熊が!熊がぁぁぁぁぁ!!!
夢見が悪かったので、今日は仕事をしない。
「熊め…夢にまで出てきやがった……!」
「ルイン、口調が崩れておるぞ」
おっといけない。最近どうも気が緩んでいるのか口調が崩れる。魔蟲の前で叫んだり怒ったり色々やっているから、もう今更ではある。
あの一件で貯蓄の多くを失った。
その大半が蜜飴の売り上げなのだから、別にわたしの労働の対価として得たものではないのだが、それでもお金が無くなるという事実は胸に突き刺さるものである。
ソファの上でだらりと寝そべっていたけれど、「だらしないぞ!」と注意する声も飛んでこない。
そうか、魔蟲もいつの間にか空気が読めるようになったのか……。
はぁ…、と、何度目になるかわからないため息がこぼれ出た。
ついつい口からため息が出てしまうのは如何なものか。自分でも止めようと思うのに、熊の一件を思い出すごとに勝手に出てきてしまう。
「ルイン、夢に見るほど熊が憎いのか……やはり殲滅」
「やめてください」
「根絶やし」
「同じことですよね」
ヴェヒターの戯言に突っ込む気力もイマイチわかない。意識の切り替えは割と得意だと思っていたのだが、失ったのが未だかつて手にしたことの無い大金だったからか、なかなか思い切れない。
「ルイン、疲れておるな」
「夢の中で、ひたすら熊に追っかけまわされましたからね……」
どこに逃げても見つかるし、わたししか襲ってこないし周りに人が居るのに誰も助けてくれない。
ギルドに助けを求めたのに、ダリウスが大金貨1枚を請求してきて、そんなお金がないと言ったらティオーヌがごめんなさいねと謝ってくるのだ。そこで仕方ないなと諦める辺りはやはり夢だ。
「その夢に我は出演しておらぬのか?こう、格好良く立ち回って颯爽とルインを助けるとか…」
そもそも、蜂が出てきた記憶はない。
そう告げれば明らかにガッカリしていた。現実では一緒に逃げ回るだけだっただろうが。どうしてわたしの夢の中で活躍できると思えたんだ。
「はぁ…、わたしが戦えたらよかったんですけどねぇ……」
「ルインが?」
「自分で討伐できるならわざわざギルドに依頼しませんからね。残念ながら、剣士も魔術師の素養もなかったんですよ」
魔素は感じ取れたけれど、魔術の素養が無いと知ったときの落胆といったらなかった。一握りの人間しかなれない魔術師になれたら高給取りだったのに…。
剣士だって捨てがたい。たまに見かける女騎士も凛々しくて素敵だったが、冒険者として剣一本で魔獣を狩ったら大金稼げる。危険度は跳ねあがるけど。
「騎士とかも格好いいですよね。子どもの憧れの的ですよ」
「そうなのか……!」
キラキラ目を輝かせたヴェヒターは、厨房から持ってきたカトラリーを振り回し始めたが、即座に厨房から飛び出してきたクフェーナに追いかけまわされていた。
カトラリーで遊ぶなってことかな。
二匹の追いかけっこを眺めていたら、ふわんと良い香りが漂ってきた。
食事の時間には大分早いのに、小さい魔蟲が白い布の端を持って飛んできて、いつも食事をとっている丸いテーブルにふわりと掛ける。クフェーナが取り戻してきたカトラリーをその上に並べたかと思えば、厨房から平皿を持ち上げたコルトゥラたちが現れた。
ごとりと置かれたその皿の上。どこかで「ひぃっ」と声が聞こえた気がしたが、それが自分の口の中から発せられたものなのか、しがみ付いてきたヴェヒターによるものなのか判断がつかなかった。
「く、熊……!?」
「い、いや……熊を象った菓子、だそうだ」
震えながらヴェヒターが告げた内容に驚いて皿の上の物体を見る。
皿の上には、熊の頭部が乗っていた。
黒々とした毛は堅そうで、けれど艶々と輝いている。
目玉部分は白い。カッと開いた口からはべろりと赤く長い舌がだらしなく出ていた。
「これ……あの熊……?」
だらしなく出た舌もそうだが、頭部のあちこちに魔石を模したのだろう色とりどりの丸い物が埋め込まれているのでたぶん間違いない。
「た、確かに似ておるが…」
ドン引きしているヴェヒターは珍しいが、わたしも腰が引けている。
彩りなのか、熊菓子の周囲に赤いソースがかけられているのがまた禍々しさを増している。
スッとコルトゥラが近づいてきて、ヴェヒターがふむふむと何やら聞いている。
「えーとだな、『小麦粉と卵を使った生地で土台を焼いたのと中身のソースはコルトゥラ隊。飴細工で熊を再現したのがクフェーナ隊。臨場感あふれる熊の詳細を伝えたのがイルメルダ』…という合作だそうだ」
「はぁ…」
「『どうぞ召し上がれ!』と言うておる」
「マジか」
小さな魔蟲たちに促されるまま椅子に座ったら熊との距離が縮まった。ひぃ。
飴細工だと言われれば、なんと繊細な手法であるかと感嘆してもおかしくはない出来だ。
飴細工は主に貴族が食べる。
美しい鳥や花など趣向を凝らして贅沢品である甘味を目でも楽しむという類のアレだ。
お高い店先に並んでいたアレだよ。
きれいでも腹は膨れないよなとか思っていたアレだってよ!
共通点は飴のみだけどね!!?
慄くわたしの手にカトラリーを持たせようとしてくるクフェーナ。いつになく強硬だ。
「なにこの状況!」
「むぅ…、その、厄落としのつもり、らしい」
「禍々しさを放つ熊頭の菓子が!?」
指を丸めた手の中の隙間にカトラリーが入れられ、クフェーナによってギュギュッと握らされた。細い脚なのに力があるな!
「その身に降りかかった災厄を乗り越えてほしいと考えられた心づくしのもてなし。さすが女子力を誇るだけある。素晴らしきことかな」
「さっきヴェヒターもドン引きしていたよね!?」
「そんなことはない。決して言わされているわけではないのだ」
ヴェヒターの背後にコルトゥラがいる!明らかに脅されているよね!?
ゴトッ
「ひぃっ!?」
熊が動いた!――――と思ったら、皿をこちらに押してくる半透明の姿が見えた。
一点の染みもない真っ白な布の上。まるで生首を乗っけたかのような皿。
それを押すイルメルダ。テーブルの端でぷるぷる震えつつ直立不動のヴェヒターと背後にぴったりくっつくコルトゥラ。手からカトラリーが離れぬようにしているクフェーナ。
そして、一定の距離を保ってこちらを窺う小さな魔蟲たち。
包囲されているだと……!?
だが、ここで思い通りに動くのはなんか癪に障る。
「えーとぉ、わたし今は何か食べたい気分じゃないんでぇ…」
やんわりお断りを入れたがクフェーナがゆるゆると頭を横に振る。
「ルイン、覚悟を決めた方が良い」
たぶん味はそう悪くないであろう、と続けられ、ヴェヒターを睨みつける。他人事だと思って好き勝手言うな!
皿の上に視線を映せば、虚ろな白い目と真っ赤な長い舌がお迎えしてくれる。
……嫌だ。なんか嫌だ。心情的に嫌なものは嫌だ。
ぷるぷる頭を振っていたら、焦ったように「ルイン!」と叫ばれた。
「『やはり本物がよろしいですか?』とか言うておる!『どこにあろうとも必ずや奪ってまいります』とか言うておるぞ!?菓子であるうちに食そう!それが良い!!………いや、止めよ!具体的な調理法とか我聞きたくない!!中身繰り出す専用刃物など知るか!!」
「わぁ―――い!すっごい美味しそういただきまぁぁぁす!!!」
カトラリー刺した瞬間に中からドロッと赤いソース出てきたけど、ちゃんと食べた。
「うぅ……」
こんなに甘い菓子をたくさん食べたのは初めてで、ぐったりとソファにもたれかかった。
その背もたれの上にぐったりと伸びているのは疲れたヴェヒターだ。精神的に疲れたとか呟いている。
綺麗に片付けられていくテーブルと忙しく働く魔蟲たちをぼんやりと眺めた。
「…本当に、いったいなんだったんだ……」
「うむ……、あやつらが得た知識の中に、そのようなものがあったのであろう……」
我も驚いた、というヴェヒターは、そういえばコルトゥラたちとは同胞ではあるが種族が違うようなんだったと思い出す。……よくわからない関係性だ。
どこかの国の風習か何かなのか。なんにしても迷惑だ。そんな風習がある国に生まれなくて良かった。嫌なことがある度にそれ自体か象った物を食べて乗り越えた気分になるとかわたしには無理だ。
……そう考えれば、最初から本物の熊を出されなかっただけマシ、なのか……?
「まぁ、良いのではないか?イルメルダも少々元気になったように見える」
最近イルメルダの元気がなかったのだそうだ。それもこれも、熊を持ってきたのがイルメルダだったから。熊の件でわたしが落ち込むことになったことを気に病んでいたという。
「……そうなんですか…」
別にイルメルダのせいだと考えもしなかったから、まさかイルメルダが負い目を感じているという発想がなかった。運というか間が悪かっただけだし、ギルドに丸投げすると判断したのは自分だ。イルメルダが気にすることなんて全然ないのに。
「ルインがイルメルダを責めておらぬのは態度から伝わっておった。あとはイルメルダ自身の問題であるからな」
「…あとで、イルメルダとお話したいんですが、手伝ってくれます?」
「勿論構わぬぞ」
イルメルダに気にしないで良いからねと伝えてもらうと、くるくるしながら姿を消した。照れたらしい。
もともと蜂たちは、集めた花蜜を奪っていく熊や竜などの大型獣が嫌いで。ただでさえ印象が悪い熊相手に失態を犯したと思ったイルメルダは静かに落ち込んでいて、それを見たコルトゥラたちがどうにかしようと知恵を出し合った結果が例の厄落としだったという。
………仲が良いのは実に良いことだね。
厄落としというよりも、元々気に喰わない熊への八つ当たりも兼ねていて、わたしはそれに巻き込まれただけのような気がしないでもない。
魔蟲たちが花蜜を貪っているその端に、元気になったらしい半透明の身体が見え隠れしている。
……まぁ、熊をやっつけた気分になった気もしないでもない。まだむかむかする胃を抑えながら、わたしは午睡に洒落込んだ。