夜中のロード時間
1話『夜中のロード時間』
暗がりの中で画面の光が輝いている。時刻は2時を回ったところだろうか。
「んっ、くはぁ。」
大きく背伸びをし、欠伸を一つ。
いい加減疲れてきた。ここのところ、まともに眠れていない。
世の学生たちがもっとも嫌うであろうイベント、その一つは「テスト週間」と言うもののはずだ。
確かに、部活は一時休みになり、学校によっては午前中で切り上げるところもあるだろう。
だが、その代償として、学生たちはテストという形式で、人間の性能の差別を視覚情報で付けられてしまう。
優れた成績、優れた進路に進むためには、一般的には人並外れた努力が必要だろう。
そう、一般的には。
私、咲良は違った。
一般的ではなかった。
才能と言えば聞こえはいいが、特に私の場合は、才能とは一言に言えないほどの気味の悪さだった。
初めてその気味の悪い能力を自覚したのは、小学校卒業が近づく秋だった。
家では大掃除をしている最中だった。
私の家では年末と言わず、月末には大掃除がある。
それも全て、潔癖気味の母のせいなのだが、まあ、家がきれいで嫌になることはないし、家族を手伝っていた。
本棚の整理中、一冊の重々しい問題集が落ちた。
なぜ問題集と分かったかって?
表紙にでかでかと「トップを目指せ、中学受験!」とありがちなタイトルが書いてあるからにはもうこれは間違いなく問題集だろうなと思った。
なぜそこに問題集があったのかは特にきにもしなかった。元々、本の多い家だったし、父親が教師なのでそういう問題もあって不思議ではないと思った。
ほんの好奇心だった。
当時小学校の私は、好奇心でその本をパラパラとめくってみたのだ。
そう、本当に軽く目を通すだけ。
それだけだった。
それだけで済めばよかった。
忘れられないのだ。
問題の解き方、解説、回答、挙げ句のはてに問題文の一文字すら、鮮明に覚えていた。
量にして、およそ千ページはあったと思うが、その全てのページの内容を覚えている。
ページの隅にある意味のわからないマスコットの表情さえも覚えていた。
低学年の頃から記憶力には自信があったが、これは記憶力というレベルの問題ではないと思った。
何日たってもその記憶が薄れることはなかった。
怖くなった私は両親に相談した。
両親は初めは私がからかっているのだと思い、まともに取り合ってくれなかった。
だが、私が問題集の最初の百ページを完璧に書き写すと、両親の表情が変わった。
それからしばらくして、私は中学受験を受けた。
結果はまあ、余裕だった。
見たもの全てを記憶する、この不気味な力のおかげで、大幅に時間が余るくらいだった。
その後も、中学のテストはテスト勉強など、一時間で全ての強化は十分だった。
軽く教科書を斜め読みする、
教科を変える、
また斜め読み、
その繰り返しだった。
提出物だけは自力でやる必要があったが、さすがは進学中学、全ての教科で満点をとる私に、ノートを出せと言う教師はいなかった。
そして、能力を駆使して周囲では名の知れた名門高校に、一般入試で入った。
私の場合は、推薦もうけられたが、一般入試の筆記試験のみの方が確実だった。
そして、いじめにあった。
冷静に考えればわかるようなことだった。
自分が必死で努力して入学したような高校に、
ただ家から近いから
という理由で入学されたら、いい気はしないだろう。
そのいじめに、心の弱い私は耐えられなかった。
いっそ、消えてなくなりたかった。
その結果、私が不登校になるのに時間はかからなかった。
だが、俗に言うニートと呼ばれるやつにはなりたくはない。
これでも年頃の女子なのだ。
両親に迷惑はかけられない。
今の私にできることを探した。
そして、現在の職についた。
詳しく言うと複雑になるが、ざっくり言うとネットを使った取引のようなものだ。
私のこの能力があれば楽に稼げた。
今では普通のサラリーマンの年収は軽く越えているはずだ。
これが私の日常。私の生きる道。そう思って割りきっていた。
「んー、そろそろ上がるか。・・・よいっしょ!」
私はパソコンをスリープモードに切り替えると、机を蹴った勢いで、椅子をベッドに向かって等速直線運動させた。
ベッドと椅子がぶつかる鈍い音と同時に、私の体は一瞬浮遊する。その後、ベッドに着陸。
「ふぉふぅ!」
私には、それなりのこだわりがある。
まず、タオルケットを軽く体に巻き付ける。
その次に、羽毛の布団を体に羽織る。
こうするとちょうど富士山のような状態になる。
その布団の中に頭をいれて、枕で蓋をする。
これで完成、
名付けて『ベッド・サクラー・マウンテン』。
こうするとだいたいすぐに眠れる。
朝起きたときは完全に崩れているが、不思議と気だるさや、身体の痛みはない。幼い頃からこうして眠っているので、この寝方が一番ぐっすり眠れる。
「ふぁぁぁ。今日も働いたなぁ。」
私は今日一日にとても満足していた。
誰に何を言われることもない。
努力はお金と言う形になってしっかりと帰ってくる。
そんな日常が、私はとても気に入っていた。
もう二度と、学校なんて行ってやるものか。
「なにあんた、そんなに一番とって嬉しいの?」
「また満点。どーせ不正でもしたんでしょ。」
「一回見た物は全部覚えてんだって。きっと改造人間とかじゃね?ギャハハハハ!」
「ッッッ!!!」
勢いよく飛び起きてしまった。
「はぁ、はぁ。」
身体中が汗でじっとり濡れている。
またこれだ。
私の能力は万能ではない。
覚えたくないようなことも全ての見たもの、聞いたもの、感じたものを記憶する。
もちろん、思い出したくないような地獄の記憶も。
「・・・。」
仕方がないことだ。
どんな能力にも欠点は付き物だ。
完全無欠の能力なんて存在しない。
だから、
「・・・飼い慣らさなきゃ。」
私はもう、十分逃げた。
もう逃げたくない。
だから、この表裏の記憶を完全に支配下に置く。
とはいえ、
「この汗は、ちょっと尋常じゃないかな。」
ひどい量の汗だった。
このまま再び寝るのも気持ちが悪い。
上だけでも着替えるとしよう。
「んーと、着替え着替えは・・・ん?」
着替えを探す私の後ろで、パソコンのメール受信の音がなった。
「あれ、何かのバグ?それとも、そういう使用のメール?」
パソコンはスリープモード。
電源は切っていないとはいえ、音は鳴らないはず。
「とはいえ、仕事の緊急メールだと面倒だしなー。」
本音は少し怖い。
あまり開けたくないし、今は4時過ぎ、なにより眠たかった。
軽く目を通して寝よう。仕事のメールなら起きてから返せばいい。皮肉なことに、時間は有り余っている。
椅子に腰掛け、マウスを握ってメールをクリックする。ピコン、という効果音と共にメールが展開され、中心に回転するゲージが現れた。
どれくらいたっただろうか。軽く時計を見る。
4時30分、あれからおよそ30分経っていた。
やけにロードが長い。
通信環境は最新のやつを仕入れているので問題はないはず。
では、このメールの容量が大きい?
それにしては長すぎる。
「ったく、このクソ眠たい時間に。」
私は苛立ちを隠せなかった。
画面を見つめながら、何度夢と現実の間をさ迷ったか。
もう諦めて寝てしまおうかと思っていた。
ピロリン♪
聞いたことの無い音が流れた。
はっとして画面を見ると、メールの本文が表示されている。
眠い目を擦り、内容を確認する。
『こんにちは。記憶の管理者様。
私は記憶が熟す、この時を待っていました。
私はあなたの体質を知っています。
詳しくはこちらをクリック↓』
怪しい香りが全開だ。
小学生が思い付きで書いた感想文のような、途切れ途切れの文章。
なにより、
『詳しくはこちらをクリック』
に、ろくなものはない。
だが、それらを差し引いても、私の目を十分に奪うワードがあった。
「私の、体質を知っている?」
背筋に悪寒が走る。
両親以外にこの特異な能力を知っている人間はいない。
はずなのだが、
「・・・ちょっと見て、やばそうなら戻ればいいか。」
そんな安易な気持ちで、私は付加されたURLをクリックした。
その刹那、
パソコンのディスプレイが発光した。
太陽を直接見ているかのような強い光。
思わず目を背けたが、その視界の端にちらりと写った画面に、
『thank-you, and welcome!』
そう書かれていた気がしたが、はっきりとは分からない。
私の意識は、そこで途切れた。