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神様の加筆修正

 アリアは行儀など気にしない調子でぺろりと舌をなめずった。幸い、暗い闇に閉ざされた路地裏ではそれを見咎める者などおらず、彼女は木箱の上で足を投げ出し標的が来るのをまだかまだかと待ち焦がれる。


 そうしてやがて、一人の男が薄暗い路地裏に姿を現した。酔っているのか、上機嫌で鼻歌まで歌いだしてしまいそうな喜色だ。


「あぁ?」



 男はアリアを視界にとらえると、下種びた笑みを浮かべながら短い足をせこせこと動かし彼女に詰め寄る。



「いくらだ?」

「いくらなら、いい?」



 無遠慮に細い腰を抱く腕の中、アリアは艶やかにほほ笑んだ。





「……イマイチ」



 人死の灰の中から1冊の本を拾い上げ、アリアは死ぬほどつまらなさそうにつぶやいた。彼女の手の中には1冊の黒い本と、銀で縁取られた装飾が煌めている。

 アリアは自分が慎重であると知っていた。その自覚に則り、丁重に下調べをしたし人気のない道を選んだ。それにしても簡単すぎる製本作業だ。

 ――名の知れた裏世界の人間だと聞いていたのに、簡単に懐に入れた。

 前評判では、アリアがたった今いとも簡単に製本してみせた男は、裏世界ではそこそこ有名な人物だと聞いていた。何でも、口八丁でありとあらゆる取引をまとめ、必要とあらば己の持てる限りを尽くして貴族すらも裸一貫にしてしまえるほどの男らしい。

 その割にはあっけなかったなとアリアは独り言ちる。



「んー、まあ、武力はないのかもしれないし」



 確かに前評判の通り、男の本はそこいらの農民と比べれば分厚く、文字がみっちりと詰まっていた。やはり濃厚な人生を経験した者の本はそれだけ厚くなり、脚色にも力が入るのか彼女の手に収まる本はずっしりと重い。



「読めばわかるか」



 そう呟いてアリアは、最後の仕上げと言わんばかりに人死の灰を蹴散らし、金を拾ってその場を後にした。


 王都モザニカを騒がす殺人鬼、それは紛れもなくアリアのことであった。

 わずか数年で図書館にある本を読みつくしたアリアは暇を持て余していた。決して蔵書の量が少なかったわけではない。高名な人物の物語は書き写され増刷されるためアリアの故郷でも読むことができる。つまりは、国内最大を誇る図書館でもアリアの読んだことのない本はほとんどが一般人のものしかなかったのだ。


 何も成していない者の人生はつまらない。いくら脚色されていたとしても、やはり本物を過ごした者には大きく劣る。

 だからアリアは、己の手で増やすことにしたのだ。本を。



「小隊長で、剣も中々、戦争経験もある、あと貴族。…………行けるかな?」



 路地裏に彼女の声が響く。その声は珍しく明るく、踊りだしてしまいそうに弾んでいた。





 スコットの顔の傷は耳にまで至り、彼の端正な顔を真新しい包帯が歪に彩っていた。顔に傷を受けるなど騎士としては恥ずべき行いではあったが、彼はあの夜の戦いに感謝すら覚えていた。

 ――慢心していた。

 齢18で騎士になり、24で腕利きたちを抑えて小隊長へと昇格したスコットの心に生まれていた油断を、あの襲撃者は見事に切り殺した。彼とて浮かれていたわけではないが、他の者より早い出世がいつの間にか過信に変わっていたことを気づかされた。


 彼の包帯が取れ、耳が歪につながる頃スコットは再びあの小さな影と相まみえる幸運を手にしていた。

 前回と同じく、スコットがひとりになるのを計ったかのように襲撃者は物陰から飛び出す。しかし己の力量をしかと見直したスコットには、不意打ちは通用せず襲撃者は星明りの下に引きずりだされた。



「……久方ぶりだな。俺と会わぬ間、何人殺した?」

「さあ、覚えてないね」



 闇で染め抜いたような外套の下からちらりと見える足は、今日はしっかりと編み上げられた革製のブーツを履いていた。足場を固めてきたせいか、先日よりも機動力があがり、斬撃に重さが乗っている。

 しかしそれでも、スコットを殺すには至らない。


 狭い路地裏で、長剣は彼の動きを大いに阻んだ。腕を伸ばし切ってしまえば石の壁で刃を削り、僅かなすきを作るだろう。襲撃者は能力や経験では圧倒的にスコットに劣ったが、立地という点では勝っている。

 くるくると踊るように外套に隠された刃が煌めき、スコットを襲う。



「頑張るね、ここまでもったのはお兄さんが初めてだ」



 はしゃぐ子供のような声で襲撃者は笑った。スコットにはそれがまるで命の取り合いを楽しんでいるようにも感じる。



「何故殺す!」

「何故守る?」



 ナイフと剣が交差するが、襲撃者とスコットでは力の差など一目瞭然。すぐに襲撃者が体ごと弾かれ、体をひねりながら腰を落として着地する。



「彼らは王都の民だ!」

「だけど、悪人だよ?」

「――――ッだから何だというのだ!」



 スコットの一撃を、襲撃者がひらりと重力を感じさせない動きでかわす。



「死んでるのはほとんど悪人、むしろ騎士様の手間が省けて良いと思うんだけど」

「例え罪人であっても、法の下に裁かれるべきではない。裁くのは、貴様ではない!」



 銀の刃はスコットの意思を通すように、襲撃者の頭部へと命中した。

 ――浅い!

 大きなフードと共に伐り飛ばされた闇色の髪が舞う。そして襲撃者の頬には、彼と同じように横一線に頬が裂け、赤黒い血が流れていた。襲撃者は頬の痛みに顔を歪め、左手で血を拭う。


 本来ならばスコットはそのすきを突き、襲撃者を殺すなり拘束するなりするべきだった。しかし彼は動けない。目の前にいる王都モザニカを騒がす殺人鬼、それはもう何日も顔を合わせていない彼の想い人その人だったから。



「……あれ? 驚かないね」

「驚いているさ」



 アリアは月に照らされながら美しくほほ笑んだ。スコットは衝撃から取りこぼしてしまいそうになっていた己の愛剣をきつく握りしめる。

 ――もしかしたら、とは思っていた。

 襲撃者と初めて刃を交えたあの日、ちらりと見えた靴にはどこか見覚えがある気がした。アリアと逢瀬を重ねるうちに、彼女の細い指にはいくつかの古傷があることにも気づいていた。背格好も、似ている。

 アリアは食事中さえ本を手放さない。だからこそ、彼女には人を殺す理由があった。


 傷が治るまでは怖がらせるから会いに行かない、そう言い訳しながらもスコットは自分の前に座り本を読む彼女に襲撃者が重なることを恐れた。だから彼は、逃げ出したのだ。



「俺は、信じていた。あなたがこんなことなどしないと。犯人を捕縛したら、いつも通りの日々に戻ると」

「ここで見逃してくれたら戻るかもしれないよ?」

「そんなことはできない、俺は騎士だ。それにあなたも、俺を殺すためにきたのだろう――アリア」



 スコットは乱れた心を落ち着かせるように大きく息を吐き、剣を構えた。

 対峙するアリアも笑みを深くして、ナイフを眼前に掲げる。


 どちらともなく地を蹴ると、路地裏に甲高い音が響き渡る。いつの間にか2本に増えていたアリアのナイフを避けながら、スコットは既に慣れつつある彼女の一挙一動に集中していた。

 アリアが大きく横に薙いだ刃を、スコットは身を低くすることでかわす。最小限の回避にとどめた彼の髪の房が星明りに照らされキラキラと空を舞った。低い位置から風を巻き込んで切り上げる長剣を、アリアは上半身を剃ることで躱しそのままの勢いで後方回転し彼から距離を取った。

 しかしそれを見越していたスコットは、相手に体勢を整える暇すら与えずに距離を詰め、袈裟懸けの一撃を放とうとする。



「――ッ」



 舌打ちしたのはスコットの方だった。アリアはとっさに身にまとっていた外套を彼の頭に被せ、視界を奪う。しかし狭い路地裏ではアリアの逃げ場などはなく、スコットはそのまま力任せに剣を振るった。

 肉を裂く柔らかい感触、骨の固さ、血の匂い。

 幾度となく経験した「人を殺す手ごたえ」にスコットは顔をしかめるが、お返しとばかりに彼の肩口に焼けるような痛みが走る。しかし今までの勢いを感じさせない弱弱しい力に、スコットは無言で顔にかかる布切れを捨て払った。



「……」

「…………どうして、そんな顔するの?」



 スコットの刃に貫かれたアリアは、真っ青な顔で笑った。彼女の胸元は真っ赤に染まり、致命傷であることを示している。

 彼女を壁に縫い留めるようにして突き刺さる剣を抜くと、アリアはそのまま重力に負けて壁を背に座り込む。肺に傷がついたのだろう、ゴホゴホとせき込む彼女の口からも生暖かい血が零れ落ちる。



「何故、こんなことを」



 スコットがようやく絞り出した言葉は、彼が最も彼女に問いたかったものではなかった。



「本が、読みたかったの」



 口に溜まる血を吐き捨て、彼女は恍惚とした表情でほほ笑む。



「ああ、残念。ここに新しい本が生まれるのに、私は読めないのね……」



 死の恐怖など全く感じていないアリアは、ただ本心を述べているように思えた。彼女は本当に、今から本になる自分の物語が読めないことが悔しいのだ。その事実に、スコットは刃を交わしているときよりもずっと肝が冷える。

 ――正気じゃない。



「ねぇ、君は読んでくれる? 私の、ものがた、り……を……」



 最後にそう言い残して、アリアの体は灰へと変わった。

 スコットは人死の灰の中から一冊の本を拾い上げる。その赤茶色い革の表紙でできた本には、「モザニカの製本者 アリア」とだけ書かれていた。




 美しい花には棘がある。王都モザニカに住む少女、アリアもまさに棘を持つ美しい花だった。絹糸を夜闇で染め抜いたかのような髪に、ルビーの瞳。小さな鼻とバラのつぼみのように色付いた唇は、まるで恋を知らぬ少女のように清らかで妖精のようだと騎士は讃えた。

 しかし彼女は棘を隠し持っていた。騎士さえ知らぬ棘――それは彼女を絞首台に送ったとしても完治することのできない、不治の病。


 知識欲。

 その恐ろしい病に取り憑かれた彼女は、手始めに過去を語ろうとしなかった両親を手にかけた。そうして生まれる2冊の新しい本。少女はその2冊をたっぷりと時間をかけて読み込み、鞄に入れて王都モザニカへと向かった。



 アリアの遺した本には、彼女の生涯が過大に脚色されて描かれていた。

 ――違う。彼女はこんな人間ではない。

 スコットは首を振る。本の中のアリアは、誰もが見惚れる程美しく、そして誰もが恐れる程残虐だった。

 彼とてアリアの全てを知っている訳ではない。どちらかと言えば、ほとんど知らないと言ってもいいだろう。しかし彼女は知識欲に取り憑かれた悪魔でも、血に酔った殺戮者でもない。闇に溶けたりもしないし、触れてもいないのに人を殺せない。


 そして何より――「あなたのこと、好きだったわ」などという、呪いのように甘い最期の言葉など遺していない。


 いつの間にか殺人鬼と町を守る騎士の悲恋物語に脚色されていたアリアの物語を、スコットは自嘲しながら暖炉へと投げ込んだ。

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