少年に感謝される
ギルドでは相変わらず受付嬢に避けられている。何度かヴェヒターを接触させて遊……慣れさせようと企てたせいだろうか。
「何故我は嫌われておるのか…。こんなにかわゆいのに…」
「そうですねー。虫が嫌いな人はどこにでもいますからねー」
適当な返事をしているうちに、受付嬢に呼ばれてダリウスがやってきた。
「こんにちは、ダリウスさん」
「よう、嬢ちゃん。ティオーヌは今日は戻ってこないぜ」
相変わらず奔走しているらしいので、また明日出直すことにした。ダリウスが「…あのよ、この間、ティオーヌが俺の指……いや、なんでもない…」などとごにょごにょ言っていた気がするが、聞こえない。わたしは何も聞いていないぞ。
「時間があるならば食材の買い出しは如何か?少なくなってきたと話しておったぞ」
「そうですか…」
それならば市場に行こうかな。……でも少し引っかかる。
「……そんなに気にかけてもらわなくっても大丈夫ですよ」
仕事に明け暮れて気が付けば家に食べ物がなかったなんてことは良くある。家の備蓄が無くなってから買い出しに行っても全然かまわない。事細かくわたしの世話を焼こうとしなくたって大丈夫なのだ。
ヴェヒターはゆっくりと頭を横に振った。
「材料がなくなると、武力を用いて来るおそれがあるぞ」
「……はい?」
「我には、多くの戦利品を抱えて巣に戻ってくるアヤツらしか思い浮かばぬ」
「………」
理解に追いつかないのでそれ以上の思考は止めた。
……材料を切らさなければいい。ただそれだけのこと。
目的を定めればあとは実行するだけだ。無言で市場へ向かう足を速めた。
市場には何度か来ているためか、ヴェヒターがアレが欲しいこれが欲しいと指示してくる。基本的に食材であるので、コルトゥラたちから頼まれたに違いない。特段断る理由もないので言われるままに買い求めれば、すぐに袋いっぱいになった。
「あれ、花蜜?」
それに気づいたのは、異国から運ばれたという商品を眺めているときだった。
高い棚の上、商人に近い場所に置かれたそれは、透明度の高い瓶に詰められ、周囲を繊細な文様の細工で囲まれていた。
「一夜にして竜に滅ぼされた幻の国イェルクハンス。これはその昔イェルクハンスで採られたという花蜜だ。その証拠にこの花蜜は腐りもせずに当時のまま!蓋を開ければ失われて久しいイェルクハンスの香りを感じることができるでしょう」
商人の口上に興味を持った客のひとりが「開けてみろ」と囃し立てるが、商人はにこにこしながら首を横に振る。
「何を仰るお客人、蓋を開けた途端この中に込められた当時のままの風味が夢と共に飛び立ってしまう。これはこのままの姿が最もふさわしい。浪漫というやつですよ!さぁさぁ、お次の品は、隣の国からやってきました――――」
最近身近になっていたので、花蜜と聞いてつい聞き入ってしまった。
イェルクハンスは今やどこにあったのかも確かではないほど昔の国だ。
「…本物だとしても、食べたらお腹壊しちゃうんじゃないかな…」
「そこはほれ、あの者も言っていた通り浪漫とかいうやつなのであろうよ」
うぅむ、理解できない。
荷物を背負って歩き出そうとすると、目の前に少年が立ち塞がった。
「あなた、魔蟲のルインでしょう?」
「ただのルインですよ?」
強めに答えると、少年は目をぱちくりさせた。サッと上から下まで一瞥する。手入れの行き届いた柔らかそうな黄金色の髪。日に焼けたことの無い白い肌。小奇麗な衣服。
裕福な家の子どもであることは間違いないが、お目付け役のような大人がいない。
「………お一人ですか?」
「そうだよ。少しだけね」
黙って抜け出してきたのか、少年は少しだけ視線を彷徨わせた。
「あなたのつくる蜜飴がとても好きだから、一度あなたにお礼が言いたかったんだ。まさか今日会えるとは思わなかったけれど、魔蟲を連れているって聞いてたからすぐにわかったよ」
「そうですか」
「うん。これがあなたの魔蟲?かわいいねぇ。大人しいんだねぇ」
キラキラした目で見つめられ、ヴェヒターもまんざらでもない様子。
「そうであろう、かわゆいであろう!」とか思っているに違いない。
「蜜飴は甘くて食べやすいから、毎日食べているんだ。最近調子が良いのも蜜飴のおかげだって皆に言って、宣伝しているんだよ!」
「まぁ、そうなんですか?喜んでいただけて光栄です」
にこりと返事をしておく。
毎日だと…?高価で、しかも貴族中心に普及している筈の蜜飴を?
やはり貴族の子どもかと焦ったとき、少年が「あ!」と声を上げた。
「見つかっちゃった。戻らないと。本当にありがとうね。さようなら!」
「あ、はい…さようなら」
身を翻すと、少年は背の高いマント姿の男の元へ駆けて行った。じっと見ていると、一言二言叱られている様子だったので、なんとなく安堵して視線を外す。
「見どころのある少年であったな…!」
上機嫌に揺れるヴェヒターの触覚を見ながら帰途に着く。
それよりも、子どもの耳に入るほど製作者とされているわたしの名前が広がっているのだろうか。ちょっと嫌だな。
「ルインは嬉しくないのか?」
黒い目が革袋からわたしを見上げていた。
この蜂はいったい何を言っているのか。
魔蟲たちの上前をはねている身。今受けている評価は基本的に間違っているのだから感謝されて喜ぶなんてお門違い。さすがのわたしだってそれくらいは弁えているんだからな?
そうだ、感謝されたこと、蜂たちに伝えておこう。
我ながら、珍しく殊勝な気持ちを抱いたことがちょっとだけおかしくなった。
帰宅後、魔蟲たちに感謝されたことを伝えてみたが、反応はイマイチだった。そして何故か部屋の隅でヴェヒターを中心に円を形成した。
「どのような反応を返すのが正解か?それは難しい問題であるが、其の方らを喜ばせたい気持ちが生まれたことこそ進歩であるので喜んでおけば良いのではないか?」
「見知らぬ第三者など葉っぱ以下?お主、それは言い過ぎであるぞ」
「なに?何ダンスが相当か?……むむぅ……。喜びダンス其の十二くらいかのぅ……。そこまでではない?では十四あたりで……」
何やら頷き合った蜂たちが、くるりと向きを変えると整列し始めた。
「ルイン、これから喜びダンスを披露いたすぞ!」
接待ダンスは全面禁止の方向でお願いします。
明日は13時に投稿します。