慣れって大事だよね
今日はギルドに行く。
革袋に在中のヴェヒター付きだ。
……先に述べておくが、断じて、そう、断じてわたしが強要したわけではない。
どれだけ静かに歩いても外に出た瞬間に見つかってしまう。それだけならまだしも、革袋を持ってきたヴェヒターは自らその中に入り込み、さぁ、首の辺りで革紐を絞るが良いと言わんばかりに黒い目で見上げてくるのだ。
何度か目の攻防の果て、わたしは諦めた。争っている時間がもったいない。時間というのは有限で、過ぎ去ったら戻ってこない何より貴重なものなのだ。
「あ!魔蟲!」
「これ、指さしちゃいけません」
……気にしない。気にしたら負けだ。
己に言い聞かせつつ、こそこそ道の端を歩き、ギルドの扉を開いた。
「お、嬢ちゃんじゃねぇか」
「ダリウスさん」
ダリウスは、ティオーヌと一緒にいた強面男だ。赤色の短髪と濃い緑の目をした、がっちりとした体格をしている。
いつも、わたしがギルドに入ると、茶色い髪の受付嬢がガタッと立ち上がり、わざわざダリウスを呼んでくるため、最初はまだ警戒されているのかと思っていたが、ちょっと違った。
受付嬢は、魔蟲付きのわたしが怖いのだ。怖いから、わざわざ探してでも他の人間に相手をさせている。おかげで、今やダリウスはわたし専用受付係と化している。
……仕事なのに、怖いからって他の人間に押し付けるとは……。
それが許されるのはやはり可愛いからなのか。そうなのか。
しかしわざわざ口に出して指摘したりしない。わたしは蟲と違って空気が読める。
「依頼はありませんか?」
「ウチの傷薬も補填したし…。活動期終わったばっかだからなぁ…」
多くの魔獣の活動期である春先は、どこの領地も魔獣狩りに奔走する。その分、怪我人が出るわけで、ギルドが買い取ってくれていたのは先の活動期で使用した分の傷薬だったのだ。
しかし、それ以降、薬関係の依頼は皆無である。
密かに焦っているのだけれど。
「ここらじゃ、薬が必要だったらマリーヤ婆さんの店に行くからな。さすがに大口注文は受け付けてねぇからウチはいつも王都に注文してたが……、王都に注文する前だったから嬢ちゃんの薬買うことができたんだ」
マリーヤ婆さんとは、昔からある薬屋を営む薬師だ。平民向けの薬なので効能は低いが評判が良く、少しくらいの体調不良ならば医者よりもそちらに行くという。まぁ、医者なんて高くていけないだろうけれど、要するにそれだけ信頼されている証だ。
対するこちらは新参者でうら若き少女でおまけに魔蟲付き。
……うん。どこにも勝てる要素はないね!くそぅ!
「薬以外の仕事も考えた方が良いですかねぇ…」
「嬢ちゃんに出来る仕事か……。薬師なんだから当然読み書きできるよな。薬師としてじゃなくても仕事はあるだろうが……、ギルドで信用積み重ねて紹介状でも出してもらえれば、どっかの商会とか貴族の元で働くってぇ手もなくもないが……」
ダリウスとわたしの視線が、腰帯に下げた革袋に集中した。視線を感じたのか、ヴェヒターは小首を傾げる。
魔蟲ごと受け入れてくれる職場を探すのは、新しい薬効がある植物を発見するより間違いなく難易度が高い。面接に行って速攻で落とされる自信がある。……いや、むしろ面接までこぎつけられるのか。魔蟲を飼う女とか字面からして不気味でしかない。わたしだったら会う気にもならん。
「あ、そうだ」
もう用はないが、どうせなので気になっていたことを聞いてみることにした。
周囲を見る余裕ができたから最近気づいたことだが、どことなく活気がないのだ。
王都と同じような広い道はきちんと整備されていて、町並みだってきれいだ。けれど、馬車が通ることは稀で、行き交う人もそう多くないし、何より元気がない。
市場なんかはもう少しにぎやかだけれど、それだけだ。
だけど、この領地は転移門が設置されている。転移門の設置が許される領地は数えるほど。そのどこも交易が盛んなはずだ。
わたしの疑問に、ダリウスは「ああ、」と納得したように頷いた。
「昔は、魔石の鉱脈があったんだよ」
自然豊かなこの領地に、ある日見つかった魔石の鉱脈。効率よく人と魔石を運ぶために転移門の設置が許可されたものの、急激に膨れ上がった領都は人と物でごった返し混乱していたため、領都から少し離れた場所に造られた。
ところが、長い年月の中で徐々に魔石の発掘量は減っていき、今は鉱脈としては用をなさず、時折鉱脈の中で大量の魔素を含み高質な魔石を抱く魔獣が生まれ外へ這い出てくるのを狩るだけだ。
「このギルドもその時に造られた。当時はギルドランキングで上位に入っていたそうだが、今じゃ依頼案件その他諸々含めて最下位を独走中だ。まぁ、だからこそ俺みたいなのでも潜り込めたんだけどよ。まぁ、引き際にはちょうど良かったかもなぁって思ってんだ」
元は冒険者だったダリウスは、怪我が元で引退したところを副ギルド長のティオーヌに拾われて助かったんだと笑う。その目元が若干赤い。
――――が、良い年したおっさんのはにかみなど、どうでもよろしい。
なんということだ……!
転移門が設置されるほどの領地なのだから栄えているに違いないと勝手に思い込んでいたのに、むしろ落ち目領地だよ!
いや、いつ行っても閑散としているギルドとか見て、なんとなくそうかもなーとか感じていたけども、現実にそうなのだと突きつけられるとやはりショックだ。栄えなければ雇用だって生まれない。
そこまで考えてハッとする。
だから簡単に転居願いが受理されたのか…!?
そういえば、ティオーヌも「わざわざ小領地に引っ越してくる者はいない」と言っていた。地方から王都への転居だと審査が厳しいけれど、逆はそうでもないんだなー、楽で良いなーとか思っていた過去の自分が恨めしい。
新たに持ち上がった問題に打ちひしがれながら、もしも傷薬が必要になったらわたしに依頼してくれると約束してくれたダリウスにどうにか笑顔で別れを告げた。
頑なにわたしを見ようともしない受付嬢のすぐ傍を通る際、ちょっと革袋を動かしたらヴェヒターの触覚が彼女の肘に触れた。直後、ギルド内に悲鳴が轟いたが、気にせず外へ出る。
こうやって少しずつ慣れていくと良いよね。わたしの親切心である。