第十一章の10
現実を受け止められないのだろうか。ベッドに腰かけた冷菜は茫然。そして、俺たちが隣の部屋でいたことを伝えたのであろう女性職員は目を丸くしている。
「この程度で驚いていたら研究員失格だね。」
女性研究員の様子に呆れたのか、ぼそりと一言。そして、後輪のハンドリムへ手をかけ綺麗に反転し、ドアへ姿が言える。
女性研究員への注意のためか。しかし、この程度で驚くとかなんとか言っていましたが、あれで驚かないのは知的好奇心豊富なあなただけだと思います。
「ここでいてもなんだしな。」
することが無いから俺も行くか。仕切りのミラーがあったところを通れば近い。しかし、すべてが割れて地面へ落ちたわけではなく、まばらに框へ残っている。
最悪の事態を考えると通るのを避けた方がいい。依代さんと理由は違うが、同じように廊下を通っていくべきだな。
いつか忘れたが、依代さんはここを地下迷宮と例えていた。だが、この階は改装工事等が行われていないらしく、迷うような造りではない。隣接する部屋への移動。これで迷子になるわけがない。
扉を出て右、最初に右手に見える扉。これまた自動ドア。前に立てば開く。
そして、扉の先には。そう、フローラルの香りが俺を迎える。
「フローラルの香り。」
この先は無臭で、何もない空間ではなかったか。もしかして迷った。
「すみません。」
今にも消え入りそうな女性の声。微かに震え、どこか湿りを感じさせる。
この声の出どころは目の前の研究員。俺の肩を超える身長、肩下まで伸びたブロンズの髪、大きな瞳は涙によって濡れ微かに赤い。スレンダーな体系であるが手足は長く雑誌に載っていてもおかしくない。
「いえ、こちらこそすみません。」
俺の返事を聞くとすぐに頭を下げ、逃げるように俺から見て左へ駆けていく。名前は知らないが、彼女は冷菜の隣にいた人。この部屋は目的地であったようだ。
だが、あの人、涙ぐんでいた。瞳や声から鑑みて勘違いではない。
依代さんの性格からすれば怒鳴り散らすことはしないはず。あるとすれば、一言毒を吐くことだ。しかもその毒は非常に弱い。
しかし、好奇心の亡者。興味のあることに関しては予想できない行動をする。頭ごなしに怒った可能性も否定できない。現場に居合わしていたであろう冷菜に聞いてみるか。
でもな、俺にそんなことを聞くほどの勇気はない。この扉の向こうは、なんとなくで入ろうとした八畳の部屋。これほど重い空気だったかな。気持ちの問題だろうが、俺の足も重い。
「なんで、こんなところに入ろうとしたのかな。俺。」




