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戦場は、極寒地獄の様相を呈していた。
カノッサ王国と、帝国と同盟を結ぶナゼイル王国との国境付近、見通しの良い平野でそれは始まった。
まず、国境を犯して侵入したのは蒼き鱗持つ氷龍の軍団。氷龍将グラキと氷人将エース率いる百の龍。
それを迎え撃ったのは、『乱獅子』とその部下たる高位魔導師十名による儀式魔法〈極小隕石群〉の洗礼だった。
降り注ぐ高熱の石塊の直撃を受けて、半数近い龍がその騎手を失った。
そうでない龍も含めて大半が手傷を受けたが、死した龍は僅か5体。未成熟なヤング・ドラゴン達が騎手と運命を共にしたのである。
「天馬騎士団、前線はそちらに任せるぞ!」
「「応!」」
『乱獅子』の激に天馬騎士五百騎が呼応する。
後衛を努め、強化・弱体魔法による補助と火力支援を行う魔術師達を含めればその数八百。数的有利は八倍、しかしそれをもって戦力的に優位であるとは言えなかった。
相手は史上最強の生物、ドラゴンである。ただそれだけで、この場の数量差を覆して余りあるが、さらには帝国四龍四人将が一組、氷龍氷人将が先陣を切っている。
「中々やるじゃねえか! 流石はカノッサの双璧ってところかあ?」
ひときわ体躯の大きな龍に跨り哄笑する、蒼き龍鱗の具足を纏う将。まだ年若い響きを声に滲ませているが、その笑いには明白な余裕が感じ取れる。
油断ではない、余裕である。この差はイザベルとレオルドの前に巨大な壁として立ちはだかるであろう。
「クカカ、油断ならぬ敵というのも久方ぶりよな。主殿よ」
氷龍将グラキが主に付き合って笑い声を上げる。
ただそれだけで、彼らと激突せんと走っていたペガサス達は一瞬、立ちすくむ。
拍車をかけられてすぐさま立ち直るが、戦のために訓練された天馬を笑うだけですくませるとは、ただごとではなかった。
それほどに、天馬たちには感じ取れてしまうのだ――生物として、覆しようのない格の差を。
ペガサスに鱗はない。龍の牙や爪、ブレスの直撃を受ければひとたまりもないだろう。
ペガサスに牙はない。龍に対して決定打を与えることは彼らにはできない。
彼らが乗騎として龍に勝る点があるとすればただひとつ、その俊敏さだけである。それにしたところで、翼持ち速度強化の魔法を使いこなす龍が遅いというわけでは断じてない。
天馬達の先頭集団に〈氷龍の呼気〉が容赦なく吹きかけられた。
面状に放射され地面を、空気を凍てつかせる冷気は、騎手の迅速な手綱さばきの甲斐なく直撃を受けた一部の天馬騎士達を瞬く間に凍りつかせ、氷の彫像と成さしめた。
天から落ちた彫像は脆くなっており、地につくと同時に粉々に割れ砕ける。翼などペガサスの身体の一部で被害を留めた者達も、動きが鈍ったところに同時に放たれたブレスや続けざまに放たれた無数の氷結系魔法とによって同様の運命をたどった。
それらを後方に見送って、イザベルは歯噛みしながらも愛騎と共に突進した。
「――〈天馬光翼斬〉!」
空中を飛び交う騎士同士の戦闘においては至近と言ってよい距離まで詰め寄ってから、イザベルは天馬騎士の奥義を放った。光の翼が刃となって煌めいた。
そこには魔導師達の〈筋力強化Ⅱ〉〈加速Ⅱ〉等の強化系魔法が上乗せされており、常ならぬ威力と速力によって龍騎兵の群れの中を駆け巡り、鱗を貫いて切り裂いていく。
その手にある〈グリッサの槍〉の〈一呼吸二回行動〉スキルも起動、イザベルは追加の奥義を放つ。体力を温存する余裕など無い。初撃から全力で立ち向かう他、龍に対して方策と呼べるモノは存在しないのだ。
「〈天馬縦横走破〉!」
「っとぉ、グラキ! 避けるぜ!」
「心得た」
〈天馬光翼斬〉をその〈人馬一体〉の手綱さばきで軽々と回避していた氷人将は、さらなる強引な回避運動をグラキに命じた。
転覆する船のように空中で横転し、重力に従って落ちる事で避けを試みる。
「〈蜘蛛糸〉」
そこに、乱獅子の〈魔法射程拡大〉を受けたごく初級の捕縛魔法が落ちてきた。
右翼に粘つく巨大な蜘蛛の巣が絡まり、制御を失った龍は空中で大きく傾ぐ。
「ぬおっ……」
その隙を逃すイザベルではない。
氷龍将を含め、範囲内の龍達の間を瞬間的に駆け巡り、撫で斬りにする。
金属が上げる悲鳴のような音が、その途中で響く。
〈古の龍〉たるグラキの、数千という年月をかけて成長し磨きぬかれた鱗が、〈古の宝物〉たる〈グリッサの槍〉と激突し、互いの年月という重みをぶつけあったのだった。
その激突は、局所的にはイザベルの槍が勝利をおさめた。グラキの鱗が数枚、剥がれたのだ。
しかし、武器と防具との対決と見るならば、古の鱗が勝利したとも言える。鱗の下の肉には、傷ひとつつかなかったからだ。
「むう、鱗を剥がされるとは何百年ぶりか……!」
感嘆とも高揚ともつかぬ言葉を吐きながら、グラキはその爪先で〈魔法消去〉の印を結び、翼に纏わりつく不快な蜘蛛糸を消し去った。
しかしこの攻防の最中に、帝国兵達の側面、そして背後にペガサスライダー達が回り込んでいた。
天馬の機動力を最大限発揮して、陣中から離脱したイザベルは再び龍たちの前方を塞ぐように出た。これらの動きによって、天馬騎士達は四方を囲んだ形になる。
〈氷龍の呼気〉と天馬騎士達の技、そして無数の攻撃魔法が飛び交う戦場は、徐々に極寒に覆われていった。ドラゴンの猛攻の前に、天馬騎士達は紙切れを破くように蹴散らされていく。
「くっ、〈天馬縦横走破〉!」
鱗を貫き、肉を切り裂き、食い込んだ槍は龍の喉を貫通する。
手応えありだ。
「〈爆炎波〉!」
溢れ出る魔力が濃縮された熱波と化し、鱗の剥がれた、あるいは鱗のない小さな腹の部分に炸裂する。
ドラゴンに対して決定打を与えうるのは、イザベルの奥義と『乱獅子』の最高位攻撃魔法のみ。兵力の大半を占める天馬騎士団員たちは、最大の攻撃を持ってしても、〈若年の龍〉の鱗を剥がし、その部分を狙い撃って手傷を与え、最大限の戦果として龍の騎手を狙い撃って打ち倒すのが精一杯であった。
騎手を失っても龍は戦力としてさほど劣らない。むしろ自らに跨ることを認めた相手を失ったことで怒り狂い、より手が付けられなくなるのだ。
そうした龍を含め、攻撃力を削ぎ落とし、動きを鈍らせるのが後衛の魔導師達だ。彼らは優れた魔法の使い手であり、龍に対しても一定の効果を上げる弱体魔法をかけ続け、ブレスの直撃を受けそうなペガサスの前に防御障壁を張り、騎士達の筋力と氷結耐性を強化するという、無くてはならない無数の役割を持っていた。
そんな彼らとて、後衛にいるからといつまでも無傷では居られない。四方を天馬騎士に囲まれていながらも、その合間を縫って魔法やブレスを魔術師達に届かせる龍は居た。
さらには空中を含めた三次元機動を行える龍たちにとって、四方を囲まれただけでは完全封鎖とは呼べない。下や上も塞ごうとする者共を氷のブレスで追い払い、そこを抜けて牙や爪を魔導師の肉体に食い込ませる者もあった。
氷の張った大地の上に、屍山血河が積み重なっていく。
戦場には、正しく極寒地獄絵図と呼ぶべき光景が広がっていた。
「チッ、何人ぶち殺してもぞろぞろと。だが、キリがないってほどじゃあ……ねえなあ!」
イザベルの猛攻を回避に徹して凌いでいた氷人将エースが、グラキと共に反撃に打って出た。
それは奥義を連発していたイザベルの、避けようのない疲労による微かな息継ぎの瞬間を狙ったものだった。
「いっくぜぇ――〈龍氷裂波〉!」
グラキの全身から、凍てつくような波動が迸った。
それは味方の龍とその騎手達をも巻き込むが、しかし彼らに影響はなかった。
〈人馬一体〉により龍達と耐性を共有している騎手たちは、氷結に対して完全に近い耐性を持っているからだ。
一方で、天馬騎士達の被害は甚大だった。
最前衛に居た者達は、そのほとんどが一瞬の内に凍結し、凍れる大地の上で雪球のように崩れ、赤い花を咲かせた。
そして血色の花弁すらも、戦場を覆う冷気の前に冷凍され散っていく。
「ぐっ……」
吐く息すらも凍りつく波動の中で、イザベルの愛騎もまた翼を凍りつかせていく。
副長がその全身を凍てつかせ、ペガサスごと地に落ちていった。
新米のハンスは、冷気で動きが鈍ったところを龍の爪によって胸板を貫かれ、即死した。
龍騎兵の奥義が、瞬きの内に戦況を一変させてしまったのである――。