お出かけは扉からがいいです(切望)
大きく伸びをしたらバキボキとあちこちから音が鳴った。深呼吸すれば鼻腔をくすぐるのは階下から漂う朝食の匂いだ。
依頼期日が差し迫っていた中、昼夜問わず頑張ったおかげで無事に傷薬は出来上がった。個数も品質も完璧。期日の三日前に仕上げておくとか、よくやった。おかげで身体はガタガタ筋肉痛もひどいが気分は良い。少し仮眠をとったから納品に出かける程度には回復した。
「お出かけだな!そうだな!?」
既に片足を革袋に突っ込んでいるヴェヒターには呆れるが、そういえば五日くらい外に出ていない。食事や睡眠、トイレ以外はほぼ調合室に籠りっぱなしだった。ヴェヒターはずっと調合室にいたわけではないが外出はしなかったようなので、やっぱり外に出たかったのだろう。何度か外を散歩でもしてきたらと水を向けたが頑なに断られた。
「コルトゥラ、クフェーナ、ご飯ごちそうさまでした」
二匹はわたしが籠っている間、手早く食べられるように工夫してくれた。正直とても助かった。以前の職場よりもよほど人間らしい生活を送っている事実と、それが魔生物によってもたらされているという現実に何も思わないわけではない。ないが、それはそれ、これはこれだ。謝意を示すくらいのことで恩恵にあやかれるというのであれば、いくらでも示そうではないか。
納品する傷薬を確認し、箱に入れて出かける支度をする。
ここで一つ問題発生。傷薬を入れた箱は両手で持つ。そうすると、腰帯に下げるヴェヒター入り革袋にぶつかってしまう。
「ヴェヒター、今日は飛んでいきませんかねぇ?」
「えー」
……同意が得られなかった。いっそ置いて行こうかと思ったが、帰って来たときにとても鬱陶しい感じになっていそうだと思い直し、革袋の位置を調整する。
「……あれ?」
扉を開けようとしたわたしは首を傾げる。堅くて開かないのだ。筋肉痛のせいで力が入らないのかと思ったが、そうではない。これはごく普通の扉だ。分厚い木の板を出入り口に合わせた枚数分だけ金具で留めたものなので、端の方は板の長さが合っていないことが多く、そのために隙間風が入るというごく一般的な扉だ。その隙間がなくなっている。いや、隙間どころか――――――ほぼ壁と同一化していた。
「………ヴェヒター」
「うむ?」
「……………魔改造しましたよね?」
問いではない。確認だ。
いつでもその身体をキュッとできるように手に持っていた箱を床に置いた。
革袋の中で触覚を揺らしながら「むー?」と何首を傾げた後、ヴェヒターは「おお!」と声を上げた。
「そうだ!我、ルインの為に頑張ったのだぞ!」
「そうですかぁ……。被害の詳細…いえ、何をどれだけどんな方向で頑張ったのか教えていただけますかねぇー」
「我の活躍を聞きたいのだな!」
わたしが調合の為に部屋に籠ってすぐ、来客があった。小さな魔蟲からそれを伝え聞いたヴェヒターは、調合の邪魔をしてはいけないと思い玄関に向かったが、ドンドン扉を叩く音に苛立ったコルトゥラやクフェーナが刃を持ちだしたのを見て、ふと思い出した。
ルインが、なるべく穏便にしろと願っていたな、と。
その旨を伝えてどうにか刃を納めさせ、魔蟲たちは話し合う。小さな頭を寄せ、たまにダンスを交えながら様々な意見を出し合った。
「幸いにして、玄関での喧騒はルインの元へ届かなかったようだが、さりとてそれも時間の問題。そこで我は考えた。―――――――とりあえず外の音が聞こえなければいいんじゃね?と……」
話し合った結論がそれか……!
頭が痛くなってきた。いや、相手は魔生物。まともな思考回路を求める方が悪い気がしてきた。え、これ私が悪いの?「なるべく穏便に」という考えを持ってくれただけでも喜ぶべきなの?
「そこで我は、遮音・防音・吸音に適した物で覆ってみることにしたのだ。樹液と我の分泌液を混ぜ合わせたモノで調整していたところへ、コルトゥラやイルメルダが防寒性や防御性を要求しおってなぁ……いやはや、久々に一苦労であったぞ!なんとか出来上がったので、羽虫共総動員で外壁コーティングを施した!遮音・防音・吸音・防寒に加え、槍も通さぬ防御性もさることながら、やはり大気中の魔素や酸素の通気性はきっちり確保してあるところがポイントであるな!」
「へぇー………」
「さあ!褒めるが良い!」
むん、と胸を張ったヴェヒター。気づけばあちこちからこちらを窺っている小さな魔蟲たち。
色々理解の及ばないこともあるが、今もっとも気になることを聞きたい。
「どこから出入りするんですか?」
「これは異なことを言う!ほれ、天井付近に出入り口が―――――――――――――………………………………」
ぴたりとヴェヒターの動きが止まった。
確かにある。壁の上の方に空気の通り道として備わっている丸く小さな窓が。普段から魔蟲たちがよく出入りしているソレは知っているよ。
わたしはフッと遠い目をした。視界の端で、小さな魔蟲たちがざわめいている。
「念のため、……本当に念のため言っておきますが……そこからわたしは出られませんからね?」
物理的にな!
疲労の為か、怒りも湧いてこないわたしは低い笑いを抑えられない。なにこれ。ちょっと調合室に籠っていたら強制的な軟禁状態になったよ。意味わかんない。コーティングだって。密閉家屋。うふふふふ。
「ルイン!気を確かに!!」
現実逃避気味に笑い出したわたしにヴェヒターがその細い前脚で服を掴んで揺する。小さな魔蟲たちが遠巻きにしながらカタカタ震えていた。
「嬢ちゃん!やっと来やがったな!?とんでもないもん押し付けて消えやがって!!使い出しても何故か無理でしたとか言って帰ってくるし、俺の仕事は増えるばかりだし――――――――って、……おい、大丈夫か…?」
目が合った瞬間に怒鳴って来たダリウスだったが、具合の悪そうなわたしに気づくや戸惑ったように目を瞬いた。
革袋から心配そうにこちらを見上げる蜂も一応気遣っているという部分では同じだが、そもそもの原因なので決して数に入れてはならない。
図らずも自宅に軟禁されていたわたし。だが問題はその後にも起きた。
うふうふと現実逃避をしていたわたしに、魔蟲共は一斉に襲い掛かった。そして、わたしをムリヤリ―――――――……
思い出しただけで身震いする。眉根を寄せるダリウスが視界に入るが外面を張り付けることもできやしない。
コーティングとか言って家を密封しやがったあの魔蟲ども。人間が出入りできなくなった事実に焦ったのか、とにかくまずはわたしを外へ出そうと魔蟲共は色々考えた、らしい。コーティングから免れ、且つ、わたしが通れる場所――――――……。結果、奴らは、わたしの部屋でもある屋根裏の天窓を選び、即実行した。
突然無数の魔蟲に群がられる恐怖を想像してみてほしい。服の端が掴まれるのと同時に引っ張られて首を始めあちこちが絞まる感覚。悲鳴を上げる生地。脳裏に浮かぶ、先日丁重にヴェヒターにお断りした“ひとっ飛び”というセリフ。身体が宙に浮く慣れない感覚。自分の意志とは関係なく連れ去られる身体。小さな魔蟲たちが開けようと奮闘している天窓が徐々に近づいてくる焦燥感。
恐怖以外の何物でもない。
どうにか無事に地面と再会したわたしが理解したことは唯一つ―――――――――無理。人は空飛ばない。今後そんな機会があったとしても断固として拒否する。
「嬢ちゃん……もしかして熊に襲われたショックで……」
密閉家屋からの脱出を思い出してゲンナリしていたら、ダリウスが何やら呟いていた。なに?熊?そういえばおっさんに丸投げしたんだっけ。
どうやら来客とはギルドからの呼び出しだったらしい。ということは、元を正せば今回の騒動の一端はダリウスにある。大元は熊だけどその辺は気にしない。良し、これで貸し借り無しということにしてやろう。
ダリウスはわたしの表情がすぐれない理由を勝手に慮ってくれたらしく、「あんまり思い出したくないかもしれんが、後で話を聞かせてくれ。まずは依頼の品を確認しちまおう」と言った。
納品の確認をされている間中、ヴェヒターがしょんぼりチラチラこちらを見たり、家の方向を気にしたりしていた。
わたしたちが外出している間に、魔蟲たちが特殊樹液とやらを剥がすことになっている。
わたしが出入りできないと理解した魔蟲たちはしょんぼりしていたが、「すべて元に戻すのは大変だろうし苦労が報われないだろうから扉や窓といった部分がきちんと開けばそれで良いですよ」と伝えたところ、感動したように働きだした。
すべて剥がし、元通りにして無かったことにする?………そうしたらこの件でわたしが被った心的被害はいったい誰が補償してくれるというのだ。
ただ苦労して何も得られないなんて耐えられるわけがない。誰も補償してくれないのならば、自分でやろう。
壁が少し黒い何かで覆われた程度ならそれほど目立たないに違いない。今の時期でも結構隙間風が入るなぁと思っていたから、冬に向けた防寒の一種だと思えば良い。ついでに色々便利そうだし頑丈になる分は構わない。
「―――――よし、依頼は終了。ほい確認印。ギルドカード出せ。良し。報酬入れたぞ。じゃあ嬢ちゃんはこっちな。カリーナ、後は頼むぞ」
茶色い巻き毛の受付嬢はカリーナというらしい。初めて名を知った。
あれ?なんとなく睨まれている気がするなぁ……。
首を傾げながら、ダリウスの後ろについて行った。