その日の夜
何かをやり遂げた気になった僕は、少し浮かれた感じで、ポップでファンキーな足取りで、鼻歌歌いながらスキップでもしそうな勢いで、家路についた。
「ただいま」
と言う相手もいない。いつかはエリさん(仮名)に・・・・・・。
「おかえり」
僕は一人暮らしなんですけど、どなたでしょうか。
「待ってたわよ」
待たせたつもりはありませんが。あなたはいつも自由ですね、アンジェラさん。そして、例によってなぜ裸。
「別に待たなくてもいいんですけど」
出てきたければいつでも出てくればいいんですよ。服を着て。
「え、なに、野外がいいの?」
「それは勘弁」
お願いだから、少なくとも人前では、普通に真面目な人でいさせてください。
「でしょ、だからわざわざ待ってたの」
それは正解。
「じゃあ、お風呂にする?、ごはんにする?、それとも・・・・・・あ・た・し?」
それは不正解。
「風呂とご飯は無理だろ」
だってアンジェラは(男の)夢の国のお姫様だもの。空気より重い物は持てないわ。
「風呂か台所か玄関かって聞いてんの」
結局やる事はそれな訳ですね。
「まあ、いいや、それじゃあ玄関ってことね」
「それも無理」
「そんなこと言って、本当はしたいんでしょ」
まあ、それなりにたまってはいますよ。
「いいから服着てろ」
最近相手をしていないためご機嫌斜めのようだ。仮にも恋をしている人間がすることではない気がして、まあ男の子としては自然なことではあるし、浮気や愛人関係を否定する気もなければ肯定する気もないけれども、ただ僕がそう言う考え方を好んだだけと言うことでもあるが、なかなかする気になれないのである。
それと、まあ、彼女には悪いが不満そうにしていじけた表情としぐさが驚くほど可愛らしく、愛おしく、新たなアンジェラの魅力を見出したいという気持ちが後押ししていると言うのも少しはある。多分、理由の4割くらい。
「おかえりなさい」
サキまでやってきた。さすがに裸ではないのだが、おばあちゃん女子高生は家の中でも制服のようです。
「ただいま」
「なかなか来ないから呼びに来た」
それはどうも。それにしても二人とも自由ですね。元布団と元パソコンとは思えない自然な立ち振る舞い。何か妄想家として一皮剥けた気がします。
「アンジェラも風邪ひくから服着た方が良い」
「はーい」
なんだか、サキがお姉さんのようだ。僕はアンジェラの方が大人の女性と思っていたのであるが、どうやら見た目とは裏腹に人生経験が豊富なサキの方がエライようだ。しかし、あのアンジェラを手なずけるとはすげーぜロリおばあちゃん。
さすがに一人暮らしの1LDKに3人いると狭苦しい。アンジェラは下着も履かずにサイズのあっていない伸びきったTシャツとピチピチの短パンを着て、部屋のど真ん中で大の字になってリラックスしている。アンジェラが部屋のスペースのほとんどを占領してしまったため、サキはベットの上にちょこんと座っている。
えっと、それで、僕の場所はどこでしょう?
「テレビつけて」
近くにリモコンがあるだろとは言えないので、アンジェラの体を踏まないように微妙な体勢になりながらリモコンを手に取り電源を入れた。その時の姿勢と言うか、角度が絶妙で、アンジェラのバストトップがちらりと垣間見えた。裸が見慣れているにもかかわらず、ちょっと得した気分になると同時にアンジェラが可愛らしく見えてくる。
「さんくす」
そう言うと、アンジェラは子供のように笑う。アダルトなお姉さんだったはずなんですが、最近どんどん可愛らしくなってきている。
「場所あけろよ」
アンジェラはしばらく考え、うつぶせになって背伸びをして体を伸ばし、深呼吸し、しばらく力を抜いて十二分に間をおいた後にもったいぶって答えた。
「やだ」
可愛くなく・・・・・・はないですが、面倒くさいやつです。仕方がないからサキと一緒にベットの上に座るとしよう。
「隣いい?」
「どうぞ」
微妙な距離感を保って、場所を取らないように小さくなって座った。
「・・・・・・もう少し楽にしたら」
サキが気を遣ってくれます。優しい子です。
「ああ、まあ、いいや」
「そう」
別に窮屈な思いをしているわけではない。空間が自分ではない誰かに支配されていて、その影響の元で自分の居場所を見つけ、その隙間に入り込む感覚が心地良かったのだ。狭いところに入り込む安心感に似ているような、でも、もう少し緊張感があって誰かの影響を受ける心地よさがある。テレビの音はしているのであるが、沈黙に近い感覚で、何か優しく流れていく時間が心地よかった。
「ここはあなたの家」
確かにその通りだ。
「みんなの家だよ」
自分で言うのもなんだが気持ちの悪い発言である。こんな恥ずかしいこと良くも言えたものだ。
さらに煩く考えると、無駄に自らの自由や権利を強くするよりも、心地よいバランス均衡を保ったままみんなで共有する場所にいたかっただけだ。そう僕が望んだ、つまり、ワガママだ。これをワガママとみなす、そういう考え方を少なくとも僕は好んでいたはずだ。それでですね・・・・・・。
と、自分のどうでもいい若干イケてない発言に対する言い訳を無駄に一生懸命考えている間に、空気が次第に生温かくなっていき、徐々に背中と頭の裏側がじんわり熱を帯びてくる。
「な〜んてね」
あ、どうもすいません。ビックリするくらい下手な照れ隠しです。もう少し上手く言えないものですか。
「気持ちわるい」
ばっさりです。助かります。
「ごめん」
でも、そう言ってくれるサキがなんだか好きだ。
「気持ちわるいことをするのは悪いことじゃない。謝罪を要求したわけではない」
あの、地味に僕の嫌がる責め方を良く知っていらっしゃるんですね。
「そうだな。でも、サキに言われると謝りたくなった」
「そう。じゃあいい」
「・・・・・・おう」
何ともくだらない会話で果てしなく癒される。
「飯でも作るわ」
そう言って立ち上がった。僅かにサキと体を掠める。否、一瞬だけ、確かに、ぴったり、肌と肌が触れ合った。
静かに、優しく流れる時間。鼻歌でも歌いたくなるくらいに機嫌が良い。紹介してもらえるかもしれないってくらいなだけなのではあるが、どことなく、何となく、ほんのりほのかに、嬉しい気持ちがにじみ出ているのかもしれない。いつもの僕なら、もっとおかしなテンションで、子供っぽく、うっひっひ〜な感じで、飛び上がって喜ぶこと、あるいはそう言う風に喜べる人になることを好むのかもしれないが、サキとアンジェラの優しさが胸にしみたためか、何かもっとぽかぽかして暖かい喜びに包まれていた。少々落ち着きすぎな気もしなくもないが、それもある意味僕らしいと言えるのかもしれない。もっと激しいリアクションは今後に期待するとしよう。
それにしても、今になって思うことではあるのだが、サキとアンジェラは妄想の域を超えてしまったのだろう。ここまで妄想が一人歩きし、自由に行動し、意思を示し、期待を裏切り、驚かせ、そして良くも悪くも一番近くにいてくれる大事な存在になるとは思ってはいなかった。
いや、まて、今更妄想家である僕が言うことではないが、妄想はあくまで妄想、すなわち、僕が想像できる範囲のものでしかない。主観的に勝手に創造できるものであっても、妄想主から自由になれることはないのである。彼女達も所詮は僕の創造の産物で、僕の経験や思考に収まる範囲の存在であり、自立と言っても僕が自立して欲しいと望んだがために自立させられているに過ぎない。自立した存在であると言う仮定のもとで、僕の神経系が彼女らの時間発展を計算し、あたかも個性を持った生命体のような立ち振る舞いをしているように見えているだけとも考えられる。
いやいや、まてまて、何かいかがわしい。そもそも僕は自由で自立しているのか。僕は物理法則を破ることはできない。僕を形作る力学変数はそれぞれ基礎法則を守っているはずだ。僕は自分の性格やら体質やらを自分で選んだ記憶はない、遺伝子は選べない。育った環境や必ずしも一般性があるとは限らない経験に強く依存している。そう考えると、彼女達のレベルでの自立や自由と言ったものは僕のそれと大して変わらないのかもしれない。物理法則や社会ルール、文化的背景の影響下にあることと、妄想主の影響下にあることとはわざわざ区別するほどのことではないかもしれない。
いやいやいや、まてまてまて、では僕と彼女達は同じか。同じか違うか・・・・・・、同じとみなすことがrationalかどうか、同じと考えたいかどうか。どう言う立場を僕が好むか。例えば同じと考えることもできよう。突き詰めて考えれば違いは極めて微妙なもので、もっと考えると違いを考えることそのものが役に立たないであろう。そして願わくば、同じでありたいとも思っている。そう僕は望んでいる。が、しかし、しかしながら、何かが違う。例えばこうだ、彼女達は僕がいない所で行動できない。僕のいない場所に行き、僕の知らない体験をして、ぼくの知らない世界の影響を受けて形作られるような個性を持たない。もちろん、人によって感じ方が異なることを認めれば、同じ場所にいても感じ方が違うだろうし、僕と彼女達の目線や立場の違いは考慮されるべきではあるが。
いやいやいやいや、まてまてまてまて、彼女達はパソコンと布団だったはずだ。その束縛条件が有効であったときはそれが彼女達固有の経験になっていたのではないのか。僕はパソコンが電源を落とされる感覚や、そのまま家でじっと待っている感覚を知らない。布団が干される感覚や、丸めて抱きしめられる感覚も知らない。そして、パソコンや布団の様子から彼女達の個性がイメージされ、形図くられたと考えれば・・・・・・。
いやいやいやいやいや、まてまてまてまてまて、そう考えるとパソコンや布団といったものから独立してしまうと、ただの僕の妄想になってしまうと、これは危険なことになってしまうのではないのか!!
こ、こ、こ、これは大変なことになってしまった!!!!
とたんに世界が形を失っていく。とたんに崩れだした世界はどんどん僕を追い詰めて、世界の隅っこで片足立ちだ。
一生懸命バランスをとる。
どうしてか?
それは、落ちたくないからだ。
落ちたくない、落ちたくない、落ちたくない、落ちたくない。
なぜ恐れているのか、どうして怖がっているのか、何に恐怖しているのか。
それは、落ちてみれば分かるでしょ。
落ちる落ちる、どんどん落ちる。
加速し、摩擦し、燃え上がる。
痛くも熱くもないけれど、鼓動は高まり汗が飛び散る。
落ちる落ちるどこまで落ちる。
落ちる落ちるいつまで落ちる。
落ち続ける、落ち続ける。
底は見えない、終わらせてくれない。
終わらせたい、終わらせて、終わらせてください。
お願いします。
お願いします。
お願いします。
許してください。
許してください。
許してください。
やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて、やめて・・・・・・。
「焦げてんぞ、馬鹿」
殴られた。
アンジェラに。
まあ、それは当然のことだ。
料理を完全に焦がしてしまっていた。
大事にいたらなかったのは幸いである。
ありがとう。
アンジェラ。
しかし、今回のは恐怖を感じた。自分が制御できなくなった。妄想に飲み込まれそうになった。それと、少なくとも今さっきまで妄想を現実のものと感じていた。完全に飲み込まれてしまった。アンジェラがいなければ・・・・・・。そう言えばアンジェラはどうやって、そう、僕が我を失っている間にどうやって料理が焦げてることに気付いたのか。それにしても、色々な意味で最近はサキとアンジェラにおんぶにだっこな気がしなくもない。もう少ししっかりしないと。
よし、考えるのをやめよう。
とりあえず、焦げた炒め物を食べて、一緒に入ろうとするアンジェラを何とかしながら風呂に入り、サキと一緒にパソコンを少し遊ばせた後に眠りについた。
浮かれた気分で眠れない夜を期待してたんだけどな・・・・・・。