パンケーキを召し上がれ
床の上に直に座り、お互いを庇うかのように抱きしめ合う少年と少女。
「ボスじゃないヨ。ごく普通の人間。職業薬師」
「嘘だ!!」
なんで否定すんだ。わたしのどこに人外要素があるってんだ。
イラッとした内心が伝わってしまったのか、少女は泣き、少年が涙目でわたしを睨む。
お互いを呼ぶことで、少年がライリー、少女がドナだということはわかったのだが、どうしてかわたしを魔蟲の親玉扱いする。
心・底・不・本・意!ではあるが、何度か同じようなことを繰り返したのち、話が進まないと理解したわたしは断腸の思いでわたしが人であることを主張するのを一旦諦めた。犠牲的精神も時には必要である。
「それで、どうしてうちの庭に入ってきたの?」
この家の敷地の周りは、ヴェヒターの指揮でぐるりと木の柵によって囲まれている。今思えば、縄張りを主張していたのだろう。害獣対策だと思っていたよ。
わたしの問いかけに、ライリーがキッと顔を上げて睨んできた。
「お前が悪いんだろう!」
なんか責められたけれど、まったく思い当たらないのでこてりと首を傾げると、堰を切ったかのようにライリーは捲し立て始めた。
彼らが住んでいるのは、森を挟んで反対側に広がっている農村地。
畑を耕し、作物を植え、収穫したものをライヒェンや領都まで運んで売っている。
ところが、今年は作物の出来が悪い。天候はそう悪くもなく、雨だって十分に足りている。いったいどうしたことだろう。
話し合いの中で、例年と違うことが取りざたされた。
そういえば、森の近くのあの家に誰かが住みはじめたようだぞと誰かが言えば、また別の誰かが口を出す。
あの家には魔蟲を操る気味の悪い女が住みついた。
あの家の畑を見たか?どれも青々と茂って見たこともないくらいに実っていたぞ。
まるで、こちらの畑の養分をすべて吸い取ったようじゃないか。
ひそひそと話す大人たちの会話を聞いた子供たちは女の庭を見に行くことにした。魔蟲を操る人間なんているんだろうかという好奇心もあった。
そして実際にそこには、どんな豊作の年よりもずっと豊かな実りが広がっていたのだった。その中を飛び交うのは蜂型の魔蟲たち。
それを目の当たりにした少年は、大人たちの話が真実だったことを確信したのだ。
「お前が何かしたんだ!!そうじゃなきゃおかしいんだからな!!」
「そういうのは逆恨みというんだとお姉さん思うなぁー」
庭の畑は魔蟲が勝手に色々植えて勝手に世話しているのであって、わたしは一切手をかけていません。完全なるとばっちりです。
そう説明したかったが、言いたいことを言いきって気力がなくなったのか、ライリーがうわーんと大声で泣き出したので耳を塞いだ。最初からぽろぽろ泣いていたドナもつられたように大声で泣き始める。
なにコレ。
「なんで泣き出すの……、このまま放っておいたら泣くのに飽きて泣き止むかなぁ…」
「二匹おるからのぅ。相乗効果で勢いが増すばかりではなかろうか」
……、これ以上うるさくなるの…?
とても困る。子どもを泣き止ませる手段なと持ち合わせていない。うるさいからといって外に出すのは簡単だが、人として間違った対応だろう。
まだ魔蟲の親玉疑惑が完全に晴れていない現状でひどいことをしては疑惑が深まるばかりである。
いっそのこと気絶させた方が良いのか?と頭にイルメルダの姿が浮かんだとき、厨房から頭に皿を乗せたコルトゥラとクフェーナが現れた。
二匹はわたしとヴェヒターの前をブーンと通り過ぎると、スッと子どもたちの前に皿を差し出した。
「……え…?」「なに……?」
目を腫らせたライリーとドナは突然近づいてきた魔蟲に身体を強張らせたが、皿から漂う匂いに表情が変わる。
皿に乗っているのは、わたしも何度かつくってもらったことがあるものだ。
小麦粉と卵を混ぜてフライパンで焼いた薄いパンケーキ。5枚ほど重ねたそれに、敢えて甘さのないふんわりクリームを添え、上から花蜜をたっぷりとかけてある。
パンケーキに、甘くないが口当たりが滑らかなクリームと癖の少ない種類の花蜜を交互につけて楽しめる一品だ。
二人は戸惑ったまま皿と魔蟲とを交互に見ているが、一瞬でも泣き止んだこの機会を逃すわたしではない。
眉を下げ、目を細め、口角を上げ、ほんのすこしだけ首を傾げる。大事なのは雰囲気。そして声音とタイミングだ。
「大丈夫だよ。美味しいから食べてごらん」
びっくりしたようにわたしを見上げた子どもたちだったが、微笑を浮かべるわたしに安堵したようにその肩から力を抜いた。泣いたことで不安定になっていた心につけ込む優しげな声と美味しそうな食べ物に一気に緊張感がほぐれたようだ。
どちらからともなくおずおずと皿に手を伸ばしたので、にこやかにカトラリーを使うよう勧めてみた。
食べる時は手づかみが普通だろうが、花蜜はべたべたするのでカトラリーを使った方が良い。パンケーキはコルトゥラとクフェーナによってきちんと切り分けられている。わたしもカトラリーを使い慣れない最初の頃はこうした魔蟲の気遣いに随分助けられたものだ。
最初の一口はぎこちなく。その後は夢中になって食べ始めた子どもたちから少し距離をとり、わたしは肩の上の魔蟲に囁いた。
「コルトゥラとクフェーナのおかげで助かりました」
怯えたり泣いたり怒ったりと忙しかったくせに、今や満面の笑みでパンケーキを頬張っている子どもたちを見て、わたしはやれやれと息を吐いた。
「……我、ルインに言わねばならぬことがあるのだが……」
思いがけず重々しい声音がヴェヒターから返って来た。わたしの肩の上で、ヴェヒターはもじもじと前脚をすり合わせている。
「その…、我な?コルトゥラとクフェーナに頼まれてな?ちょっとした魔蟲を庭に入れたのだ。……土の中におる魔蟲でのぅ、こう、うねうねと長いヤツなのだが……」
「ミミズですかねぇ」
ヴェヒターの説明で思い浮かんだのはミミズだ。ヴェヒターが「えっと、じゃあそれで…」とか微妙に気になる返事を寄こしたが、その辺を突っ込むと話が進まない。先を促す。
「そやつはいったん土を体内に入れて魔素を咀嚼すると土を吐き出すという少々下品な食事をするのだが……、吐き出された土は作物に程よくほぐれ、程よい魔素濃度になるために作物の成長に著しく貢献する存在なのだ」
「だからうちの畑だけが育っちゃったんですね」
納得して頷いていると、ヴェヒターがそっと「怒っておるか…?」と尋ねてきたので、「別に怒ってはいませんよ」と答える。
また魔蟲関係かよ!とは思ったけれどな。
「とりあえず、うちの畑の原因が判明しただけでも十分です」
勝手な想像と噂で悪意を向けられたときに、きちんと答えられる準備があるのとないのでは全然違う。
たとえ少年たちのように難癖をつけてきても、うちの畑にちょっと珍しい魔蟲が棲んでいるせいですとかなんとか言おう。
そう考えていると、「そうか!」とヴェヒターが目に見えて元気になった。
「良かった…!我、ルインに叱られるかと思ってどきどきしたのだ!」
「そうですかぁ……」
叱られるか心配すべき事態は過去にもっとあったような気がするぞ。
肩の上でぴるぴると羽を動かし始めるヴェヒターを思わずじとっと見つめてしまう。
「畑に入れた奴も随分とここが気に入ってくれたようでの!」
「へー」
「今や一大勢力だ!」
「へー。……………………なに?」
わたしは窓の向こうに少し見える庭に視線を向け、それから再び肩の上に目を向けた。
「………一大勢力?」
「我が選んだのは上位種であるからして、下位種が集うのは当然であろう?」
「当然?」
「うむ!ほれ、我がおると勝手に羽虫共が集うのと似たようなものよ。もっとも、向こうは統率もなにもなく放置しておるようだがのぅ。まぁ我もコルトゥラたちに任せきりだがな!」
はっはっは、と笑う肩の上のヴェヒターのそのまた向こう側にコルトゥラとクフェーナの姿が見える。
小さな魔蟲たちを指示して宙に文字列がつくられていく。
『ご・め・ん・な・さ・い』………?
そのとき、稲妻が落ちたかのように、わたしの脳裏で情報がつながった。
コルトゥラとクフェーナの希望を聞いたヴェヒターがミミズの魔蟲を畑に入れる。
ヴェヒターが選んだのは上位種とかに当たる魔蟲だったので、上位種の魔蟲に魅かれて下位種の魔蟲が集まってくる。
近くの畑から魔蟲が消え、そのために畑の質が悪くなり作物が育たなくなった――――――――
顔が引きつる。
………いや、まだそうと決まったわけではない。早計に決まっ……………。
「はっ!!」
突然大声を上げたわたしに、部屋中の視線が集まったが、わたしの視線はコルトゥラとクフェーナに吸い寄せられる。
「………まさかあのパンケーキ、泣き止ませるためじゃなくて罪悪感からか!?」
二匹はお互い顔を見合わせた後、『てへっ』と言わんばかりに己の前脚で頭を小突いた。