橋渡し 終
帰って来たわたしは、我が家の畑の前に立っていた。
ここへ来たばかりの当初、乾いた土に雑草があちこちに生えていた畑は、この短期間に豊かな畑に生まれ変わっていた。青々とよく繁った葉野菜、土から少し覗く根菜が整然と並んでいるだけでなく、果物の樹まで植えてある。
以前、魔蟲たちがツィトローネを植えていたのは知っていたが、その後は色々あって気にしていなかった。
こうして目の当たりにすると、ライリーが言っていたように“特別な何か”を施したことを疑うのも無理が無い。周辺の土地が痩せていたのならば尚のこと。
それほどに不自然が過ぎた。
今、この畑に棲みつくことになるのはレーゲンだけだ。
「下位種どもが集まらぬように言い聞かせたと申しておる」
「そうですか…。なんだか悪いですね」
「手狭になるからの!」
めちゃくちゃ自分本位な理由からだった。
我が家の畑の下でのんびり暮らしたいのだというレーゲンは、あの爆走が幻であったかのようにのそのそと土の下へと潜っていく。
それを見ながらヴェヒターがぽつりとつぶやく。
「人は、見目の悪いミミズどもを駆逐しようとしているからのぅ。見目悪く、土中に存在するというだけで、死の恐怖と隣り合わせの生活を強いられるとは、なんとも哀れなことよ」
「ミミズの生きざまをわたしに語られても困りますが……別に人間の畑じゃなくても、森とかに棲めば良いんじゃないですか?」
そう答えれば、ヴェヒターが前脚を揺らして「ちっちっちっ」と言った。
ものすごくイラッと来た。
「浅はかなるぞ、ルイン。ミミズどもは他者の手が加えられた土の中を揺蕩うのが好きなのだ!森の土など固すぎて楽しくないと申しておる!!」
ただの好みじゃねーか!!
「まぁ、奴らは多少千切れたくらいでは死なぬからな。実際にはわざと人間どもの刃が通るようにして端を切らせた隙に土に潜り込んでいたらしい」
「同情する気持ちが掻き消えますね」
自らちょん切らせておいて、死の恐怖と隣合わせの生活だとか言うなよ……。
「……あ、ついでに駆除に使ったっていう薬剤ももらってくればよかった」
これまで聞いたこともない効能だ。一般的に学園などで教わる薬以外は門外不出だったり秘匿するのが普通なので、そう驚くことでもないけれど、いったいどんな配合なのか気になるのは薬師の性だ。
まぁ、さすがに有害そうだからティオーヌに鑑定してもらうわけにもいかないし、手に入れたところで分析ができたとも思えないけど。
「カメーリャという紅い花の樹液を使ったものだぞ」
カメーリャ?
知らないなぁ…。さすがに知らない原料の分析は難しい―――――――……樹液だと?
これまでの魔改造にはことごとく樹液が関係していたような……。
「……まさかそれ、ヴェヒターが作りだしたんじゃないですよね」
胡乱な目つきで問えば、
「我がそのようなことをする道理が無いぞ!」
濡れ衣だ!と叫ばれた。
これも日ごろの行いの為せる業。甘んじて受けてほしい。
完全にレーゲンの姿が見えなくなったなと思ったら、入った場所とは別の土が盛り上がり、ちょっとだけ頭が出て来た。頭に乗っかった土をぷるぷる振り落としてこちらを窺い見ている。
「ふむ。ルインよ、レーゲンが『今後は植物の成長を少々制御するか?』と聞いておるぞ」
飽和気味だった下位種がいなくなったため細やかな制御も容易いのだという。
なるほど、わたしは顎に手を当てて少し考えた。
……一目で異様とわからない程度に豊作にしてもらうのはどうだろう。
他より少し豊かくらいなら、そんなに目立たないと思う。
これだけ色々苦労をして冷や汗をかかされたのだ。それくらいのご褒美があっても良いよね!
「そうですね…。多くは望みませんが、一年中食べる物に困らなくて済んで、希少な薬草を採ってきたら多少土壌の差異があろうとスクスク育ってくれ、且つ目立たないとありがたいです」
「けっこう多くを望んでいるぞ!」
ヴェヒターに突っ込まれた。地味にショックだ。
わたしだって無理なことを言っている自覚はある。
「こういうのは最初に大きく要望を伝えるのが定石なんです。無茶を言ったら後は小さな要望が通りやすいでしょう?」
「ルインの希望はできる限りかなえてやりたいという場合はどうするのだ?我張り切っちゃうぞ!」
「ヴェヒターが張り切ると困りそうだから要りません」
斜め上の解釈などできないほどキッパリお断りするのが正しい魔蟲への対応である。
「遠慮は不要だ!」
「ちがーう」
これ以上ないくらい正しい対応のはずなのに、何故通用しないのだ……。
思わず肩を落としたら、目の前でガパッとレーゲンが巨大な口を開けた。
わたしひとり軽く丸のみできるその中ががっつり見えて、え、わたし丸呑みされる?とヒヤッとした次の瞬間、ぶふぉぉぉぉぉぉぉおぉぉおぉぉ―――――――――――っと真正面から突風を受けた。
「レーゲンが笑うとは珍しい」
「………笑ったんだぁ………」
急に笑うとか魔蟲はやっぱりわからん。乱れた髪を手で直していると、レーゲンは程よく植物の成長を促しておくと約束して土の中へ潜っていった。
「…ところで、レーゲンは上位種なんですよね。話しはできないんですか?」
「ルインとは波長が合わぬな!」
「おい、その理由だとわたしが蜂と波長合う人間ってことになるじゃねーか」
断じて認めないぞと詰め寄って、ふと別のことに気づく。
「………あれ?じゃあヴェヒターの言葉は他の人に聞こえないの?」
わたしの耳には普通に声として聞こえるのだけれど……?
「…くくく、気づいたか……」
宙に浮かぶヴェヒターが、不敵に笑ってわたしの顔を覗き込む。
「我が特殊能力、その名はコミュ力!!説明しよう!コミュ力とは相互に良好的な関係を築くものである。だがしかし!研ぎ澄まされた我が能力はそれだけに飽き足らず、あらゆる知的生命体との意思疎通が可能なまでに進化した!!まさしく我に相応しい至高の能力よ!!ふはははは!どうだ、ルイン!我はすごい蜂であろう!!誇りに思うが良い!!」」
お尻ふりふり迫るヴェヒターをわしっと捕まえて革袋に放り込んだ。
意味はない。ただなんとなくムカついただけだ。
頭から袋に突っ込まれたヴェヒターは、革袋の中でもぞもぞと器用に方向転換し、ぴょこんと外に頭を出した。
「ひどいぞ、ルイン!」
「そろそろお家の中に入りましょーね。そして今後とも人前では喋らないように気を付けましょう。熊みたいに王都の研究所に連れていかれますよ」
「それは嫌だ!」
おとなしくなった蜂とともに家の中に入りかけ、ふと思い出して畑を振り返る。
「ねぇ、ヴェヒター。ミミズって歯がないんでしたよね?」
「そういう説明をしておったな」
ヴェヒターは共にレーゲンによるミミズ講義を受けた仲である。わたしの記憶違いかと思ったが、やっぱりミミズには歯が無いのだ。
だが先ほど、目の前でぱっかり開けられた口腔内にびっしりと生え揃う歯らしきもの。
どう思い返してみても、歯だとしか考えられない。
気づけば、革袋の中からヴェヒターの黒い目が見上げていた。
脳裏をかすめた、レーゲン≠魔ミミズ(上位)という図式はそっと脳内屑籠に入れる。
その仮説を立てた場合、ではなんの魔蟲なのか?という疑問が生じてしまう。
わたしはもうお腹いっぱいだ。せっかく一つ懸念案件が解決したのに、何故答えの出なさそうな難問を自ら引き寄せねばならない。そういうのは暇と金と好奇心を持て余した人間がやればよい。それは少なくともわたしではない。
そういうわけで、我が家に棲みついたのは、魔ミミズのレーゲン(確定)。
得意技は土中で寝て喰って植物育成。自主的に外に出てくることはない彼と魔蜂による畑の世話により、野菜に困ることの無い生活を手に入れたのだった。