思い出
桜並木の下を僕と君は歩く。
違った歩幅、違った手の感触、それが僕には心地いい。
今日は母の誕生日だ。
なにか贈り物をしてやろうとビールを選んだ。
母の好物である。
小恥ずかしい気持ちを抑え、歩いているとひらけた場所に到着した。
空は澄んだ青だった。
そういえば、あの日もこんな青だった…
✳︎
三年三組に所属している僕の席は、窓際の一番後ろ。
朝の教室は、勉強をしている者、昨日のテレビ、ゲーム、アイドル、音楽やらの話をしている者、追いかけっこをして注意されている者などでごった返していた。
僕はそういった馴れ合いを好む方ではなかったから耳を塞ぎ、本の世界に逃げ込んだ。
逃亡してから数分が経った頃、
「どーん!」
という園児並みの効果音と共に自分の体重が重くなったことを感じた。
僕は少し機嫌を悪そうにしてから、
「なんだよ、梨果」
内心数少ない友人に声をかけられ嬉々としているのだが、これが僕のキャラなのである。
すると、梨果が意地悪そうに、
「いやぁ、別にー?ただ○○が構って欲しそうだったから」
と僕の性格を承知の上で言って、僕の背中から退いた。
僕はそっぽを向いて、次こそ機嫌を悪くみせようとしていると、梨果が、
「ごめん!ごめんってばー!」
と僕の肩を掴んで揺らしてきた。
これはいつものことである。いわゆる日常だ。
僕がそう感じていると、
「おっ?なんだ、いつもの夫婦喧嘩か!」
とクラスの連中がさっきまでしていた話やらをやめて、こっちを向いて笑っていた。
クラスの連中と共に梨果も笑っていたが、
僕は顔を真っ赤にし、土竜にでもなったのか急に土に潜りたくなったが、案外このやりとりが楽しいのであった。
そして、鐘が鳴り皆席に着き担任が来てホームルームが始まった。
ホームルームの内容は受験のことだった。
その事を聞いて僕は少しドキッとしたが、クラスの連中のボケにより、クラス中がどっと笑い出し、僕の焦りはその場しのぎではあるが消滅した。
そして、ホームルームは終了し、一限目は僕の大嫌いな数学から始まった。
僕はそんな不快な気持ちのまま昼休みまでペンを握り続けた。
昼はいつも通り自分で朝作ってきた弁当を僕は食べ梨果は、パンで済ませた。
よく、学校中の者から「お前ら付き合ってんの?」と聞かれるが、僕はいつも「ただの幼なじみだよ」と答える。
しかし、梨果に人気がなければこんなことは聞かれないだろう。
そう、梨果はモテるのだ。
梨果は顔立ちも良ければ性格も良い、運動神経も良いし、面倒見も良い。
ただ一つ残念なところがあるとすれば勉学だ。
梨果は、死ぬほど勉強が苦手だ。
なんならもう死んでいるくらいには。
そんな梨果に僕はこの頃から惹かれていたのかもしれない。
昼休みが終了し、五限が始まった。
やはり、昼休みがあると気分が爽快となる。
午前の授業とは打って変わって、ペンが滑らかに動く。
身体も軽い。
しかも、六限目には僕の大好きな国語がある。
今日の授業では夏目漱石の「こころ」を読むらしい。
今か今かと待っていると五限目終了の鐘が鳴り、十分の休憩を挟んだ後、六限目が始まった。
僕は先生の合図を待ちきれず、「こころ」を読み始めた。
物語を読んでいる時が一番楽しいと、
いつの日からかそう思うようになっていた…
〝こんな楽しい時間がいつまでもつづけばいいのにな〟
と、ふと僕は考えた。
僕がこんな事を考えるのには訳がある。
僕の家は母子家庭なのである。
父親は僕が小さい頃に違う女と子供を作り、家を出て行ってしまった。
僕はどうして父が出て行ってしまったのか、その時は分からなかったが今は分かっている。
それに加え、僕には四つ上の兄がいる。
兄は美的センスに優れていて、芸術大学から声がかかり、今は芸術大学で学んでいる。
それは良い事なのだが、問題は学費だ。芸術大学は他の大学と比べてもかなり学費が高い。
それだけではなく、僕の家は地方にあるのだが芸術大学は首都圏にある。
つまり、兄は一人暮らしとなる。
ということは、兄の生活費も馬鹿にならない。
大部分は兄がバイトで稼ぐとしても、当然学びに支障をきたすまでは働けない。
その分を母が負担するのだ。
こういった事情により、僕の家は貧乏とまでは言わないが、他の家と比べるとかなり見劣るものがある。
それについて母はいつも「ごめんね」というのだが、僕はいつもそれに対して生返事だった。
正直そんなことどうでもよかった。
だから、そんな事を謝罪してくる母が少し腹立たしかった。
そんな少し気弱で働き者の母がいつも言ってきた言葉がある。
「本当に大事な時に、立ち止まらずに走れる人になりなさい」
僕にはこの言葉の意味が理解できなかった。
このような母と一緒にいる家の時間は嫌であるから僕はいつまでも物語の世界に没頭していたいと考えたのだ。
そんな事を夢か現か分からない状態で考えているといつのまにか意識を失っていた。
そして、数分が経った後、僕を呼ぶ声がした。
「乙女ぇ〜、八乙女ぇ…」
はっ、と目を覚ますとみんなの注目の的が僕であった。
僕は無意識のうちに寝てしまっていたのだ。
皆クスクスと笑っていた。
しかし、僕の羞恥はあまりなかったと思う。
そんなことよりも何故母の言葉を夢で見たのだろう。
ということばかり考えていたからだ。
それがこれから起こることの暗示だった事は確かだと思う。
六限とホームルーム終了し、帰宅の時間である。
教室には、受験勉強のため図書室に行く者、遊びに行く予定を立てている者、雑談をして帰らない者、恋人を待つ者など多種多様であった。
そんな中、梨果は僕の方に寄ってきて、
「一緒に帰ろ」
と言ってきた。
これもいつものことである。
僕は特に用事もなかったので、いつも通りに言った。
「あぁ、帰ろう」




