そのとき
防音設備というのは素晴らしい。大声で歌っても他のお客様の迷惑にならないように分厚い壁で四方を囲まれている。その酷く狭く圧迫させる空間にいるためか、いつもより、会うのが二度目なのでいつもも何もないのだが、否、偶然ぶつかった時を含めると三度目か・・・・・・はどーでもよくて、二人の距離が近づいているように感じられた。
閉じ込められているのは音だけではない。窓のひとつもなく、扉も磨りガラスになっているために、仮にカップルがいちゃついていても他の人には全くもってバレないくらいに、外から中の様子が分からないようになっている。セクハラまがいのアピールをしてみたい願望もコンニチハしそうになるのであるが、さすがにそれは、男の子が女の子を口説くと言うよりはおっさんがお姉さんに悪戯しているようなもので、憚られた。せいぜい心の内で悶々としているだけの方が僕には似合っている。残念なことに。
音と光の情報をほとんど遮断された時空領域。個室であるため当然臭いも遮断されていて、味覚や触覚は直接触れなければ働かないことを考えると、おおよそ観測可能な世界の全ては殆どこの部屋の内部のみと考えられる。何ならこのままカラオケボックスであることを忘れてゆったりまったりちゃっかりお喋りティータイムにしてしまっても良いくらいだ。ともかく、この愛だの恋だの下心だのが大脱走しちゃったりしちゃうぜなときめきチャンスを最大限余すところなくもったいない精神で有効活用しておきたいのである。
さて、最初が肝心だ。部屋が二人にしては少し大きめで、無駄なスペースが山ほどある。その空間をもてあますようにこじんまりと並んで座っていると、息苦しくて、大きく一息つく。画面には五月蝿くない程度の距離感を保ったコマーシャルが淡々と流れていて、訪れる人に、少なくとも僕たちに、フレッシュな話題を届けることはない。
沈黙。つい先ほどまで、至極自然であった会話が途切れる。微妙な間、微妙な距離感、微妙な空気。バランス感覚を失い、居場所を失って、適度な、比較的ストレスの少ない、とても落ち着く癒しスポットを探している。些細なことではあろうが、それはもうとても敏感になっている僕の心身には、猛烈に沁みていた。
なんと、痛々しい。
なんと、残念な。
なんと、可愛らしい。
エリさんはどう思っているのだろうか。このいちいち繊細に変化していると思われる空気をどう感じているのだろうか。このいちいち繊細に反応する面倒くさい僕はどう見えているのだろうか。そもそもこのいちいちが認識されているかどうかさえ怪しい。ただ、エリさんの気持ちがいつもに増していちいち分からなくなってきているのは僕がいちいち鬱陶しくしているからであろう。
そういえばこの沈黙は何であろうか。僕ならともかくエリさんは悶々としてだんまりするタイプではないであろう。気まずい雰囲気である訳ではないが、このまま放置するのはさすがに不味い。大体こういう時に素敵トークで盛り上げるのは男の子の役割ではなかろうか、むしろルールではなかろうか、むしろエリさんが男の見せ場だからと気を使って待ってくれているのではなかろうか。最後のは悪乗りもいい加減にして欲しいってなくらいだが、最初のは正しいとは言いきれないが間違っていないくらいの妥当な発想であるように思える。
きーみーがぁー、だいすっき!!
ちょいちょいちょい、空気読めよ!! 今大事なところなんだから!! どこの誰だか知らないけどさ、お前が沈黙破ってどうすんだよ!! 隣のボックスから丸聞こえだよ!! もうチョット頑張れよ、防音設備。頑張って下さい。しかも、言っちゃ悪いけどすげー音外してるよ。知らない曲だけど、明らかに間違っているよ。気持ちこもってるよ。気持ちこめたいんだよ。好きな歌を好きな風に歌えば良いし、僕にとやかく言われる筋合いはないだろうけど、理不尽上等で酷いよ。大好きって言いたいのはお前だけじゃねえよ。てか、『だいすっき』ってのやりたいよ。『すっき』あたりが絶妙だよ。『っき』やりたいよ『っき』。あんたの歌酷いよ。すげー酷いよ。八つ当たりだよ、御免なさいだよ、羨ましいんだよ。
「のってるねー」
本当にノリノリですね。
「負けられないね」
不敵な愛くるしい笑みを浮かべるエリさんはどうやら負けず嫌いのようだ。勝負の世界であるスポーツをしているせいか、本人の性格の問題かは分からないが、勝負好きの負けず嫌いで勝利好きであることが伺える。大体何を基準に勝敗をつけるのかがよく分からないが、客観的評価は置いといて直感的にお隣さんより盛り上がっていたと感じられたら良いと言うことだろうか。
それは負けられないね。
どうやら僕も負けず嫌いのようだ。エリさんとの共通点を発見だ。二人はお似合いなんじゃないかな。
「おう。じゃあ、最初よろしく」
この流れだとノリの良い曲を入れるべきなのだろうが、具体的に何を歌えば良いのかが分からない。しかし、完全にエリさん任せにするのも男として、勝手な男のイメージであるのだが、どうかと思うので、仮にエリさんも分からない状況であれば男らしく、根拠の無い男らしさの心象ではあるのだが、自ら場を作るように男気溢れる、それこそノリでしかない男気ではあるが、エスコート精神を発揮して選曲したいものだ。僕の趣味は子供っぽいノリというか曲が好きなのだが、それが適切であるという保障はどこにもない。そうでなければ、若干変なノリと言うか頭の悪い曲を・・・・・・。否、駄目だ。このタイミングではチャレンジング過ぎる。トビッキリのセンスを発揮できるに越したことではないのだが、最低限空気の読める選択が出来なければ話にならない。
「え!? アタシですかー」
と、言いつつリストを見ることなくリモコンを操作する。何と心強い。何と情けない。やっぱり二人はお似合いなんじゃないかな。
だ・い・す・き!
何ですと! いやいや、分かっていますよ。世の中に大好きを詠う詩がどれほどあるかは存じております。それは何も今に始まったことではなく、例えばよく知ったところで言えば百人一首に含まれるものも色恋を題材にしたものが最大勢力であって、今も昔も人が大きな関心を寄せ、思い巡らし、かと言ってこっ恥ずかしいから陽には言えなくて、だからこそ歌なんだよとでも言わんばかりに古今東西でわんさか詠まれていることは、まあまあ理解しているつもりだ。
いや、その認識はどの程度通用する概念で、かつ、何をもって理解とするかにもよる話ではある。とりあえず、無作為に何か一曲選んだときにそれがラブソングである確率は極めて高く、ラブソングを歌っているからと言って、その歌詞に類似した気持ちを伝えようとする意思がそこにあると考えるよりも、たまたまそれがラブソングだったと考えるほうがどちらかと言えば妥当であると言うことが分かる程度の認識といったところか。
しかし、これは一般には異性へのアピールであるとは限らないと言っているだけで、今、その言葉がどういう意味であるかについて何も分かってはいない。何も分かっていないということが比較的よく理解できているだけである。
だ・い・す・き!
ちょー可愛い!! やべぇ、やばすぎる!! 早くもドキドキの中心でキューンとなったぜ。
で、そのちょー可愛いやつの解釈の問題に戻るが、一番問題であるのはただ一回の、それも恐らくは極めて特別で特殊な条件の下での、一回の行為に対して、確率・統計的な発想、すなわち、多くの特殊な条件をないものと考えて単純なモデルを考えた上で場合の数が最も多いものを選ぶなんて言う発想がそもそも問題がある。こういう場合は、特別な条件、例えば僕とエリさんの今の関係性や、男女二人きりではあるけれども陽にデートであるとは確認していない状況、コンパをしてから会うのはこれが初めてで、明るくサッパリした感じのエリさんの性格、エリさんから認識されているであろう僕の人物像、そういった今の状況を特徴付ける特別な条件を考慮した上で結論を導く方が、正確であるとは言わないまでも、精神的な混乱や不安を抑えて一先ず、仮に、一つ候補として想定しておくものとして優秀であると思う。
だ・い・す・き! だ・い・す・き! だ・い・す・き!
リフレイン来たよ!! もう、僕は幸せだよ。とってもとっても幸せだよ。良い歌だよ。どこの誰だかしらねいけれども今僕は全力全開フルパワーで感謝してるよ!
で、それで、仮認識としての幸せフレーズ解釈のことであるが、これだけ考慮するべき条件が多くなってくると、理性の論理では追いつかない可能性が出てくる。処理する情報・変数が多い場合は理性である程度まとめて考えると同時に直感を働かせるのも重要なはずだ。自分、意識している自分が考えている以上に多くの情報を脳や神経系は処理をしているはずで、こういう複雑すぎる問題に対しては直感に頼る方が妥当であると考えられる・・・・・・、が、しかし、ここで問題となるのは直感が思った以上に、時には予言と言えるほど正確に、働くために必要なのの一つが圧倒的なサンプルの量、すなわち経験である。それなりに年はとっているので色々な人を見てきているつもりではあるが、女性関係の経験が圧倒的に不足している。
大事だよ、豊富な人生経験、大事だよ!
しかし、無いものは仕方がない。あるものだけでできる限りのことをやるしかあるまい。今の状況の特殊性を考慮していくことで驚異的洞察力が発揮されることを期待しよう。例えば、カラオケで一緒になるのが初めての場合の一曲目であるから・・・・・違う、この議論の流れは違う気がする。一般性を持って議論できるような性質の抽出をしがちな発想を転換しなければならない。かと言って、完全にケーズバイケーズで終わってしまっても困るから、程よく、そう、程よくだ。
そう、もっと今の状況を特徴付けるような特殊な条件・・・・・・、えっと、そうだな、例えば、キッカケ。そう、キッカケだ。お隣さんに負けないために盛り上がる、そこから始まったと考えてみよう。歌詞はラブな感じであるが、アップテンポで激しいと言うかシャウトしているというか力強い曲調がエリさんの選曲と共通している。負けず嫌いでどちらかと言うとノリの良い方であろうから、ノリノリのお隣さんに勝つのはノリノリノーリなくらい乗っていないといけないのだろう。そんなテンションアゲアゲな曲には、言葉に意味があるのか疑わしいものも少なくない。一部のロックには意味ではなくイメージやニュアンスだけで言葉を並べているだけと言う意味不明、少なくとも言語として解釈しようとすると意味不明な歌もあるくらいだ。すなわち、あたかも絵画での明暗や色彩を味わうように、音色としての言葉を捉える必要があるのではないのか。振動しているのが光と空気の違いがあるくらいで似たようなものと考えられなくもない。
これは、つまり、どちらかと言えばラブな意図は粗無いと考えるべきと言うことか。もちろん分からないことが最も重要かつ主要であるのが大前提で、こんなもんかな的なバランスで特別な意図は無いと思っておくと言うことだ。当たっていたらまあこんなもんかと思い、外れていたら『まさか!』とビックリする程度のことであって、それ以上の主張ではない。
だ・い・す・き!
少しだけ認識のストレスを減らすような解釈に近づいたようだが、なんだか寂しい。寂しいを理由に議論を曲げてしまうのもどうかとは思うが、もともと分からないから分からないままにしておくのがベストである、少なくとも僕はそう言う考え方を好んでいて、それにも拘らずいちいち仮の議論をしているのはアップアップしている気持ちを治めたいだけではないのだろうか。すなわち、目的は正確な認識ではなく、ストレスフリーになることだ。そう考えてみると、事実を捻じ曲げた認識で一時的に期待を持たせるのも悪くは無い気がしてくる。それでエリさんの前で僕がより良いパフォーマンスを発揮できるのならそれは十分すぎる正当性がある。
そういえば、歌の殆んどはラブソングであり、失恋なりやりきれない思いなり切ない気持ちをテーマとしたものの方が多い気がしなくもない。意図して選んではいなくとも、失恋や浮気などのネガティブあるいはシニカルな内容ではなく、積極的に好きと言う、それも堂々と真正面から連呼するタイプであることは、もしかするともしかする、少なくともこれから上手くやっていければ可能性はそれなりにあると考えれるほどの期待は出来る。
期待は良い。それが叶って喜んでも、外れて驚かされても、どちらにしろそれなりに僕にとっては楽しく生きていく手助けをしてくれる。そう、僕は期待を裏切られることを望んでいた。期待通りになることも、言葉通り良い事であるから、期待を持つことを躊躇う必要なんてないのではないのか。そう、期待とはそんなどちらでもよくて、どちらかと言うと有った方が居心地が良い、でも、無くてもそれはそれでといった、良くも悪くもそんな程度のものなのだろう。
そうさ、ぼくーらは、いーかーめーしーだ・い・す・き!
・・・・・・。こういう期待の裏切り方をしてくれなくても良かったんですけど、まあ、不本意ではありますが、このくらいが僕にはとってもピッタリなんだろう。その証拠と言うほどのものではないが、この微妙に笑えないオチと残念な今の状況が驚くほどシックリ来て、ビックリなほど居心地が良くて、ワーオなくらいにスッポリはまっていた。ホッコリほわほわランランだ。こういうバランスでやっていくことが丁度良い、そう直感が確信していた。
そうだ、こうしちゃいられない。
僕らは負けられないのだ。
その時、僕の中で何かが吹っ切れた。自分の内に引きこもることなくノリノリで合いの手を入れて、一緒になって『いーかーめーしー』。そう言えばこういう馬鹿馬鹿しいノリはどちらかと言うと好きなほうだった。
それに、よくよく見るとこれは面白いレアな光景だ。とてもめんこいキラキラきゅーんな女の子がウルトラハイテンションでいかめし愛を声高らかに歌い上げているスペシャルごっついキュートなライブショーはそう易々と見れるものでは無いのではなかろうか。
さらに落ち着いて聴いてみると、上手い歌声ではないがガツンと響く男らしい張りのある声で、曲調にピッタリフィットしている。可愛い女の子補正をかけなくてもかなり格好良い。これは、逆に上手いのだろう。上手く歌っていてはこの魅力は引き出せない。低音は力強く太い声、高音は声を嗄らして荒い声、ときに小さく音を揺らし、基本大声で怒鳴り散らす。大ボリュームなのに重くのしかかることなくポップでキュートに軽々歌い上げているのは基礎体力がある証拠であろう。身体パフォーマンスもなかなかで、踊っているわけではないが、自然と立ち上がり、強靭な足腰でどっしり構えて、お腹や背中を上手く使いつつ全身を楽器にし、開き直ったトランス状態で振り絞る。楽器としての身体スペックもアスリートは優秀なのだろうか、歌うたいのそれとは違うものではあるが、別の魅力を発揮している。
そうだ、音楽や芸術と言ったことに関して言えば、趣味の域を超えない全くの素人であることは確かであるが、全くの無知でも無ければ全くの経験不足でもない。人間関係の経験は偏っているかもしれないが、人間を詠う詩ならば比較的幅広く触れてきたのではなかろうか。あくまで推測の域を超えないのではあるが、馬鹿馬鹿しい歌詞に反して曲は確りしていて、キャッチーで吸引力のあるモチーフが歌全体を引っ張っている。単純な構造ではあるが、それゆえ誤魔化しが利かないので一つ一つのフレーズがすっぴんフォーカスで勝負している。表現することに飢えている、ストレスを打ち砕く、カウンターカルチャー精神が暑苦しい、くだらないことに真剣な曲である。
しかし、不真面目なことを堂々と真面目にやることは快感であり、面白みではあるが、歌っている本人はそう言うノリが感じられない。こんな面白い歌あるよ、どうよコレ的な素振りは一切無い。その辺の普通の曲と同じように、いつでもコレくらいのテンションで歌ってますよ的に、しれーっとノリノリである。そのせいか、曲そのものの持つツッパッタと言うか刺々しく青臭い感じが丸みお帯びて、より真正面から糞食らえな爽やかさが増しているように思われる。
つまり、エリさんの場合、既存の文化や体制に対抗すると言った発想ではなく、どれもこれもあれもそれも有りなんじゃねと言った荒っぽくも懐の深い、大雑把でサッパリ爽やかぺっぺけぷーなのではなかろうか。あくまで推測の範囲ではあるが、しかし、本人が意図して無かったとしても自然とそういった選曲やパフォーマンスが出来るのは、それだけのバックグラウンドが多かれ少なかれ備わっているからかもしれない。
「ノリノリですね」
絶好調です。
「こういう馬鹿っぽいノリ好きだから」
取分け子供っぽい馬鹿騒ぎが大好きです。
「おお、分かってますね」
無駄に握手。否、無駄ではない。無駄であるはずが無い。
鍛えていても女の子、可愛らしく綺麗なお手手だ。柔らかく温かい、優しい感触。
コレが女の子の・・・・・・って、イタタタタ!
と、リアクションする程ではないが、かなりキッチリかっちりガッチリ握り締め、そのまま軽く手を振り、そのグッと握る感じとアイコンタクトで気持ちを確かめる。優しくも淡いキラキラのスキンシップではなかったが、熱血パワーが迸る、汗ばむホットな勢いが止まらない。
「そろそろ次入れてくださいね」
おっと、そうだった。ここまでのパフォーマンスを見せられては僕もそれに応えねばなりますまい。空気だかノリだかが大体分かってきたので、ここは恐れることなく馬鹿馬鹿しい曲を連ねよう。いつもの僕であればそれでもいちいち迷っているのであろうが、今の僕なら問題ない。
多分!
恐らく!
何となく!
そんななんだか高まりを見せているものがピークに達した時、僕の意識は失われ、記憶は途切れていた。感覚的には、極度に集中しているパフォーマーがその時の記憶が無かったりするのと同じような現象なのではないかと思う。それほどに気持ちが高ぶり、馬鹿騒ぎすることに全身全霊集中していたのであろうか。
それだけエリさんとの時間を充実して過ごせていたのであれば良い事ではあるが、自分がどう立ち振舞ったのかが分からないと言うのは今思うとかなり不安であった。