チンピラに絡まれた
「黒髪に沼色の目、革袋に魔蟲を入れて歩いているなんてヤツ、他にいねぇだろ!」
「そうだそうだ!」
なんか柄の悪いのに絡まれた。わたしが何をしたって言うんだ。そして沼色って言うな。これは落ち着いた深い水底系の緑色というんだよ!
絡んできたのは、粗野な口調の男とひょろりと背の高い男。この組み合わせ、何回かギルドにいるのを見かけたことがある。腕はそこそこだがあまりやる気がないようで、少し稼いではふらふらしているのだとダリウスが言っていた。
「聞いたよ。あんた結構稼いでいるんだってな。一人歩きは物騒だぜ。俺達が行き帰り護衛してやるよ」
「まさか断ったりしないよな」
男たちを前に、しばし思案する。
これは俗にいうチンピラか。
何せ大金なんぞ生まれてこの方手に入れたことがなかったので、大金を手にするとこうした面倒がついて回るということを失念――――いや、見誤っていたかもしれない。
それはともかく、この現状だ。わたしの体力では走って逃げ切れる可能性は極めて低い。
「…あの、困ります……」
眉を下げ、困り切った表情で胸元を手で押さえる。これが他者の視線がある場所なら、困っている様子から助けに入ってくれそうなものだが、残念ながら周囲に人の気配がない。
ならば 正攻法で。
「契約は、ギルドを通さないと……」
「だからさ、そういう堅苦しいのじゃなくて、個人間での契約しようぜ。な?」
「そうそう、手数料とられるの馬鹿らしいだろ?」
ギルドを通すといくらか手数料がかかる。けれどそれは契約中に不当な扱いがあった際ギルドが仲介してくれる保険でもあるのだ。
わたしのランクが低いからそういうことを知らないと思っているのかもしれない。知っているからね?契約書とか説明書とか隅々まで読むタイプだから。
個人間契約の利点やら己の売りやらをべらべらと喋る男たちを前に強張った笑みを浮かべながら、ヴェヒターが入った革袋とは別の袋にそっと手を這わせる。
……毒草袋しかないなぁ……。
これはその辺に生えている毒草数種類を絶妙にブレンドした一品である。ただし、未だ威力確認をしていない。
散策する際に魔物に遭遇したら使うつもりで急きょ作成したものの、蜜飴の方が忙しくなり、そのまま放置したっきりだった。痺れて動けなくなる程度ならいいが、失明したりおかしな副作用が出る可能性が無きにしも非ず。
頭に浮かぶのはティオーヌやダリウスといったギルドの面々。
うーん。流石にここで効果不明の毒草袋ぶちまけたら牢屋行きは免れないよねぇ……。それも、ギルド預かりとかじゃなく、マジもんの兵士の方な。死なれても困る。死体は苦手だ。
家で働く蜂たちを思い浮かべる。
……うぅーん……。家までついてこられて、集中攻撃とか受けたら死にそうだなぁ…。ナイフを持って追いかけそう。……死ななくても、ペット名目が丸つぶれだな。危険だって騒がれると困る。
やはりここでなんとか振り切りたい。しかし、やんわり遠回しに断っても、ハッキリ断っても、まったく諦める気配のない。
だんだん疲れてきた……。その熱意を他に向ければもっとギルドランク上がっていると思うよ?
ふぅと小さく息を吐く。
ここに眠り粉(特)があればためらいなく使ったのに。
眠り粉は、その名の通り主に小型魔生物を数時間ほど眠らせる効果がある。ただし、人間にはほとんど効かない。
わたしが言う眠り粉(特)は、その昔、知人と開発した大型魔獣を眠らせる特性眠り薬のことだ。大型魔獣に効くのだから人間にも効く。
ちなみに、知人は「これで憧れのあの魔生物を捕獲する…!」と息巻いていた。
護身用にとても良いと思ったのだが、人間相手に使うのは禁止されていて、使いどころが無く、結局知人にすべて譲った。独特の匂いを発生するので使えばすぐにわかってしまうのだ。
「なぁ、俺達と組もうぜ。悪いようにはしねぇからよ」
距離を詰めてきた粗野な口調の男の腕が、肩に回されそうになったとき。
「…っ…痛っ?」
訝しげな表情をした直後、己の首に手をやった男がその場に崩れ落ちる。
「おい、ロビー、何ふざけてんだよ」
一歩足を踏み出したものの、背の高い男もうめき声をあげてその場に崩れた。
「え?ええ?」
一瞬のことに唖然としていると、下から声が聞こえた。
「まったく、礼儀のなっておらぬ輩である!」
ぷんぷんと怒るヴェヒター。ヴェヒターが何かやったのか。未だ革袋に収まっている状態で…?
「ヴェヒターがやったの……?」
「我は無害でかわゆい虫であるからな!その質問の答えは否である!」
「……じゃあ何で…?」
ヤバイ感染症か何かかと青褪めれば、それも違うと蜂が言う。
「イルメルダの仕業である!」
「いや、誰だよ」
思わず素が出てしまった。いけない、いけない。呼吸を整えるわたしを放ってヴェヒターは言葉を発する。
「イルメルダは羽音を発生させずに移動可能となった唯一の同胞である」
「え、ブンブンいわないの?」
「保護色を身に纏う術に特化したものであるな!」
「……保護色?」
「音もたてずに近づいて一撃必殺の技を磨」
「ちょっと待った」
ヴェヒターの顔を手で覆い、物理的に黙らせた。
恐々と倒れている二人の男に視線を向ける。……まさか死んでいるのか。
近づいて確認しようとすると、ぶるぶる頭を振って自由になったヴェヒターがそれを止めた。
「ルイン、ルイン!安心召されよ、生きておるとイルメルダが申しておる!」
「……生きてる?」
ていうか、イルメルダどこだよ。
周囲を見渡しても、草木しか見えないが、ヴェヒターには問題なく相手がわかっているようだ。
「ルインは血生臭いことを好まぬであろう?故にイルメルダはちょっとなーと却下しておったのだが、なんとあやつ、己が象徴でもある武器を殺傷能力の無いものに変えて来おった。その心意気や善し!」
「…………よくわかんないんですけど、ええと、わたしが困っているところを助けてもらった、ってことなんですよね?」
「うむうむ!ルインを困らせるとはまこと悪しき者どもよ!成敗いたすが道理である!!」
………この蜂、割と危険思考な気がしてきたぞ。
上機嫌で今にも歌い出しそうなヴェヒターを半眼で眺めつつ、わたしは再度男たちに近づいた。
ロビーと呼ばれた男が抑えようとした手が中途半端に首に添えられている。その首の一部が赤く腫れていた。もう一人の男の首を見れば、同じような腫れがある。
「…これ、イルメルダが刺したのね…?」
大の男――――それも冒険者の端くれが、魔蟲に刺されて気絶したのか。
気絶するほどの毒性を持つ魔蟲。おまけに、ヴェヒターの言うことから察するに殺すことも可能なようだ。
気配も姿も悟られずに行動する魔蟲。これはかなり危険な生物なのでは……?
「……魔蟲との関係もここまでか……」
美味しい食事と清潔な生活に心惹かれはするが、危険生物を呼び寄せられるのは困る。逃げの一手しか浮かばない。
「ルイン、待つのだ!ここに至るイルメルダは危険ではないぞ!」
「いやどう考えても危険でしょう」
「何を申す!あのイルメルダが殺傷能力を極限まで抑えた弾丸を使っておるのだぞ!?」
「だんがん?」
「しかしてその実態は相手を眠らせるだけである!」
「……眠らせる…?」
言われてよくよく見れば、男たちは穏やかに寝息をたてていた。
眠らせることのできる魔蟲……だと?
それでは何か、イルメルダがいれば眠り粉(特)は必要ないということか。材料集めに苦労することもなく、緻密な作業を要する必要もない。法に禁止されてもいない。だって魔蟲だもの。魔生物だもの。たぶん山の奥からきたんだもの。法に縛られるわけがないじゃないの。
そこまで考え、わたしは頭を振ってその考えを追いやる。いかんいかん、目先の欲に走ったらだめだ。
「うむうむ!保護色を真っ赤に染めていたイルメルダが丸くなったものよ。これもまた成長であろう」
「真っ赤って何!?」
「む?………、むむぅ……………夕焼け?」
視線を逸らしながら言われても説得力皆無だからな!?
ドン引きしているわたしに気づいてか、革袋から出ている腕をパタパタさせる。
「イルメルダは割と時勢を読む方であるぞ!基本的には大人しい!イルメルダ、引っ込んでおらずに出てくるのだ!」
ヴェヒターの触覚が向く方角――――――一本の太い木に意識を向ける。その木陰の一部が歪んだ。
あれ?と思うのと同時に、おずおずといった体で木陰から魔蟲が姿を現わした。
ほっそりとした小さな肢体に細長く小さな羽。姿かたちは蜂のものだが、その体も羽も触覚も眼すらも半透明だ。暮れかけた夕日に照らされて、奇しくもさきほどヴェヒターが述べたように夕焼け色に染まっている。身体の前で脚をすり合わせている様子はもじもじしているようにしか見えない。
「イルメルダである!」
「………もしかしてなんか照れている?」
「うむ!照れ屋が元であのような進化を経た変わり者であるからな!」
まじまじと見つめていると、そっと視線を落とす仕草をした。
…………なんか、かわいい――――はっ!いやいやいや、相手は危険生物だ。騙されるな、わたし!
礼だけ告げて決別しよう。
「え、と、イルメルダ…助けてくれて、ありがとう」
一瞬硬直したあと、イルメルダはくるんくるんとその場で回転した。両脚で頬に当たる部分を抑えているのは、もしかして悶えているのだろうか。
口を開けてそれを眺めていると、いつの間に革袋から出たのか、ゆっくりとヴェヒターが近づいた。こうしてみると、イルメルダはヴェヒターの半分くらいの細さしかないことがわかる。
「イルメルダ、やはり其の方は戻るが良い」
イルメルダの回転が止まった。
「其の方自身にそのつもりがなくとも、其の方の存在は危険だと認識され、ひいてはルインに類が及ぶこととなる」
ちょ!?わたしを引き合いに出さないで!?
確かに、今問題視しているのはわたしだけどね!?
半ば陽が沈み、薄暗くなりつつある中で見えにくくなってきたイルメルダ。その半透明の眼が潤んだ、気がした。
「む?常に保護色を纏って姿を見せないようにする?気配を完全に絶つようにする?話しかけられなくても良い?存在自体無視してもらっても良い?姿を見せず音もたてず声も上げずひっそりと亡霊のように部屋の片隅に置いてもらえれば?しかしのう…」
「…………………ヴェヒター」
「む?」
振り向いたヴェヒターに、わたしは微笑みを向けた。おそろしく諦観のこもった目をしている自覚はある。
………仕方がないじゃないか。
そう、仕方がない。今更蜂が一匹増えることのなんの問題があるのだ。普段見えにくいなら見つからないようにすればいいじゃないの。そうそう、対象を眠らせることのできる能力って使いどころ満載だよね。うん。
決して、決して、言い募る内容が憐れすぎるとか思ったわけじゃないから!
健やかに寝息をたてる男二人に背を向け、とぼとぼ帰途に着くわたしの後ろを、半透明の蜂は静かについてきたようだった。