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黒幕令嬢のサーヴァント  作者: 球磨川つきみ
第一章:黒幕令嬢と瀟洒な従者
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3


 出会ってからしばらくは、随分と我儘に育った少女だと思った。

 そしてそれとて無理からぬ、とも。

 代々支配者としての地位を約束されたような家柄に、一人娘として生まれたのだ。蝶よ花よと愛でられて、傲慢で勝手気ままな少女になっても不思議はない。まあ、今まで通り程々に従者としての勤めを果たせば良いだろうと思った。


 だが、その認識は少し、違っていたのだ。


 綾人が生まれ育った神薙家は、西園寺家を主筋とした、家格は落ちるがこれも名門と呼ばれる家系である。

 学校の同窓生たちが頭を悩ませていた進路について、彼は悩む必要がなかった。家長である父が決めたとおりにする他に、選択肢などなかったし、必要だとも思わなかったからだ。


 大学を卒業した後も、それは変わらない。就職先は、西園寺家ただひとつ。

 西園寺家が実権を握る企業体のどこかに入っても良かったが、それとて同じことだ。敷かれたレールの上を進むだけの、味気なくとも楽な人生。


 別段不満はなかった。

 むしろ自分は大層恵まれていると綾人は感じていたし、事実その通りなのだ。

 だから仕える主が我儘ばかり言う生意気な小娘であったからといって、閉口はすれども反抗する気など欠片も起きなかった。


 しかし。

 何が契機だったのか定かではないが――きっと些細な事であったろう。

 あるいは単に、従者として側に仕え続ける内に、ふと気づいた。


 彼女はよく笑顔を浮かべるが、本当に楽しいとか、嬉しいと思って笑ったことは、きっと一度も無いのだと。


 何もかもが思い通りになる。命ずれば誰かがそれをやる。

 そんな西園寺家の一人娘にして次期当主という立場を、彼女は自然と受け入れ振る舞っていたし、他人をいつでも自由に動かせる駒のようにしか思っていない点も含めて、支配者としての天性を持っていた事も間違いない。


 それでも彼女は、それを楽しいと思ってやっているわけではないのだ。

 ただ、それ以外に振る舞い方を、生き方を知らないだけの、どうしようもなく愚かで無知で、純粋無垢にすぎる少女だった。


 それに気づいた時から、少しづつ彼の主を見る目が変わっていった。

 誰もが褒めそやしていたが、別段どうとも思っていなかったその美貌を愛らしいと思うようになる。

 かと思えば、誰もが心を蕩かすその笑顔を向けられて、どうしようもなく胸の締め付けられるような想いをした。


 花のようと称されたそれが、自分の目にはまるで氷で出来た仮面のようで。

 その仮面が溶けて、彼女が本当に心躍らせる時は来ないのかと、心底から待ち望んだ。

 自分が氷を溶かそうとは、否、溶かせるとは思うことすらなく。


 ただ、西園寺巴の従者として。

 彼女の側に侍り、筆頭家令として財産・権力・家督――彼女の持つ一切を、それらを狙う輩から守りながら。

 ただ、巴の側に居られればそれで良い、と。


 己の中にあるそうした感情をなんと呼ぶのか、色に疎い綾人も知ってはいたし、理解していた。

 だが、その想いを告げることはしなかった。

 それをしたとして、どうなる? 「貴女を愛しています」と言ったところで、彼女の心にはきっと欠片も響くまい。


 他にどんな美辞麗句を並べようとも、同じこと。

 いつでも糸を繰って動かせる人形の言葉に、幾度も聞いてきたような言葉に、どうして心を揺らす理由があろう。


 西園寺巴は狂人ではない。

 至って正気で、だからこそ自分の人生に退屈しきっているだけの女だ。

 将棋やチェスと言ったゲームの駒、操り人形――総じてただの道具。彼女にとって人とはすなわちそうしたもので。


 そんなものに、愛の言葉を囁かれてもどうとも思わない。精々気味悪く思う程度のことだろう。

 故に、主にとって無意味どころか害悪になりかねない想いはただ胸に秘めていた。


 思えばこの時の綾人の想いはまだ、今程には重大な想念ではなかった。

 よくある普通の、叶わず消えていくだけのものだ。


 ――ある日、父が自殺した。

 原因は分からなかったが、他殺の可能性はないと警察は言っていた。


 ――その数日後、母が自殺した。

 これも原因が分からず、しかし自殺であることだけは確かだったので、警察がその原因を徹底的に究明しようとする動きはなかった。


 両親に一体何があったのか。

 混乱したままそれでも必要な手続きを迅速にこなし、葬儀を終えた綾人は原因を調べた。

 正確には、調べようとしたが、調べるまでもなかった。


「わたくしが二人を自殺に追い込みました」


 これがその証拠です――そう言って、綾人のニューロリンカーに映像ファイルやデータを送信したのは、巴だった。



■□■□



 まったく、気軽に。彼女は殺人に等しい罪の告白をしたのだ。

 証拠のデータは、まったく疑う余地がないほど明白に、それが事実であると告げていた。


「何故、ですか……一体何故!? 二人に、私に何か不始末が?」


 主の前で明確に声を震わせた事など、その時以外は記憶に無い。

 

「ないわ、そんなもの。ただこうしたら、お前がどういう反応をするか見たかったの」


 知らず、拳を握っていた。

 咬み合わない歯を、割れよとばかりに噛みしめる。

 強く手のひらに食い込んだ爪から、熱い血が滲んできたのを感じた。


「ねえ、それでお前はどうするの?」


 蒼白になった綾人の顔面を、微かに期待を込めた眼差しが見上げてくる。

 その眼を見て、彼は、ふっと体中にかかっていた力が抜けるのを感じた。


「何も」


 そして、彼は自分がどれほど、彼女を愛してしまったのかを痛感し――絶望する。


「何も、しません。これまで通りに、巴様にお仕えします」


 常の無感動な鉄面皮を貼り付けて、綾人は言った。


 絶望である。あまりの理不尽さに対する怒り、ではない。

 こんな事を平気で言う女に目をつけられた、自分たちの不運への嘆き、でもない。


 恨みつらみ、嘆き悲しみ、それらの感情も確かに生まれた。

 人生で最大の激情が湧いたと言って良いその時、それでも彼は絶望した。


 両親の命を理不尽に奪われ、その証拠となるものを首謀者である彼女に直接突きつけられた。

 それでもなお、彼女に対して、いかなる危害を加える気も起こらなかったのだ。


 どれほど追い詰められたとしても、死ぬ以外の選択肢が確かに彼らにはあった。それでも、この結果を見越してめぐらされた巴の陰謀は、尋常に考えれば許される行いではない。


 綾人は何かをするべきだったのかもしれない。

 怒りのままに、拳を叩きつけ、あるいは首を絞めて彼女を殺害する事が、まだ人間らしい正常な反応だったと言えるかもしれない。

 そうした人間らしい行いを、彼は出来なかった。しようとも思えなかったのだ。


「……そう、そうなの」


 目をぱちくりと瞬かせ、意外で、しかし期待はずれのものを見るような、透明な目で彼女は綾人を見た。

 棚からぼた餅ではなく馬が出たような、それは驚きと言ってもよいものだったかもしれない。


「なら、もういいわ。下がって結構です」


 いずれにせよ。これ以降、西園寺巴は神薙綾人という男にとって、何よりも重い存在となった。

 両親の命や尊厳すらも、彼らの息子である自分としての何もかも、彼女に比べれば軽いのだ。

 これより重く大きな意味を持つものが、この世にあるだろうか。


 否――断じてあって(丶丶丶丶丶丶)はならないのだと(丶丶丶丶丶丶丶丶)

 重すぎる愛は、絶望という二つ名を持って彼を支配した。


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