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10/16

金曜日

 向うはデートとは思ってないかもしれない。確かにそうだ。そもそも二人きりになることを知っていたのは僕だけでエリさんにはその気は、ちょびっと位はあったのではないかと思いたいところではあるが、一切無いのであろう。いきなり飲み会で一緒だった男とデートだ何て早々あるものではない、全く無いとは言えないけれどその男が僕であると言う条件のもとでは限りなく無いに近い。つまり、今のこのとても幸せラッキーボーイシュチュエーションはとてもとても優しくて空気の読める愉快な友人達の愛情と友情とふっふっふーから成り立っているのだ・・・・・・ったようだ。

 はっきりと断定できないのは、何か知らないうちにいきなりデートの真っ只中に放り込まれた感じで、連続した、ハッキリとした、整合性のある記憶と言うか意識と言うか何やらそんな今と僕を確かなものにしてくれるものがぼんやりしているからである。症状と言うか病状と言うかが徐々に酷くなってきているので、『気がついた時は遅かった』にならないように、どうにかしようとは思ってはいる。しかしながら、いつもそれにも増して重要なこと、例えば今目の前にいる憧れの人のこととか、がそこら中にワンサカ無造作に転がっているので、それらに対応することで後回しにされている。また、自分の理解を通り越し、期待を裏切り、追い詰めてくれるようなものを好む僕は進んでその中心に飛び込みたいと望んでいるのも確かなことだと思う。


 つまり、今は目の前のことに全力だ。

 つまり、僕にとってのデートに全力だ。

 つまり、エリさんにとってもデートになるように全力だ。


「あれ、おっかしーなー。皆そろって。二人になっちゃっいましたね」

 皆そろってありがとう。

「これってデートですか?」

 そうだよね、そう思うよね、そうに違いないよね。エリさんの口からその言葉が聞けるだけでも嬉しいことだ。

 ニヒッと笑うその笑顔が爽やか可愛い。さらに、一歩前に出て少し屈み、振り向きざまに見上げるようにして顔色を伺う仕草がべらぼーにキュートだぜ。

(デートですね)

 声小さいよ。ハッキリ言おうぜ。

「ん!? 何か言いました!?」

 すいません。

「ああ、これからどうしましょう? 二人で行きますか」

 もとはと言うと、プルプル大野さんがバイト先で仕入れたカラオケの割引券の期限が今日までだった、と言うのがちょうどいい都合になっていたようだ。さすがに二人カラオケは、密室二人きりは、ちょっくら早いんじゃないかと思う。中高生じゃないんだからそこまで慎重になる必要も無い気がするが、なんと言うか、いつもにも増して強いブレーキがかかっているのは、少し明るい兆しが見え隠れしてきたからだろう。

「アタシ歌下手だからなー」

 僕もあまり得意な方ではない。それにマイナーな曲ばかり歌うから、と言うよりメジャーな曲を知らないから、場を保てる自信が無い。そもそも知っている曲が入っているかどうかも怪しい。不安要素がてんこ盛りの状況で突入するのはあまりにデンジャラスでは無いのか。いや、しかし、ここで何となく解散してしまうよりは幾分かましだ、代案が思いつかないのなら勢いに任せて行ってしまった方が良いのかもしれない。

 何せ、今の僕にはブレーキがかかっている。最初は当たって砕けろ感があったので、ギリギリのところで一歩前に踏み出すことが出来ていたのかもしれないが、少し希望が持てたとたんに尻込みしてしまう。希少価値の高い状況を大事にしすぎてしまっているのだろうか。もともとあまり上手く出来ないほうであるから、最後まで当たって砕けろ精神でいるくらいが丁度良いのであるかもしれないが、残念なことにいちいち小さな、しかし本人にとっては大きな、幸せというか進展に敏感になっている。

 しかし、ここでカラオケを強行することが当たって砕けろ精神かと言われるとそれも疑問である。目の前の手っ取り早いものに飛びつく当たり方だけが砕け散る美学に適った選択とは限らない。例えば、代案なんて考える前に無計画に他の何か面白いことがしたいとか言う我侭な主張をしてみるのも砕け散る感があって良いのではないのか。

「考え事ですか?」

 険しい顔をしている僕とは対照的にとびっきりの爽やかスマイル。ではなくて、ここは返事をしないと。頭の中で考える前に言葉を返すようにしないと挙動不審な人になってしまう。慌てて品のない発言や、エリさんを傷つけるようなことは発してはならないとは思うものの、沈黙もそれとドッコイなくらい好ましくない。

 まて、慌てた発言が駄目なのであれば無駄なことがぐるぐる回っている状態で喋ることも同じくらい好ましくないことになるのではなかろうか。さらに、こちらの方が予期せぬことが起こる確率が、もちろん良い方向に転がる可能性もあるのだが、格段に高いために躊躇している今の沈黙はむしろ適切なほうと言えるのかもしれない・・・・・・筈がありませんね。

「歌ってる人が楽しければ良いと思うよ。僕もどちらかと言うと苦手です」

 それだけを言うために随分頑張ったね。 

「ふーん。歌上手そうなのに」

 何を根拠に? 声質? そこまで良い声をしているわけではない。体格? 確かに良い筋肉のつき方や肉付きは楽器としての身体にとって重要であるかもしれない。性格? パフォーマーとしてのスピリッツを感じると言うやつだろうか? 否、違う、ウジウジしているだけの僕にそのような才能はあるとは思えない。少なくとも才能が感じられるようなところを見せた覚えはない。否、果たしてそうだろうか。なんだかんだ言って妄想好きのお調子者的な性質を兼ね備えているため、心を解き放てば高いパフォーマンスを発揮できるポテンシャルはあるのかもしれない。それを彼女が感じ取ったと言うことだろうか。否、やっぱり違う。百歩譲っても僕に出来るのは歌唱ではなく演技、歌っている人になりきると言うことだ。トランスと言ってもいいのかもしれない。だから、僕の歌は歌ではない。否、何だかんだでそれもおかしい。そんな区別の必要性あるいは合理性が自明ではない。歌と演技は違うものなのか。少なくとも両立する、歌でもあり演技でもある、あるいは、歌が演技になっていて演技が歌になっている状態が起こりえるのではないのか。否、そうかもしれないと見せかけてズレている。エリさんがそこまで考えていると言う保障はない。もっと軽い気持ちで、そう言いながら実は上手いんじゃないの(疑)はっはっはー(笑)的ノリで言っているのかもしれない。その可能性は大いにありえるのではないかな。否、どれもこれも丸ごとそっくりそのまま間違っている。そもそもこんな事を考えている僕が一番違う。ここは・・・・・・、

「上手そうって・・・・・・。そんな風に見えますか?」

 これでどうだ! と、言うほどのことではないのですが、言いたくなるくらい無駄に頑張ったさ。

「何となく? 勘だよ、勘」

 そうなりますよね。何がエリさんにそう言わしめたかを考慮すれば何かメカニズムらしきものが分かるかもしれないが、ここでは考慮しないと言う選択肢を選ぶべきだろう。とりあえず、会話が上手く運べばそれで良い、むしろ、それが発言の効果あるいは意図あるいは目的の全部とは言わないまでも一部になっていると思えるほどだ。

 しかし、勘が働くのは良い事だ。僕であれば、働かないとは言わないが、勘が働いた瞬間にそれを疑ったり、因果関係を考えたり、そもそも何故そう言う発想が生まれてきたのかを説明しようとしてみたりで、すぐさまそれが表に出ることはまれである。頭の中ではグルグルしているが、頭の外では偏屈で見苦しい顔があるだけだ。

「エリさんも実は上手かったりするんじゃないですか?」

 なんて勘が働いてもなかなか言えるものではない。

 同じことを考えていても、僕の場合はいくらかものを考えてから出なければ発話にならない。考えたとこりでどれほど正確になるか言われれば、焼け石に水で、じゅーっと音を立てる程度であることが殆どではあるが。高々どれほど不正確かが比較的良くあるいは具体的に分かるだけであって、結局言葉になったものは相変らず暴力的で不安定ではある。尤も、大概の人はそれほど気に留めることなくそこそこ良心的に解釈したり積極的にスルーすることできわめて平穏に捌いてくれるものである。

「そんなことないよ」

 そんなことないことは自明ではない。そのように言ったことには一応は、弱弱しいものではあるが、無駄にではあるが、根拠がある。体を鍛えているようだし、発声に関する筋肉もそれなりに発達している。癖があると言うか特徴的、個性的な声ではあるが、それはとてもよく通る魅力的な声であることを考えると、上手に歌える保障はないが、格好良い、あるいは、何か人を惹きつけるような魅力のあるパフォーマンスを発揮できる可能性は高いのではないか。

 まあ、下手でもそれはそれで可愛らしいので僕としてはどちらでも良い、むしろ、そういう一面が見られる方が望ましいくらいだ。やはりこのままカラオケと言うのも悪くはないのかもしれない。

 まてまて、それは行き過ぎている。あくまで聞くのが大丈夫なだけで自分が歌う立場になった場合の問題は一切合財これっぽっちも解決していない。一般的に受け入れられるかが自明でない僕の歌を聞かされるエリさんの身にもなって考えるべきだ。そう、エリさんの立場になって考えると言うことが大事だ。せっかくだから今日は、アピールしたい気持ちも山盛りであるのは確かであるが、ガッツリ楽しんで欲しいものだ。さっきのことも、聞く側の僕が喜んでいるだけで歌う側のエリさんが楽しめることが分かるわけではない。一緒に楽しい時間もすごせないのに好きとか言ってる場合ではない。好きとか言いたい場合ではあるけれども。


 大好きだ!!

 

 と伝えたい気持ちはそこら中に溢れかえっているのではあるが、順番もタイミングもヘッタクレもない暴力的なタイミングでうっかりチャッカリ口走るわけにもいかないので、

「ま、とりあえず、歌いたいように歌って満足出来ればいいんですから、それでよければ行きましょう」

 くらいで勘弁していただきたい。とりあえず、歌の上手い下手はおいといて楽しい時間がすごせればと思ったのだが、どうだろうか。何やかんやを置いといて、概ね行きたいのであればそれで良いくらいのニュアンスなのだが、投げやり気味な印象を持たれたかもしれない。

「じゃあ、行こう」

 素晴らしい決断力。本当に素晴らしい。僕だったらそのテンポで反応を示すことがまず出来ない。さくっと、かるーく、軽快に、パッと、ピヨッと、道を切り開く圧倒的な瞬発力が光り輝いている。例えば、『それでよければって何だよ、おめえは行きたくねえのかよ』とか、『歌いたいように歌えることがそもそも困難だ。歌いたいように歌えるような空間がそこにあるのか、そう言う雰囲気を作れるかどうかが心配なんだよ』とか言いたくなるかもしれない。突き方は色々あるであろう。

 つまり、空気が読めていない発想であって、そんなこんなを理解した上で、あえて何だかんだを放り出して、サクッと『行こう』と言えることはとても価値あることだ。僕にはそこまで爽快感みなぎるキュートな全力肯定はとてもじゃないが出来はしない。自分が出来ないとても素敵なことをいとも簡単にやってしまう貴方はどれだけ僕を惹きつけたことだろう。

 

 さて、行き先が決まったところで何を話したらよいのだろうか。エリさんについて知っていることと言えば体育大学に通っていて、アルティメット選手で・・・・・・と、言うことは今も練習してきたあとと言うことだろうか。それだけ真剣にスポーツに取り組んでいると言うことは日々の練習は欠かしていないに違いない。

「練習の後なんですか?」

 頭で考える前に聞いてみましょう。

「そうそう。今日のはきつかったー。もう足パンパン」

 テヘッとした表情。サラッとそう言ってはいるが、本当にきつい練習だったのであろう、足取りが重いと言うほどではないがどことなく立ち振る舞いに疲れが見え隠れしていた。もっとも当の本人はいつものことだから気にしない気にしないってなノリでどちらかと言うと上機嫌だ。おそらくは、そのような厳しい環境にわざわざ身をおいていることが自分を特徴付け、『きつかったー』と言いながらもそれが個性の一つとして成立していて、自ら望んでそこにいるのではないか・・・・・・と言うのは大げさな言い方ではあるが半分位はあっているのではないかと思う。

「どういった練習をしているんですか?」

「えーっと・・・・・・走る、投げる、キャッチ?」

 素人が大雑把な質問をしたのがまずかった。よく有る質問ではあるが知らない人相手には説明しづらいものだったのだろうか。その、ザックリとあまりに簡潔な解答ではあるが、その通りと言えば全くその通りなのであろう。

 あくまで推測ではあるが、基本的な動作であろうから、全力プレーの中で正確に行えることがプレーの幅を広げていくことを考えると、それ以上でも以下でもなくその三つのスキルを鍛えることが全てと言うことだろうか。恐らくは全力に近い運動を断続的に続けることを考えると厳しい耐乳酸トレーニングになっていることが予想される。疲労していた状態でも的確に状況を判断し、最後まで走り、正確にプレーするにはフィジカルを鍛えるとともに反復練習を重ねることが必要であろう。

「大雑把過ぎました?」

 しまった、ツッコミを入れるのを忘れていた。大雑把な解答をスルーして、挙句の果てに自分でフォローさせるなど最低のことだ。

「いえいえ、・・・・・・そうですね、走る・投げる・キャッチですよ」

 とりあえず全力肯定。

「そうです、そうです」

 そうなんですよ。


 そんなこんなで辿り着いたカラオケボックス。特別好きな訳ではなく、自分から行くことはないのであるが、大教授の大好物であるために結構な頻度で付き合わされる。機種によっては僕の知っている曲が入っていないのできちんと選びたいところではあるが、この店は随分流行っているようで望み通りにはならなかった。


 やべぇ。

 歌える曲がない。

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