昼
覚悟は決まった。僕の告白をする覚悟は決まった。恐らくは後戻りが出来なくなるであろう、表白の、決断の、勝負の、覚悟を決めた。だが、それはあくまで僕のものであって、それを許す他の誰かは存在しない。
誰かの許しなど必要ない。
それも、悪くはない。現実的には、最も賢明な発想のうちの一つと言って良いくらいに、悪くはない。正しいと言えるほどに、悪くはない。しかし、それはとても不安なことだ。真っ当で、聡明で、健全な考え方。もし、僕が僕に助言するとすれば『それで良い! 行って来い! 頑張れよ!』と心の底から無神経かつ身勝手な応援と後押しをしてやれると思う。しかしながら、背中を押された方の僕は、腰を落とし、足を踏ん張り、体重を乗せて反発する。無意識の抵抗を意識した僕は思うわけだ。
どうにも、それは、似合わない。
そう、僕はそんなことが出来る人間ではない。それは僕の特徴的な性質、あまり良い言い方ではないであろうが“個性”と呼んでもいいかもしれないそれ、に反する。それが出来る僕は、別の特徴的な性質を持った、自然な時間発展から想像される僕とは異なる存在であろう。僕がしないであろう重大な選択をしてしまうと、その決断が現実となり、記憶となり、経験となり、束縛となり、特徴となり、頑固となる。そんな奴は、悪い奴ではないであろうが、僕にとっては、別人で人違いでソックリさんとなるのではないのか。それは、無駄に大々的に不安であって、必要であれば仕方が無いが、立ち止まって考え直したい位の規模の大きさでせまってくる。
つまり、僕は、本来必要ないであろう誰だかの許可を渇望している。
実際に『告白してもいいですか?』なんて聞くわけではない。許してくださいと頭を下げるわけではない。一寸だけ相手の立場に立って、可能な限りフェアと呼べるものを目指して、結局は身勝手なものになるであろうが、少なくともそれに注意を払っておこう、と言う程度の心の許しである。
そんなことで思い悩む姿が僕っぽい。
そんな馬鹿馬鹿しい安心感を求めて傲慢な気遣いをしてみるとしよう。まず一番告白の影響を受けるその人、エリさん、のことを考えてみよう。告白されることを嫌がる人ではないであろうし、分別のある人であろうから、下手に気を使うと不親切になってしまうかもしれない。あくまで、僕が見てきたエリさんから想像されることではあるが、恋愛という土俵でも正々堂々真っ向勝負を望んでいて、暴力的で身勝手な告白もどーんとこいや手前この野郎な姿勢でいるのではないのか。
むしろ、今すぐ有りっ丈の愛の全てを打ち明けることが、エリさんにとっても望ましいことではないのか。
告白が受け入れられるかどうかは別として、こういう気持ちはちゃんと伝えてほしいものであろう。あくまで、僕の知るエリさんからの推論でしかないが、以前より幾分か安心感があるのはエリさんと過ごした時間が増えたからであろう。
おそらく、問題はそこではない。
エリさんと僕のことだけを考えているうちは、概ね問題なさそうだ。否、問題そのものはあるのであろうが、それは積極的に考慮しないことを僕が好んでいるものだ。今考えようとしている詰らなく些細なことはそこにはない。それは僕の不摂生な熱を奪い、クラクラを詠ってくれるものだ。
冷たい。頬が冷たい。
火照った頬の熱を急速に奪っているのは、凍てつく紅の安らぎだ。
「ありがとう」
素敵なタイミングで、素敵な一時は、素敵な味があるのです。流石はサキだ。
「そう」
そっと僕の隣に座る。
それに呼応するように彼女の淹れたアイスティーを少し口に含ませる。
体を小さくして下を向くサキ。
脱力して天井を見上げる僕。
落ち着きを取り戻した、何やら懐かしい中枢部分が身震いしながら再起動する。
そう……、サキと……アンジェラのことだ。
妄想と現実がどうのこうのという話ではない。確かに妄想にも現実にも迷惑を掛けないように上手くやっていくことは難しいことだ。だが、やるしかない。やらねばならない。やらないと言う選択肢は無い。少なくとも、二つの区別はちゃんと出来ているのだから、苦労するかもしれないが、無理なわけではない。そして、ここでの蟠りはそこではない。
「はっはー」
沈黙を埋めるように何となく言葉を置く。それは窪みに嵌ることなくプカプカしている。
チョット恥ずかしかった。
「ねぇ……」
何でしょう……と答えにくい、意味深そうな質量のない言葉。その振動は何かと相互作用することなく、自由に、爽やかに、無抵抗に、線形運動する。
優しくすれ違う長く短い沈黙。
妄想とか現実とかで無ければ何か。その二つの区別に依存しないこと。それは……サキとの、アンジェラとの、エリさんとの、“人間関係”の話……であろう。少なくとも僕にとっては妄想は現実に劣ることなく大切なもので、無くてはならないものだ。エリさんとのお付き合いの中で妄想がどう関わっていくかはエリさんの意見も踏まえて考えるべきではあろうが、僕個人の心構えだけを考えても、その大切な妄想の女の子であるサキやアンジェラと同棲している状態でエリさんとつきあいたいと言うのはいかがなものか。妄想を大事にしているからこそ、通常の人間関係と同様に扱わねばなりますまい。
「どう?」
どうしよう。女性として僕が好きなのはエリさんだ。少なくともサキとアンジェラとは男女の何とかとは異なる関係を築いていかねばならないのだが、妄想である彼女たちは基本的に僕の中に住んでいる。そのため、彼女らが存在するためには僕と共に生きねばならない。
「うまい」
話があればいいのだが、そうもいかない。いっそうの彼女らと兄妹で、僕がシスコンになるってのはどうだろう。
「本当に?」
嘘です。僕が弟で、彼女らが姉です。
「……」
ごめんなさい。それも嘘です。兄妹と言う新たな関係を創ってしまうと、彼女らの特徴的な性質を変えてしまい、僕が人間関係を整理するために人格を強請してしまうようなものだ。妄想主は妄想の気持ちやら権利やらをリスペクトし、守ってやるべきであろう。では、今の関係を維持し続けるのか? 例え、奇跡的にエリさんと付き合えるようになったとしても、今のままなのか。同じとは言わないまでも、エリさん以外の女の子二人と一緒に暮らし続けるのか?
「無理しなくていい」
無理なものか、無理があるのか、無理をきかせば。譲れることなど無い様に思われるし、無理をする価値も感じられる。無理をしてでも……、否。
「無理なんてしてないよ」
そう、無理をすることにそもそも違和感がある。本来在りもしない問題に必死になる贅沢さの様なものがお腹を満たしている。
「そう」
背筋の凍る優しい言葉が僕の体に吸収される。穏やかな重量感が下腹部に溜まっていき、不可解が舌の上で沸騰する。懐かしい恐怖が骨に語りかけ、自己同型構造が蒼い測度を弛ませる。
頼りたい。
縋りたい。
泣き付きたい。
頼られたい。
縋られたい。
泣き付かれたい。
指先が触れる。異常な安心感。異様な包容力。尋常ではない優しい場所。人間離れしたそれは、圧倒的な存在感と共にサキの温もりを流し込んでくる。
「大丈夫」
そんな筈は無い。現状、大丈夫と考えられる要素は特に無い。全く無い。しかしながら、
「おう」
大丈夫。サキは僕よりも正しい。何が正しいかと言われれば未定義で、積極的に意味を放棄した空っぽの正義ではあるが、全力全開で正しい。そう、大丈夫だ。サキが言うなら大丈夫だ。根拠が無くても大丈夫だ。根拠があるよりも大丈夫だ。
そんな気がしたんだ。
そんな気になれたんだ。
そんな気が教えてくれるんだ。
サキと一緒に人間を離れようと思うんだ。
僕はサキの手を取り、小さく頷いた。