第十一章の10
俺は部屋に入るとあっけにとられた。外で構えていたのがバカみたいだ。
冷菜と依代さんは終始笑顔で話し合っている。だいぶ話が盛り上がっている。楽しそうで何よりだ。
しかし、それだと涙目で飛び出してきた研究員の説明ができない。
あって日が浅いとはいえ目の前で研究員の女性が依代さんに怒鳴られたところを見た場合どうだ。怒鳴った依代さんとこのように笑いながら話すことができるか。
あるとすれば冷菜は依代さんが研究員を泣かせたことを知らない。確かにひなのいる部屋と廊下の間には部屋が一つある。しかし、その部屋は大股だと1歩半。それに壁は薄く防音性に欠ける。おそらくこの部屋は殺菌用。
疫病か何かの際に備えて現在冷菜がいる部屋があるのだろう。病で倒れた人をあの部屋で隔離し、蔓延するのを防ぎつつミラー越しに観察。必要な場合に医師か誰かが部屋へ入り、入室した者が外へ出る際にあの小部屋で滅菌、消毒。外へ病原菌が出ていくのを防ぐ。
なるほどだ。そうみるとこの部屋はよくできている。
だが、それは想定された使い方の場合だ。今回の件には関係ない。
もう一度言うがあの狭い部屋に防音機能はない。皆無と断言してもいい。あの部屋で研究員を泣かせるような出来事があれば冷菜に音がいく。
廊下ならどうだ。無理だ。俺がいる。依代さんが出てから続くように俺はこの部屋へ向かった。少し考え事をしたが、それは短時間だ。廊下で何か事を起こしていた場合、俺に見つかる。
同じ理由で既に起こっていて泣き止むまで狭い部屋で研究員が籠っていた。という仮説もなしだ。籠れるほどの時間がない。
本当に何があった。
「二式君。そんな難しい顔をしないで。心強い仲間ができたんだ。喜ぼうよ。」
依代さんの屈託ない顔。
「それもそうですね。」
“仲間ができた”ね。あなたのその顔に裏がありそうですよ。“冷菜の無事”ではなく“仲間ができた”ことを喜んでいるあなたの顔にね。
「私もうれしい。ひーくんの力になれる。」
冷菜の言葉は嘘じゃない。これは長い付き合いから感じたことではない。誰がどう聞いても本心だとわかるものだ。
本当に優しい。だから、だからこそ、これ以上に巻き込まないようにしなければ。
依代さんは、ただの好奇心旺盛の研究員ではない。これは俺の能力による警鐘かどうかはわからない。だが、きな臭い人は警戒しておくべきだ。
「今日はいい日だ。こういう時は、集まってワイワイしよう…て、言いたいけど、夜も遅いし、霜月さんの体力の衰えもある。また今度だね。」
その一言を告げ彼は扉の向こうへ姿を消す。
何ヶ月とまではいかない。だが、数週間は眠りについていた。歩けないわけではないだろうし、日常生活が全くできないという事もない。しかし、ふとした拍子でこける可能性はある。
安全を取るなら、体を慣らす必要があるだろう。
彼は気遣いができる。しかも安全への配慮もだ。無茶はさせても、決して無理をさせない。だからこそ、抜け目がない。
敵に回すと本当に厄介だ。どのような手段を以って仕掛けてくるのか想像できない。もし仮に想像できたとしても、その手段事態が偽装なのではないかと疑ってしまう程。
今までお世話になっていた人を敵としてみるのはどうかと思う。だが、彼を依代 学を知っていこうとするたびに遠ざかっていく。疑問が出てくる。そして、その疑問を解こうと努力して、また疑問が出る。疑問が疑問を呼ぶ。
謎だ。この人の背景に何があるのか想定などできない。そう思うととてつもない不安が襲う。
彼の過去を知って近づけたと思えばこうだ。いや、過去を知ったからこそなのかもしれない。この人の闇は深い。根深い。その闇がこの人を作り上げたといっても俺は疑うことはないだろう。それほどつかめない。
「優しそうな人だったね。」
学を良く知らない彼女はそのような印象を抱いたようだ。
俺もそうだ奴の笑顔をそのまま受け止める。受け止めてしまう。それほど完成度の高いものだ。
前の俺なら冷菜が受け取った印象に賛同し、彼の良い部分だけを挙げていただろう。
だが、今の自分にできるとは笑顔で誤魔化すことだけだ。
あの人は俺の観察力では観ることができない。度量をはるかに超えている。警戒しよう。




