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パンチ・クラブ
ルールその1:パンチ・クラブのことを口外してはならない。
カノッサ王は緊張を胸の奥へと押しとどめていた。
空中庭園の屋敷内に通され、己の王宮にも勝る豪奢な調度にも密かに目を見張りながら。
会見を求め、それが認められた時に彼は伴にする護衛を二人の内から選ぶ必要に迫られた。
一人は元天馬騎士団団長イザベル。もう一人は『乱獅子』レオルド。王国が従える中では最強の白兵戦闘者と最強の魔法使いである。
イザベルは、王国がバルベロー空中庭園の属国となった原因を作ったとして、その責任を問われ辞任した。
王は近々彼女を元の地位に引き戻すつもりだが、昨日今日でそう出来るわけもなかった。周囲の反応としても、彼女自身の気持ちとしても。
一方レオルドは国家守護のため、周辺諸国への密偵や遠見の魔法による監視任務など諜報面を統括しているため、国王自身よりも忙しい身である。
どちらも護衛に連れ出すには実力以外の面で不適だったが、この空中庭園にやって来るにあたっては、実力的に護衛として働きうるのがその二人ぐらいしかいないのだった。
これら事情を鑑みて、王は結局のところ、自主的に謹慎していたイザベルを「暇があるならば余のために使え」と強引に引きずりだしたのだった。
空中にあるバルベローの地に向かうのに、敵の騎乗生物を借りなくて済むというのも一応は理由のひとつであった。
よって今この場には、カノッサ王とイザベル、そして空中庭園の主たるトモエとその従者アヤトが居た。
正確には、複数人のメイド達が長方形のテーブルの上に次々と料理を運んでいるが。
「どうぞ召し上がれ」
ひと通り運ばれ終えた料理を前に、トモエがそう勧めた。
「……いただこう」
ヴォルト神に短く祈りを捧げてから、運ばれてきた料理に手を付ける。
毒など入っていまい。そんなことをする必要が皆無だ。
向こうがその気なら、こうして空中庭園に入った時点でカノッサ王は詰んでいる。
「ほう、これは美味い」
試しにサラダに手を付けてみて、彼は舌鼓を打った。
瑞々しい澄み切った葉野菜、その上にかかったドレッシングのさっぱりと心地よい事は素直に賞賛すべき味だった。
「お口にあったなら何よりですわ」
民主化の時流を制御し、徐々に開放的な国風へとカノッサを変えていった王は、陰謀によって自国を事実上属国化してしまったトモエに対して、当然だが良い感情を抱いてはいない。
それでも彼は、良いものは良いと言う。特に料理の味はそうだった。
スープは牛の骨や野菜を中心に煮込んだものの、澄んだ部分だけを取り出したものか。
濃厚な旨味が舌の上に広がるというのに、飲み込んだ後はスッキリとした後味だけを残していく。宮廷の晩餐会などで馴染みのあるスープだが、それより一段上の味だった。
「後でレシピを貰えるかね?」
「ええ、ご希望なら用意させます」
「そうしてくれ。美味いものには目がないのでな」
しばらくは、天気や街の話、互いにとって異世界である場所の美術品や音楽についての当り障りのない会話と共に会食が進んだ。
しかし食事が終わってしまえばどうしても後に残るものがあり、それは決まって魚の頭や骨や、政治の話などの生臭いものだった。
「カノッサ王国の今後についてだが、どの程度口を挟んでくるつもりかね」
王はそう切り込んだ。
回り道をせず一直線な、それは大上段からの剣の振り下ろしにも似ていた。
「それは、わたくしにも予想しきれませんけれど……ひとつ確かなのは」
それに対して、トモエは微かに身をかわすように一拍の間を置いた。
「政治に口出しすることはあっても、軍事には口を挟まないということです」
「軍備増強も認めると?」
「ええ。だって身を守るには必要でしょうし、わたくしに逆らえるだけの軍備が整うようなら筒抜けですもの」
だから、あえて口は出しません。空中庭園の、そして事実上カノッサ王国の主人はそう結んだ。
「……わかった。今はその言葉を信じよう」
「思ってもいないことを口には出さないことですわ、カノッサ王」
「お互い様だろう、黒幕」
苦虫を噛み潰しながら、カノッサ王は皮肉を返した。
それにトモエは、くすくすと笑い声を漏らすのみだった。
「それで、政治に対する口出しはどんなものを用意しているのだ。用意しているから余をここへ迎え入れたのであろうが」
「流石は国王陛下、察しが良いですこと」
「世辞にもならん。いいから要点を言え」
ともすればその一挙一動、一言一句に心を蕩かされそうになるのをこらえながら、国王はトモエの言葉を切って捨てた。
「要点と申されましても、わたくしが気にかけているのは受諾された筈の契約の履行ですわ」
「条項通りに税金は払ったろう」
国庫の二割という莫大な金額が支払われたが、それは名目上、税金ということになっているのだった。
カノッサがバルベローへと支払う税金。これは毎月初めに支払われるカノッサの税収の一割も同じことだった。
「問題は議席数ですわ、国王陛下」
「む……」
第三の条項、それはカノッサ王国における議会の議席数の割合を、貴族1:平民3になるよう調整すること。である。
実はその部分だけが、未だに履行されていない――正確には履行しつつある途中になっているのだった。
「議席数割合に言及している憲法の条文修正からせねばならんのだ。多少時間がかかるのはそちらも織り込み済みであろう」
「ええ、勿論。ですがこのまま年単位で『調整中』だと言い張られては困ります」
「……つまり、期日を申告しろということか」
国王は舌打ちでもしたい気分だった。
議席数の調整にせめて1年はかけたかったところが、それは許さないと釘を差された。
「今日から数えて1年。せめてそれぐらいはもらわねば混乱が起きる」
「では半年で履行を。混乱を納めるのは貴方の仕事でしてよ、カノッサ国王陛下」
くたばりやがれ。
政治をしていればそう思うことは日常茶飯事だが、王は今そう思った。
「せめて9ヶ月では――」
「3ヶ月、と言い直しても構いませんのよ」
王は大仰に嘆息した。
イザベルが心配げにこちらを見ていたが、援護は期待できない。彼女は政治家ではなく軍人なのだ。
多少無理をさせてでも『乱獅子』の方を連れて来るべきだったか……いや、それでも大差はないだろうと湧いて出た考えを放り捨てた。
立場が圧倒的に不利すぎる。
カノッサは決して軍事的弱小国ではない、むしろその逆と言っても言い過ぎではない。
だからこそ、圧倒的な軍事力差を背景に脅しをかけられるという経験を、少なくとも現国王の即位以来経験していない。
他国が戦争をちらつかせることがあったとしても、それはあくまで外交のカードとしてであり、もっと言えば切るつもりが殆ど無い見せ札にすぎないのだ。
本心では周辺諸国のどこもが、他と争ったとしてもカノッサと戦争などしたくはないと思っていた。
それは『乱獅子』とイザベルの2枚看板の威名の為であり、大陸最強の天馬騎士団の存在の為であった。
「……わかった、半年で議席数の調整は済ませる。それで良いのだろう」
「ええ、そうしてくださればわたくしから言うことはもうありませんわ」
言外に十分過ぎるほどに物を言った口からそんな言葉を吐く。
まさしく彼女は謀略家だ。生半な手ではその掌中から出ることは叶わないだろう。
だが、ひとまずの言質は取った。
この連中が何を考えてるのかはわからないが、カノッサを滅ぼしたり、軍事的に利用する気が今のところはないというのは確認できたのだ。最初からそのつもりなら、とっくにやっているだろう。
国王とて、いつまでもこのような不安定な立場に自らの国を置いておくつもりはない。
機会を見てバルベローから離反、反撃を行えるようにはしておく。
そのためにこそ時間が欲しかったのだが、それは半年ほどしか残っていないのだった。
平民が完全に多数を占めるようになった議会が何をしでかすか、おそらくはトモエの都合の良いように扱われてしまうだろう。
なにしろ彼女は平民派を議会での勝者にした立役者であり、おそらくは裏から手を回し、議員に金貨の鼻薬を嗅がせてそうしたのだから。
「話は終わりだな。これで失礼する」
「門番にレシピを持たせておきますから、彼女から受け取ってくださいな」
そういえば、頼んでいたな、と王は思い出して言った。
「本当に美味い料理だったよ。ありがとう」
そこだけは感謝しておこう。
本当に、そこだけだが。王は礼を述べた。