嫌がらせだと信じていたけど違った
目を開けると、元気に室内を飛び回る蜂がいた。
「お目覚めか、ルイン。爽やかな朝であるな」
「……おはようございます…、えと、早いんですね…?」
夢じゃなかったことに愕然としつつ窓の外を見ればまだ暗い。夜明け前だ。
「不眠不休の城塞!それが我!!」
宙でビシッとポーズを決めた蜂だが、羽の動きまで止めたので当然落下する。床に落ちる直前にまた飛び出したけれど、そうまでしてポーズを決める必要はあるのだろうか。実に不可解だ。
「……朝から元気ですね…」
「我は常に元気である!」
まさか、常にこのテンションなのかと慄いているうちに、蜂は飛んでいった。
一人きりになったわたしは、使っていた布を畳んで片付けると身体を伸ばす。あちこちが痛むのでゆっくりと。
……昨日のわたしはまるでなってなかった。
疲れていた上に想定外すぎる出来事に、ついつい頭パーンしたが、それを差し引いてもあり得ない。
魔生物の戯言を頭から信じ、無防備に一つ屋根の下で眠るとか、本当に心底あり得ない。
知能の高い魔生物はずる賢い―――――――
そう評したのは、魔生物大好きな知人。その後に「そんなところも可愛いけどね。俺を振り回す小悪魔っぷり☆」と続くのだが、今は関係ないので割愛する。
魔蟲は、魔獣に比べれば危険度が少ないためか、あまり研究されていない。
魔生物学でも、魔獣よりも体格が小さく人間に対してもよほどのことが無いと攻撃してこないとか、森や山深くに行かないと見かけない――――といった程度しか教わっていない。
それを信じるならば、こちらから危害を加えなければ大丈夫ということになる。
ぽやんと脳裏に浮かんだのは、元気いっぱいに飛び回るおかしな蜂。
「……ずる賢いとは程遠く見えたけど……」
それが演技だったらと考えるとちょっと怖いかもしれない。
とりあえず、級友には無事に着いたことと蜂に関する質問を装った愚痴の手紙でも出そう。
家が余っているというなら魔蟲のいない家を紹介しろよという部分を特に強調しておく。
荷物から携帯食の堅パンを取り出し口に放り込む。水袋に直接口をつけ、二口分ほど含むとパンが柔らかくなるので咀嚼開始。品のなさ丸出しの食べ方だが手っ取り早いしここには咎める者などいないので構わない。
朝食を噛みしめながら手早く手紙を書き終える。相手の家は王都なので、送料もそれほどかからないだろう。向こうからは高いかもしれないけど。
財布の紐を緩めて中を覗くと、ため息しか出なかった。
「…家の中を確認しよう」
わたしの荷物は少ないが、残金も少ない。
生活に必要な物を確認して、よく考えて買い物をしなくてはいけない。
わたしがいた居間は結構広く、奥には大きな暖炉がある。傍の壁にテーブルや椅子がよけられていた。しっかりとした造りなのでこのまま使うことにする。敷物なんかは冬までにどうにかすれば良い。
暖炉脇の扉を開くと台所。大きな水瓶もある。棚の扉を開けると木の器と鍋をいくつか発見した。きちんと火を点けることもできたので調理も可能だ。大きな盥や籠も見つけた。
水瓶の横にある小さな裏口を開けると外に出られた。畑だったらしい区画があるが、雑草だらけだ。その端に井戸があった。蓋を開けて覗き込むと暗い奥に水が揺蕩っているのが確認できて少し安心して居間に戻った。
台所への扉とは反対側にもう一つ扉があった。寝室かと思っていたわたしは、部屋の中を見て、あっと驚きの声を上げた。
……調合室だ。
天秤、すり鉢、大きな鍋にそれに見合う竈。天井から幾つも下げられているのは薬草を乾燥させるザルだ。部屋の奥にある二つの扉の片方は氷室で、もう片方は棚がたくさんある保管庫だった。
器具はどれも古い形だし埃をかぶっているけれど壊れていないようだった。
壊れていないなら使える。
級友が、何故この家を紹介してくれたのか理解できた。
「疑ってごめんね…!」
魔蟲付きの家を紹介するとか絶対面白がっているんだと思っていた。
友情に厚く感謝である。愚痴満載だった手紙はきちんと書き直しておいた。
その後、屋根裏部屋に古ぼけたベッドを発見したので、藁の詰まった布団を陰干したり、掃除をしたりするうちにあっという間に陽は高くなっていった。
「何故ついてくるの…!?」
「知れたことを。職務である!」
知れてないよ!?意味わかんないよ!?
偵察。いや、監視なのか。
キリの良いところで片づけを中断し、外の用事を済ませようと扉を開けたわたしは、すぐに追跡者に気づいた。
徐々に迫ってくるブィーンという音。振り向けば一直線に向かってくるデカい蜂。戦慄である。
どうにか振り切りたく急いだものの、呆気なく追いつかれた。こちらは汗だくだというのに、まだまだ余裕がありそうな飛びっぷりを披露され、最終的に己がもてる全速力で走ったのは、無駄に体力を使っただけに終わる。
相手は魔生物。当然の結果だろう。
断じてわたしの足が遅いせいではない。悔しくなんてない。
結局、蜂を連れたまま目的地付近に着いてしまった。
ここへ来て、わたしは疑問を抱いた。
「……あの、見つかっても大丈夫なの…?」
「何故か?」
普通に考えて、町中に魔生物がいたらどうだろう。最低でも追い払おうとするだろう。武力があれば討伐しようとするかもしれない。
わたしがそう述べると、その魔生物である蜂はフンと胸を張った。
「安心されるがよい!我、ヴェヒターは孤高の門番にして守護者!我は無害でかわゆい虫であるぞ!!」
「えー…」
「かわゆい虫であるぞ!」
……これはもしや、かわゆいか否か判断しろという要求か。
わたしは空中に停止しているようにも見える蜂を見上げた。
くりっとした大きな黒い目。黄と黒を基調とした身体は、どことなく白っぽいもこもこふわふわの毛で覆われている。視認できないほど素早く動いている羽は、薄く綺麗な半透明だ。
ここでヴェヒターがくるりと一回転した。あたかも、自分の魅力はそのぷっくりした縞々のお尻にあるかというように。目の前で、ぷっくりしたお尻が可愛らしく揺れる。
「如何か?」
「えぇっと……。虫好きな方から見れば……、愛らしいかも…?」
あくまで、虫好き限定としか言いようがない。
虫が嫌いな人間は、何がどうなっていようが関係なく嫌いだからね。生理的に無理って人もいるだろう。
わたしは自分が不快な目に合わない限りは気にしない。わたしのそれは許容できる範囲が広いというより自分以外全般に興味が薄いというのだと指摘されたことがある。
曖昧に濁した返答だったにも関わらず、蜂は満足したように空中でくるくる回転した。
わたしが述べたのは、あくまで普通の虫に対する一般的見解であり、魔生物に分類される蟲についてではない。
しかし、この蜂が珍しい個体だということだけはわかる。
「……意思疎通が可能な魔生物って、高値で売れたりしそうですよね」
「!?」
知らないけど。少なくとも知人の魔生物大好き男は大喜びすると思う。
え、売り飛ばそうだなんて考えてないよ?うん。
「いたぞ!」
突然、武器や網を手にした男たちが姿を現わした。
「あの子です!魔蟲に追いかけられていたの!」
髪を振り乱した婦人が指さしたのは、残念なことにわたしだった。
小首を傾げる風情の魔蟲が恨めしい。
わたしは天を仰いだ。