騎士という職業
スコットは肌触りの悪いシャツに身を包み、常連となりつつある定食屋の前へと来ていた。いつもならば軽快に押し開けるはずの扉を前に、彼は口をへの字に結ぶ。
意図的ではないとはいえ、スコットはアリアの秘密――とはいっても、彼女は隠す素振りすら見せなかったが――を知ってしまった。同時に、こうして平民の服を来て市井に身を紛れ込ませているスコットが騎士であることも、彼女には知られてしまっただろう。
悩みながらも彼は、その背の低い扉を開き頭を下げながら店内へと足を踏み入れる。昼食時、多くの客でごった返す店内には空席がなく、ウエイトレスもスコットに構う余裕などないように右へ左へと忙しく働いていた。
スコットは窓際の二人掛けの席へと迷うことなく足を進め、ひとりの少女へと声をかける。
「すまない、空席がないようだ。相席しても?」
「うん」
少女は持っている本から視線を外すことなく頷いた。スコットは手と手が触れ合ってしまいそうなほど小さなテーブルに置かれた、固い木の椅子に腰を下ろす。
アリアは彼に意識を裂くことをしようとはせずに、彼女の視線は活字を追う。
「お名前をうかがっても?」
「アリア」
一応スコットの存在を認識しているのか、アリアは簡潔すぎる言葉で彼に返事を返した。無視されると思っていたスコットは瞠目しながらも言葉を続ける。
「何故、あのような仕事を?」
「短い時間でお金を稼げるから」
「金に困っているのですか?」
「別に」
彼のぶしつけすぎる問いに、アリアは表情を変えることなく淡々と答える。
「私からも質問」
「どうぞ」
「騎士って人を殺す?」
「…………必要とあれば」
「戦場に出たことは?」
「あります」
「殺した相手の本はどうしたの?」
「そう、ですね……名だたる名将のものは回収するでしょう。戦功を証明するものですし」
「それって、貰える?」
本越しに、今日初めてアリアの瞳がスコットを捕らえた。
「希望すれば持ち帰ることもできますが、大抵は相手国に返還されます。形見ですから」
「そう、ならいい」
再びアリアの視線が本へと戻る。スコットは用意していた言葉を言うべきか言わざるべきが、運ばれてくる料理を横目に思案した。
相変わらずアリアは本を開いたまま固いパンをもそもそと頬張ってるし、そんな彼女を叱るエイミーの声も聞こえてくる。まるで昨日の出来事が嘘だったかのようないつも通りの日常であったが、アリアの前に座る己自身が昨日までとは違うことを示していた。
ぬるい水を喉の奥へと流し込み、料理が冷めるのを構わずスコットは緊張から粘りつく舌を動かす。
「あなたは、あのような仕事をすべきではない」
「……どうして?」
「若く、健康だからです。後ろ暗いこともないでしょう」
「うん」
「あの手の仕事には危険が付きまといます。普通の仕事をすればいい」
「……それって、君に関係あるの?」
「あります」
「どうして?」
「市民を守る、騎士だからです」
スコットがそう宣言すると、アリアは面白いものを見るようにくすりと笑った。初めて見るアリアの微笑みに、彼の頬が僅かに赤く染まる。
「私は別に必要に駆られてあの仕事をしている訳じゃない。拘束時間が短くて、お金がたくさんもらえる。あの仕事だったら、本を読む時間がたくさんできるの」
そういう仕事、他にあるのかな? とアリアは小さな口から赤い舌をのぞかせて、娼婦然とした妖美な色気をのぞかせた。
□
昼時の奇妙な同席は、それからも続いた。
ほとんどがスコットから他愛もない会話を振るばかりではあったが、アリアはそれを邪見にすることはなく淡々と返答を返す。二人が同じ席につくことが当然となりつつあったが、アリアの視線を本から引きはがせたのは最初の1度きりであった。
――進展がない。
こちらも最早日課となりつつあった夜半の見回り中に、スコットは小さくため息を吐く。彼は自分がアリアに惚れていることを自覚していたし、彼の恋心はアリアが娼婦に身をやつしていると知っても変わることなく燃え上がっていた。
1度、自分の家に来ないかと誘ったことがある。勇気を振り絞った彼の言葉に、アリアは小ばかにするように「本気じゃないよね?」と鼻で笑って見せた。つまりは、スコットはアリアの眼中にないのだ。
穏やかで幸福な日常をスコットが過ごしている間にも、失踪者は数を増やし始めた。便利屋たちだけではなく、世界を股にかける大商人すら姿を消している。
毎夜行われる巡回では、最近になってようやく手掛かりがつかめてきた。とはいっても、路地裏の隅に人一人分の灰が見つかっただけで、それが生前誰だったのかまではわからないし、襲撃者の姿を見た者もいない。
――早く捕えなくては。
スコットの中の小隊を任せられている責任感と、王都を守る騎士である誇りがめらめらと燃え上がる。先日発見された灰の残量から、時間的には今日こんにちの巡回は的外れではないだろう。人死じんしの灰は軽く、どんなに入り組んだ場所でもあっという間に風に巻き上げられて散ってしまうからだ。
そしてある日、神経をとがらせていたスコットの耳が何かの音を拾った。
その音が何かまではわからない。悲鳴か、剣騒か、あるいは魔術の破裂音なのか。しかし今までにない異変に、スコットは胸にルヴィエールの紋章を掲げる鎧をガシャガシャと鳴らしながら走った。
「―――――ッ」
かすかな音を頼りに入り組んだ路地裏を走る。剣を打ち合うような甲高い音が近づいてくるのを確信しながらスコットは足を動かした。
「動くな!」
彼がいくつかわからないほどの角を曲がったとき、一人の男が傷だらけで剣を構えているのが見えた。スコットは反射的に叫ぶ。
便利屋のような身軽な革の鎧をつけた男は、酒を飲んでいるのかわずかに赤ら顔で、安堵したようにスコットを振り返る。しかしその一瞬のすきを突き、フードを目深にかぶった小柄な人影が男の胸元を細いナイフで貫いた。
「ぐっ……が……」
男はそのまま襲撃者の腕に抱かれながら、灰になり崩れて消える。そしてその子供のように小さな襲撃者の手には、1冊の草色の本が握られていた。
「ッ貴様!」
スコットは剣を抜き、フードの襲撃者へと切りかかる。スコットは若くして小隊の体長を任せられるほどの功績と剣の腕があったが、襲撃者は危なげなくその剣を小さなナイフで受け流し、まるで軽業師のような足取りで大きく距離を取る。
そのまま逃げ去ろうとする襲撃者を、スコットの剣は的確にとらえていた。闇色に溶ける外套を彼の剣が小さな竜巻のように風を巻き込みながら切り裂く。外套のしたからぬっとはい出た足に傷はなかったが、それは小さく、そしてまるで貴婦人が着飾るときに履く靴のように踵に高さが作られていた。
「女っ!?」
「……さあ、どうかな」
襲撃者がヒヒッと不快感を感じさせるような声で笑う。その声はスコットには女性にも、あるいは少年のようにも思えた。
スコットから逃げ切ることができないと判断したのか、襲撃者は器用に煉瓦の積まれた壁を蹴り上げ彼へとナイフを振るう。スコットは長い外套に巧みに隠されながらも襲い来る刃を弾き、四方八方から休みなくたたき込まれる斬撃をいなしながらも冷静に思考していた。
――攻撃は軽い、しかし早い。
連絡用の照明魔術を練る暇はないが、このままこの小さな襲撃者に殺されることもないだろう。それほどまでに剣とナイフのリーチの差は大きく、また、スコットと襲撃者の腕の差も感じられた。
しかしながら、僅かでも気を抜いたら鋭い刃に貫かれてしまうことも事実だ。
襲撃者が緩慢な動作で上から大きく振りかぶるのを、スコットは見逃さなかった。彼は左脇から上へと斜めに切り上げるようにしてそのナイフをいなそうとする。しかしスコットの予想に反して、襲撃者のナイフはまるで持ち手に力を入れていないかのように軽い音を立てて吹き飛んだ。
そして一閃、いつの間にか襲撃者の左手には小ぶりのナイフが握られていた。吹き飛んだ右手のナイフに気を取られていたスコットの右目の僅か上から耳にかけてを、刃が抉る。
「――ッ」
「へぇ、あれを除けるんだ」
スコットが力任せに剣を振るった頃には、襲撃者は彼と大きく距離を開け弾かれたナイフを拾っていた。
「今日は殺しきれないだろうから帰るね」
スコットが制止の声をあげる暇もなく、襲撃者は闇夜へと姿を隠した。