るされたり囲まれたりして、次に巨大ミミズの爆走に遭遇したことで、もしかすると一周まわって麻痺しちゃったのかもしれない。
「ルインねーちゃん、パンケーキお代わりして良い?」
わたしが返事をする前に、口元を花蜜でべったべたにしたライリーの皿へ、新たなパンケーキが運ばれてくる。その隣ではドナがむぐむぐ口を動かしている。
遠慮の欠片もない姿に、ひくっと頬がひきつった。
「……きみたち、お家のお手伝いとかしなくていいの?」
ライリーは10歳、ドナは7歳というから立派に家の仕事をする年齢だ。
わたしの質問に、ライリーはパンケーキを口に運びながら答える。
「自分の仕事はちゃんとやったよ。今はみんな畑を見守るのに忙しいから、ルインねーちゃんへの報告は俺達がするって言って出て来た」
「いや、別に報告自体いらない…」
「他の奴らも誘ったんだけど、みんな怖がるんだよ。やっぱりあのでっかい魔ミミズのせいかな」
レーゲンの姿は確かに衝撃だっただろうが、それよりもライリー、どうして他の人間も引き連れてこようと思うんだ。
「だってあいつら、ルインねーちゃんのこと怖いって言うんだよ」
常に穏やかで優し気な笑顔を心がけてはいるが、あの魔ミミズ騒動の後ではそれもまた仕方ないと思う。
ライリーはライリーなりに、わたしが怖い存在ではないことを周囲に教えようとしたのだ。まったく義理堅い少年であることは認めるが、わたしは微笑んだままゆっくり頭を横に振った。
ライリーよ、行先はよく考えて誘わないと友達失くすぞ。
この魔蜂でいっぱいな家に第三者を連れてくるとか、そこからして既にまともな思考ではない。やはり麻痺しているのか……他に精神に悪影響が出ていないかしばらく観察した方がいいのかもしれない。
「ライリーはそんなこと考えなくていいんですよ。ただ、わたしは騒がしいのは好きじゃないので、他の人は連れてこない方が嬉しいです」
「あ、そういうのを「えんりょぶかい」って言うんだよね。爺ちゃんが言っていた」
なんか違う。
どこぞの魔蜂と並ぶほど話が通じない。顔を引きつらせていたら、パンケーキを一枚食べ終わったドナが口を開いた。
「ルインお姉ちゃんは、どうして魔蟲さんと仲良しなの?」
まったく悪気の無い瞳で返答に困る質問をぶっこんできやがった。
「……別に魔蟲と仲良しなわけじゃないよ?」
目をぱちぱちして首を傾げるドナを、ライリーが肘でつつく。そして顔を合わせてひそひそ始めた。
「…ルインねーちゃんはすっごく謙虚なんだってさ」
「けんきょって?」
「控えめとか、慎み深いってことだよ。だから魔蟲と仲良しでもそれほどでもないわよって答えるんだ」
「そうなの?」
「そういうもんなんだって」
ライリーに言い切られたドナは納得したのか小さく頷いた。
満足そうなライリーの皿にパンケーキが追加され、ほわほわ湯気のたつお茶もカップに注がれた。
視界の端でご機嫌に触覚を揺らすヴェヒターの指示だった。いったい何でそんなに機嫌良くなった。
それはともかく、少しばかり興味を引かれる言葉があった。
王都を追われ、ひとり寂しく生活を始めた薬師。年は若いけれど、仕事ぶりは真面目で、態度は控えめで謙虚、慎み深い―――――…。
……良い。
『魔蟲のルイン』より、断然良い。
こうやって少しずつわたしの評価に良いものが増えて行けば、いつか魔蟲関連が埋没するんじゃない?それって、普段わたしが張り付けている外面にも程よい感じだよね!
「また来るから!」と元気よく手を振って帰っていくライリーとドナを見送り、家に入って身支度する。
「ずいぶんと気力に満ちておったな」
「生活の目途が立つって、本当に大事ですからね」
わたしはしみじみと呟いた。
今お腹が空くのもつらいけれど、明日食べる物に困るかもしれない、生活できないかもしれないという不安は、どれだけ振り切ろうとしてもどんどん勝手に膨らみ、どうしようもないくらいに自分を追い詰めていく。
非力な子供ならば猶更だ。子どもだからとはっきりした情報を得られないのに、周囲からの不安だけは伝染する。
冷静になる余裕がなかったからこそ、うちに突撃できたのだろう。
足取り軽い後ろ姿から、あの恐怖と不安で泣き叫んでいた彼らを見つけることはない。がっつりパンケーキを食っていったことからもそれはうかがえる。
また報告に来ると言っていたから、魔蟲に関する精神汚染疑惑について観察することも可能だろう。
………ところで、あれは餌付けに当たるのだろうか。
最初に恐怖と混乱を与え、次に餌という優しさで懐柔。
コルトゥラとクフェーナが体現する女子力とは、なんと恐ろしい側面を持つのか。
「うーむ?女子力ってそういう感じだったかのぅ……」
「違うんですか?」
「……いや、あやつらを見ていると我の知識にもちょっと自信が……。あ、こら!ナイフを向けるでない!!」
クフェーナから逃げまどうヴェヒターを視界におさめながら、身支度を終える。納品する木箱もばっちりだ。
蜜飴を納品するため、元々ギルドに足を向けるつもりだった。面倒くさいなぁと少し思っていたのだが、わたしの中で新たな目標が追加されたことで俄然やる気になった。
謙虚で慎み深くて真面目で仕事熱心な姿を披露して、薬師としての評価を高める!そして魔蟲のルインを払拭しよう……!
遭遇から生首風菓子に至るまでの熊ショックのせいで若干引きこもっているうちに魔ミミズ騒動が起きて、しばらくギルドには行っていなかった。
というか、家から出る気にならなかった。
それもこれもすべて、この家が快適すぎるせいである。
掃除も洗濯も料理もしなくても良い。寝食を忘れなければ調合室に引きこもっていても怒られない。更にレーゲンのおかげで畑から美味しい野菜が採れるので、肉や魚をたまに市場に買いに行けば良いだけだ。
貴族だったら、当然使用人がやってくれることだが、その分付き合いも柵も貴族らしさとやらも必要となってくる。
平民だって使用人は雇えるだろうけれど、それだけ稼がなければならないし、目立って裕福になればやっかまれたり、手癖の悪い使用人が盗みを働いたりする。
しかし魔蜂相手ならばそういった面倒事がまったくない。それどころか甲斐甲斐しくお世話をしてくれる彼らはとても優秀だと認めざるを得ない。
買い物や納品とかもやってくれれば楽なのになぁ―――――――――と、考えたところで頭を振る。
「っ……!なんという危険思考……!」
気が緩んで一言でもそんなことを漏らしたら、喜々として買い物かご持って飛んでいきそうだ。市場で悲鳴が上がる想像がありありと目に浮かぶ。
「如何した?」
テーブルの上に置いてあった革袋の中から見上げてくる黒い目に、どんよりとした目を返す。
「…人として最低限の矜持を保持することと、誘惑に負けない強い心を培おうかと……」
「己を高めようということだな。相分かった、手助けいたそう!誘惑するぞ!!ほれ!!見よ、この魅惑の尻を!あ、お触りは厳禁だぞ!踊り子に手を触れてはならん!」
革袋の中からお尻だけを突き出してふりふりし始めたそれを、無言のまま指でぐぐっと押して革袋の中に押し込み、口紐をキュッと縛った。革袋の奥からくぐもった声が聞こえる。
「むっ…、さては我の誘惑に負けたのか…!だが許す!我はかわゆいから致し方なきこと!己の不甲斐なさを責めるでないぞ、ルイン!!罪深きは我がかわゆさに有り!ルインの所為ではない!」
わたしの趣味が疑われるようなことを言うんじゃない。
そのまま放置して家を出ようとしたのだが、小さな魔蜂たちが革袋の紐を持って後ろをついてくる。しばらく頑張ったのだが、向こうも諦めない。結局、根負けして革袋を受け取ったのだった。