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夕暮れ

 頭が痛い。

 気分も悪い。

 いつも寝起きはスッキリ爽やか、心は病んでも体は健全、健康そのものな僕の身体があからさまに機能不全を訴えている。

 いつもは元気を分けてくれる明るい日差しも妙に鬱陶しく感じられ、焼けつくような赤い焔が纏わりついて離れない。

 真っ赤に燃える太陽がこんなにも禍々しく濁って見えるとはビックリだ。

 

 真っ赤!?


 本調子ではないにせよ、神経系が徐々に現状を把握し始める。

 西の空にほとばしる紅の断末魔、爽やかさのかけらもない悶々とした空気、恐らくは正確な時を刻んでいる時計。

 この空間が自分の作り出した妄想であったとしても、時計の針まで補正しているとは考えにくい。自分で言うのもなんだが、僕の妄想は芸が細かい方ではない。ノリと勢いとご都合主義で成り立っていて、細部まで無駄にリアルに造られたものは好みではない。妄想力を全開で働かしている感覚もない。そこまで詳細にイメージをしていれば頭の中が熱くヒートアップしてハイになっているはずである。


 大雑把大歓迎。


 とりあえず、これが現実の物、すなわち、この時計と夕日が指し示す時間が正しいとした場合を考えよう。夢オチや妄想オチならそれはそれで良いだろうが、まずは最悪のケースを想定することが必要なはずだ。これが自分の妄想ではなく全てが事実であると言うことはどういうことか。要は、寝過ごしたと言うことではあるが、それが指し示すことは何か。精神的なストレスがたまっていたのか、疲れがたまっていたのか。長時間の休息、あるいは、その時間そのものを必要としていた、あるいは、それらに飢えていたのは確かであろう。


 いやいや、原因とか理由なんてどうでも良いから。


 少なくとも今の段階でひとまず理由は何でも良い、重要なのはどういう問題が起こるか、そして、どう行動するべきかということだ。理由はどうあれ、多くの時を費やしてしまったのであるからその間にやるはずであったこと、やるべきであったことを補わなければなりますまい。時間を消費した分、残りの時間を効率的に使い、大きな支障が出ないように備えることが最優先事項だ。

 まず、いつも通りの時間に起きていたら何をするか。歯を磨いて顔を洗って・・・、え〜っと、まずは大学だ。完全に手遅れだが、それほど痛手ではない。講義の数も少なく、後で何とでもフォローはできる。いつもと立場が逆になるが久保を頼りにすれば良い。その後予定していたことと言うと・・・。


 エリさん(仮名)!!


 何と言うことか。よりによってこんな時に。そもそも今日は大学なんて端からどうでも良いことだった。今日に限っては休んだって構わなかったであろう。人生が大きく動く運命の日、または、ほろ苦い夏の日の思い出のいずれかになるかもしれないそれを控えているのですよ。

 幸いまだ時間はある。間に合うことは間に合いそうではあるが、あと1時間。15分前に着くとして、移動時間を考えると準備にかけられる時間は30分程だ。落ち着け、まだ時間はある、しかし、長くはない、つまり、落ち着け。


 頑張れ僕、僕頑張れ。 


 準備として必要なのは、まず、心構え・・・はまあいいや。準備が万全でない状態では考えるほど不安になるだけだ。最後に改めて気持ちを決めるべきだろう。もっと単純に、もっと即物的に、もっと現実的に、必要なものを考えよう。お金は下ろしているから大丈夫だ。仮に2次会、3次会、・・・10次会まであったとしても、耐え切れる。あとは・・・シャワーを浴びよう。全身くまなく心も体もスッキリ爽やかシャキッとしよう。10分でいけるだろうか。髪の毛をわざとらしく無い程度に整えたり、まあ、色々成年男子のたしなみを合わせて15分程度みておこう。あとは、そう、服装だ。わざとらしくは無くともそこそこに気合の入った発情期の男の志が表現できる程度に頑張りたい。残りの15分で何とか出来るだろうか。


 ああ、絶対無理だ。

 普段全くもって気を遣っていない奴がいきなりキッチリ出来るはずがない。

 ましてや、時間がない時に神がかったファインプレイなど平素から身の回りに気を遣っている者ができることだ。

 

 絶望的だ。


 まずい、考えるな。

 普通に考えると悪い結果しか想像できない。

 つまり、ここで重要なのは普通に考えないことだ。


 手っ取り早い解決法は考えないことだ。

 時間を評価する前に行動だ。


 まず行動だ。


 ぎすぎす痛む頭とぼんやりした意識の中、とりあえず服を脱ぎ散らかして風呂場へ向かう。思った以上に調子が悪いようで足取りがおぼつかない。

 くそっ、こんな時に。落ち着け、焦るな、ここで失敗するわけには行かない。フラフラではあるが、壁伝いに風呂場を目指す。クラクラするものの、さすがに自分の家だ、壁伝いに移動するくらいのことなら出来るはずである。


 ちょっと、大丈夫?


 大丈夫じゃないです、アンジェラさん。

「ほら、こっちだから」

 肩を貸してくれるのはありがたい。少し歩くのが楽になった気がする。

「しっかりしなさい」

 そうだ、しっかりしろ、今日は大事な日なんだよ。

「おう」

 と、返事はしたものの、体を動かすのが辛い。本当に辛い。正直泣きそう。

「こっちだから」

 アンジェラに促されて風呂場に辿り着いた。ひとまず僕を壁にもたれさせ、シャワーで冷たい水を頭から浴びせかけられた。大きな刺激であったが、体は反応せず、暫くはただただ水に打たれるだけであった。

「ガスついてないじゃん」

 そう言って、アンジェラは風呂場の外に出ると、ガスのスイッチをいれた。徐々にシャワーの水が熱くなり、温もりが少しずつ内側に沁みこんでくる。感覚を取り戻した指先を懸命にピクつかせ、小さなポンプ運動が命のダイナミクスを作り出す。


 よしよし、このまま少しづつ体を動かし、何とか起動させるんだ。


 水とお湯の温度変化にビックリしたのか、小刻みな振るえと発作のような大きな身震いを繰り返しながら全身に血液の流れを巡らしていく。気分は優れないままではあるが、意識ははっきりし、体は動きを取り戻した。

「洗ったげよっか?」

 戻ってきたアンジェラが戸を少しだけあけて、覗き込むようにして聞いてくる。色気を出さずに、ごく普通に手伝いましょうか的に気を遣ってくれる。

「いいよ」

 ごく普通に断ってしまった。いや、それで良いのではあるが。

「じゃあ、タオルとパンツここに置いとくから」

 誘ったり、茶化したり、悪戯することなく、テキパキ働くアンジェラ。今の僕はそこまでヤバイ状態なのだろうか、ここまで優しくされると逆に違和感があると言うか、困ってしまうと言うか、それほど心配な状態なのかと不安になる。


 しっかりしないと。


 いつもより荒々しく頭をかき回し、ゴシゴシ体を洗った。念入りに体の隅々まで、特に大事なところは優しく丁寧に洗っておきたいところではあるが、如何せん時間がない。一通り綺麗にすると、タオルで軽く水気をふき取り、パンツ一丁で半分濡れたまま部屋に戻ってきた。

「ほれ」

 アンジェラがコップに清涼飲料水を入れて手渡してくれる。

「さんきゅ」


 ・・・。


 ちょとまて、どうやってアンジェラはコップを掴んだ。どうやって冷蔵庫を開けた。そう言えば、どうやって僕の体を支え、蛇口をひねり、ガスのスイッチを入れた。どういうことだ、これも僕の妄想か!?どれだけ、どこまで、どんだけ!?

「ちょっ・・・、おまっ、・・・アンジェラ!!」

「何よ」

 平然と答えてくる。これも僕の妄想クオリティなのか??

「どうやって・・・」

 どう考えても説明がつかない。

「何が」

 あなたが物をつかめることが。

「いやいやいや」

「時間ないんでしょ」

 その通り。ひとまず、水分補給で体を潤わそう。

「ほら、早く体拭いて」

 汗のためか、体は再びびしょびしょになっていた。タオルで一通りふき取り、鏡の前で適当に髪形を整えた。

「ほら、もう10分しかないよ。そろそろ家出ないと」

「マジで!?」


 急がなければならないのであるが、どうにも、色々なことが頭の中を駆け巡って落ち着かない。色々と言ってもそれらは全て一つのトンデモ現象を説明する仮説であって、どれもいまいち説得力に欠けていた。考えることを放棄したいところではあるが、現実の世界に影響を及ぼしている以上、社会生活に支障をきたしたり、その結果人に迷惑をかけちゃったりする訳にはいかないのである。僕が思ったことを現実にしてしまうような神憑り的存在でもない限りは、実際には僕の体が直接作用しているか、あるいは、コップやシャワーなどアンジェラが作用したもの全てがそもそも丸ごと妄想であったかのいづれかであろう。

 どちらにしろ、現実と妄想の区別がつかず、それらの関係性の構造が分からない以上、これから僕が見て聞いて感じることに対して、どう認識し、解釈し、対応すれば良いのか分からない。コップは本物か、水分を補給できたのか、汗は実際に流れているのか、時間はあっているのか、起きているのか。もしかすると、約束なんてそもそもなかったとか、エリさん(仮名)の存在が丸ごと妄想とか、僕は本当は存在していないとか、そう言う可能性を考慮することも満更でもない気がしてくる。


「ほら、急いで急いで」

 アンジェラが無理やり僕の腕を引っ張る。

「こっち」

 部屋ではサキが待っていてくれた。

「これ、着て」

 上下きっちりコーディネートされた服が用意されている。派手な色を好まない僕の好みを意識してか、白と黒の無彩色を中心としたスマートカジュアル。頑張りすぎず、流されすぎず、僕らしいにもかかわらず恥ずかしくない程度に余所行きな何ともちょうど良い感じだ。


 一人で選んでいたらどれだけ時間がかかったことか。


「早く」

 言われるままに服を着る。インナーまで選んでくれなくても良かったんだけどね。

「身だしなみは見えないところから」

 そう言うものですかね。

「へ〜、それが勝負パンツなんだ」

 違います。今日は勝負なんてしません。・・・しない・・・ですよね?大体アンジェラは見慣れているでしょう。

「似合ってる」

 ありがとう。サキに誉められるとなんだか嬉しい。

「ほれ、いくぞ」

「あ、ああ」

「シャキッとしろ!!」


 シャキッーーン!!!


 サキとアンジェラの促されて、時間がないことも後押ししていたとは思うが、いつの間にか考えるのをやめていた。まあ、それで良かったんだと思う。そう思いたい。

 上から下まで服装が整うと、心も引き締まり、緊張感と臆病風と男気と下心が溢れ出す所を愛と勇気と覚悟で包み隠して駆出した。アクションシーンにピッタリのテンポの良い音楽を頭に流し、勢いに乗って走り出す。


 赤い光の乱反射は暁の導の如く空間を演出し、僕の背中に火をつける。炎を纏って加速する身体は痛みを伴って出力を増して行く。

 ここで倒れられないから、あんだけ思い続けたから、そこに貴方がいるのなら。もっと大きな一歩で、もっと力強い踏み込みで、もっと速い回転で。鋭くシャープな切り替えし、滑らかで精確なコーナリング、一気に差をつける直線の加速力。人込みを掻き分け、信号の変化を先読みして、最短距離で付き進む。僅かなロスも許さない。僅かにロスしても慌てない。僅かな時間も大事にして。 ちょっとでも、少しでも、僅かでも、微かでも、何となくでも・・・早く貴方の元へ!!


 遅刻は印象悪いから。



 間に合った。

 一応間に合った。

 時間には間に合った。

 むしろ、若干余裕があった。


 汗だくで、びしょびしょ。息は上がり、顔は恐らく真っ赤だろう。激しい動きと汗のために整えた髪の毛もぐしゃぐしゃだ。

 ちょっぴり、否、かなり、恥ずかしい。

 真夏の夕方のとても日差しが強く熱い時間帯に全力疾走するものではない。


 憧れの人に。

 愛しの人に。

 思い続けたその人に。


 こんな醜態をさらしては。 

 

「くすっ」

 と笑われてしまうんですよ。

「あはははは」

 もう、良い笑い者です。

「どうしたの〜」

 僕の第一印象を返してください。


 こうして僕の一世一代の大勝負は、最悪・・・と言うほどでもないが、あまり宜しくない形で始まった。

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