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次の日

 瞬きを忘れた瞳は過不足なく必要な情報だけを捕らえ、その動きには一切の無駄がない。伝播する情報は最短距離で神経系を駆け巡り、高速演算処理され、出力装置である筋肉に運動命令が下される。


 やべぇ。

 すっげー調子良い。


 さすがに一晩中続けると、頭に最適化された情報処理アルゴリズムがプログラミングされ、作業はルーチンワークとなる。脳みそを使っているはずなのだが何かを考えているような意識はなく、体が勝手に動いてくれる。ほとんど決まった時間間隔でエンターキーが押され、そのたびに適切に処理されたデータがシステマティックにラベルされたフォルダに整理されていく。

 徹夜明けの僕よりも、今となってはお年寄りのパソコンの方が悲鳴を上げそうだ。

「大丈夫か?」

「問題ない」

 僕には聞こえる。物静かで落ち着きのある可愛らしい女の子の声が。

「本当に?」

「大丈夫」

 そうはいうものの、一晩働いた体は熱を帯びて苦しそうだ。十回に一回くらいの頻度で演算スピードが遅くなり、時間がかかる。いつ落ちてもおかしくない状況だった。声は若くて可愛い女の子でもお年寄り、彼女はそろそろ限界のようだ。

 ひとまず切り上げよう。大学に行けば研究室にある高性能の最新型パソコンを使うことができる。もともと無理のある作業量、今の様子だと確実にアウトだ。何よりお年寄りはいたわってやらないと。

「これくらいにしとくよ」

「まだ未処理のデータが山ほどある」

「残りは、大学でやるよ」

「・・・若い子の方が良いから?」

 寂しそうに、不安そうに、そして可愛いらしい声でそんなことを言われては断りづらくなってしまう。ここは上手い言い訳を考えねばなるまい。

「結構ぎりぎりだからさ。朝早い内の方が道すいてて移動に時間がかからないだろ。少しでも作業時間を稼ぐにはこれが一番なんだ」

「そう」

 一応納得はしてくれたのだが、それは彼女が気を遣ってくれただけで理由に納得した訳ではなさそうだった。そんな風に気遣ってもらうと余計に心苦しい。

「僕も徹夜明けで結構疲れてるし、途中で眠っちゃうかもしれないだろ。そうそう、最悪居眠りしても大学にいれば誰かに起こしてもらえるから、間に合わなくても遅刻だけは避けられる」

 無駄に焦って言い訳をする。いつもより早口だった。

「気を遣わなくっても良いから」

「あ・・・うんっ。いや、そんなんじゃねぇよ」

 男としては気の利いたことでも言ってみたくなるのだが、そう上手くは行かなかった。寂しさと不安を取り除き、彼女を暖かい気持ちにさせると同時に男らしい所を見せたかったのだが、どちらかと言うと浮気がばれた男が情けない良い訳をしているのに近かった。

 沈黙といたたまれない気持ちに耐え切れず、忙しなく動くことで急いでいることをそれとなく(彼女から見ればわざとらしいものであっただろうが)アピールしながらデータを保存し、電源を落とした。

「またな。僕のお気に入りはお前だけだから」

「うん」


 もうちょっと上手くできないものかね。


 大して荷物もなければ、身なりに気を遣う方でもないので戸締りを確認するとすぐに家を出た。まだ日が昇ったばかりで、淡い日差しと澄んだ空気が癒しの空間を与えてくれる。このまま夢の世界に旅立ちたいところではあるが、今さっき急いでいると言い訳したところだったので思いとどまった。

 移動には自転車を用いる。眠らない街は相変わらず賑やかなのであるが、それでも朝早い時間帯は比較的穏やかで落ち着いた雰囲気だ。今なら大きな通りを自転車で全力疾走しても大丈夫そうではあったが、思ったより僕は疲れていたようで足腰に力が入らない。ゆらゆらしながらも安全運転を心がけた。



 研究室。その道を極めたものだけが入ることを許される知の聖域。神をも恐れぬデンジャラスかつチャレンジングなスタディが遂行される絶対領域。崇高な理念と確固たる信念をもつ理想家達が切磋琢磨し高みを目指す熱き戦場。

 そこへ一歩足をを踏み入れたならば僕の中に眠る智を極めしものが覚醒する。何を考えてるかよく分からない若干ルーズな大教授のめんどくさいから押し付けただろ的とても退屈な雑用が沢山残っていようとも、ただそれがとても素晴らしい研究の役に立つと言うのなら喜んで取り組もう。そこには永遠の未完成を絶え間なく探求する知的な幸福にあふれているのだ。

 

 だったら良いのにね。


 実際のところ研究室と呼ばれる場所はそう言うところではない。研究者と言っても常人の理解を超えた天才とか奇人・変人なんて呼ばれるようなぶっ飛んだ人であふれているわけではない。意外と普通と言うか、どちらかと言うと駄目な人で溢れておる。たいそう素晴らしい偉大な知的活動が行われているのではなく、できそうなことからコツコツと地味な計算や作業を繰り返すだけである。それでもそれはとても大変で価値のあることには違いないのではあるが。


「おはよう。今日は早いな」

 駄目人間が現れた。

「ごめん、起こしちゃったか。とりあえずパソコン使いたいんだけど」

「どうぞご自由に」

 ご自由にですか。椅子はどこですか。その前に足の踏み場すらないですよ。

「自由にできるスペースなんてどこにもないんですけど」

「大丈夫、住めば都さ」

 答えになっていないですよ。ここに住んでるならもう少しきれいに使ってくれませんか。住めないところは都になり得ませんよ。

「全く・・・」

 こうしていつも通り、昨日もそうだったように、当たり前のように、同期で同じ研究室に所属していて、同じ部屋に机をもっていて、その部屋になぜだか住みついていて、部屋を散らかしたり部屋を汚したり部屋を改造したりしている頭の良さはともかく生活力が皆無の久保暁がめちゃくちゃにした部屋を掃除をする、と言うことから一日が始まるのである。

「これもよろしく」

 昨日食べたであろう弁当の空箱やペットボトルやお菓子のごみやらが散らかった机の上を指差す。

「たまには自分で片付けろ」

 普段なら仕方ない奴だと思いながらも片付けてしまうところだ。駄目人間と言う人種はほっとけないオーラを出す特殊能力が標準装備されている。そうでなくても、勉強の方は優秀なので困ったことがあれば助けてもらっているし、何より付き合いが長いので親しみがある。これくらいはしてやっても良いと思ってしまう。

 しかし、今は緊急事態だ。可愛らしい女の子に別れを告げて作業を終わらすためにここまでやってきたのだ。最低限パソコンが使えるスペースを確保し椅子を用意すると、すぐさま作業に取り掛かった。


 カタカタカタカタ・・・。


 絶好調とは行かないが、体で手順を覚えてしまっているせいか滞りなく作業が進む。新しいパソコンとは付き合いも短く、いまいちどんな子なのかイメージがわかないために話をすることが出来ない。ただただキーボードをたたく音だけが同じリズムで繰り返される。


 カタカタカタカタカタカタカタカタ・・・。


 寂しい。なんとなく退屈。言いようもない微妙な苦痛。淡々と作業が進むことは良いことであるとは思うのだが、僕の場合は騒がしい野次や迷惑なハプニング、期待を裏切る不幸だけど若干美味しいイベントなんかがないと生きていけない。最短距離で一直線よりも山あり谷ありの回り道の方が飽きが来ないので継続するのである。

 別にどうしてもってわけじゃない。退屈な時間が三分以上続くと死んでしまうとか言うことではない。他人に迷惑をかけてまでうるさくしようと思わない。ただ、妄想世界に現実逃避して無理やりハプニングを起こすことくらいなら進んでやってしまうと言う位のものだ。

 そう言えばなぜ今は何も妄想できないのだろうか。まだ研究室になれていないからだろうか。ここが他人のプライベートルームとなってしまったからだろうか。否、多分どちらも違う。何かしっくりするものがあればいつでも妄想は膨らむ。気分が乗らないだけなのだろうか。


 カタカタカタカタッタッタタタ・・・。


 苛立ちと疲れが意外と大きくなっていることに気づく。邪魔をされると確実に作業が終わらなくなってしまうとても迷惑でうっとおしい駄目な人であっても、今なら、本当に今この時この瞬間限定なら、起きて軽くお話しするくらいならしてくれても良いような気がしなくもない。と、言うくらいに追い詰められている。


 やばい末期症状だな。

 

 

 こうして何事もなく無事に作業は終わった。よくあることである。特別変わった事ではない。世話のかかる駄目な人がいつもより少しばかりうっとおしく感じられたが、退屈な時間が続くと、ちょっとくらいは相手して欲しいと思うようになったりならなかったりしていただけである。今はその腹立たしい人に説教をたれ、文句を言い、たわいない会話を楽しみたい気分になっていた。

 眠気と戦い、物静かで可愛らしい女の子とのやり取りをうやむやにし、退屈でいたたまれない気持ちもそこそこに我慢して、少し自分を誉めてやりたいと思える頑張りによって完成したデータを教授に届けた後に久保に会いに行った。昼前だったので学食にでも行ったのだろうか、研究室にはいなかった。


 まぶしい日差しが視界を奪い、熱気を帯びた大地が僕を蒸し焼きにする。背中には熱線を受けて熱くなり、全体が汗でにじむ。普段ならうっとおしいことこの上ないのだが、今は心地よく感じられる。

 疲れているからだろうか、眠いからだろうか、安心したからだろうか、とにかく不快な刺激を受けることが逆に心地よかった。体に害をなす攻撃的な刺激と、それに対して体温を下げるために必死に汗を流し、コンディショニンを維持しようと体が必死に反応しているのが妙に気持ち良かった。

 

 ああ、いたいた。


 久保を発見。女の子を連れている。否、とても可愛い女の子と一緒に歩いている。

 ジーパンにTシャツ、おしゃれとは程遠い気楽なデザインではあるが、ピチッとしたものを着ているせいか綺麗なぼでーらいんがよく分かる。


 羨ましい奴め。


 久保はモテる。ひとたび研究室の外へ出れば男前のプレイボーイだ。見た目も格好言いし、若い女の子との会話も極めて自然だ。優しさや気遣いもできる良い人だ。当然彼女もいるし・・・。

 あれ、そう言えば隣にいる女の子は誰だろう。奴の彼女はもっとお洒落さんだし、何より髪の毛は黒くない。もっと背も低かった気がする。しかし、友達にしてはえらく親しそうだ。久保は駄目人間であるが浮気をするような奴ではないし彼女とも上手く行っているはずである。一人身で女の子と縁がない僕だからそういう風に見てしまうのだろうか。

 よく見ると女の子の明るくて元気そうな振る舞いのために親しそうに見えているだけのような気もする。まあ、女の子の方が久保に惚れている可能性はあるだろうけれども。


 にしても可愛いな。


 見た目もそこそこ可愛いのだが、その仕草や立ち振る舞いが僕のハートをがっちり捕まえて放さない。後姿しか見えないのだが、ちょっとオーバーなくらいのリアクションと心の壁をものともせずにズカズカ相手の領域に踏み込んで行く感じがよく分かる。彼女になれたら強引に僕を振り回して毎日飽きることのない幸せを振りまいてくれるんだろうな。


「いくよっ!!」

「えっ・・・」

 そうそう、こんな感じで僕の腕を引っ張り、強引に振り回してくれる。

「早く早く!!」

 自由を奪われた僕はあなたの束縛を心地よく感じている。あなたが迷惑をかけてくれるのを心待ちにしている。あなたがトラブルに巻き込んでくれるのを渇望している。あなたが僕に決定的にかけている物を与えてくれる。


 ああ・・・エリさん。

 

 晴れわたった空が二人の心を解き放ち、鋭く、しかし同時に淡く虹色に輝く光が素敵な未来へと導いてくれる。咲き乱れる美しい花々、歌いだす小鳥達、世界が僕らのために踊りだす。平日の真昼間に唐突に出現した限りなく幸せなお祭りの中心にいるのは僕とエリだ。さあ、踊ろう、みんなと一緒に・・・。


 いやいやいや、さすがにそれは。


 こんなところで一人で踊りだすほど僕は頭のおかしい人間ではない。現実との区別ができなくなっては優秀な妄想家とは言えない。他人には見えない妄想世界に回りの人を巻き込んではいけない。他人に迷惑をかけない、人畜無害と言うのが妄想の基本である。よって、沢山の人がいるにもかかわらず、昼間の大学の学食の近くで妄想につられて踊りだしてはならない。それに、まあ、恥ずかしい。



 そんなことをしている間に久保はどこかへ行ってしまった。

 そのあとはいつも通り一人寂しくご飯を食べ、午後の授業をノートを書き漏らさない程度にそこそこ真面目に受け、すぐさま帰宅した後二日分の眠りについた。さすがにきつかったのか、心も体も必要最低限の活動だけにおさえられ、最短距離で寝床にたどりついた。


 おやすみなさい。


 ・・・。

 

 そう言えば、少しだけ気になっていたことがある。本当にたまたま、少しだけ、それだけが気になっていたのは疲れているから他に色々考えたくなかったからであって、なんとなく気になっただけと言うくらいの些細なことがある。

 まあ、その、つまり、久保の隣の女の子の顔が妄想の中で、偶然にも、なぜだか、昨日の夜に出合ったエリさん(仮名)になっていたということだ。ただそれだけである。後姿は確かに似ていたと思う。まあ、エリさん(仮名)に似た人を見て勝手に妄想してしまっただけなのであろう。

 が、でも、しかしながら、仮にその人がエリさん(仮名)本人であるのであれば、運命的な出会いと言う奴なのではないだろうか。それに、彼女は久保の知り合いのようだから紹介してもらえるかもしれない。あ、あのときの!!って感じになれば仲良くなれるかもしれない。

 これは、もしかするともしかするのではないか!!と、後になって色々考えてしまう。


 やべぇ。

 すっげー気になる。



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