ジョージ少年の訓練風景
小鳥のさえずりが閑静な庭園に一滴の彩りを添えている。
風は魔法的結界により調節され、涼やかで気持ちが良い。
そんな中、茶褐色の刃が強かに頭に振り下ろされた。
軽快な音がして刃は空中に跳ね返る。
「いてて……」
「ねえアヤト様、この子すっごく弱いんですけど」
少年の頭に木剣を落としたクース・トースが、戸惑いがちな呆れ顔で言った。
「ジョージはまだ訓練を受け始めたばかりだからな。君らから見て弱いのも仕方あるまい」
「そういうもんでしょうか……どうも鍛えるって感覚が分からなくて」
彼女たち戦闘型の使用人は、生まれた瞬間からレベルがカンストしていたのだから、当然だろう。
クースの場合、子供を見てやっているというより、ペットを扱っているような感じだ。
「それでもレベルは着実に上がっている。焦らず精進することだ」
「はあい」
年上とはいえ女の子にまで敗北し、手厳しい言葉を受けたことで落ち込み気味の少年は気のない返事をした。
だが実際、少年のレベルは1から6まで上がっている。既にライヒは追い越しているのだ。
これが実際どの程度の成長速度なのかと言えば、おそらく相当に早いだろう。人間は最大でも40レベル程度という世界で、1レベルの重みは相当なものだ。
あるいはその成長スピードは、最高レベルの者達に訓練とはいえ打ちかかっているが故のものかもしれない。
セフィロトにおいて強大なユニークエネミーに対しては、1点でもダメージを入れれば倒した後に与えたダメージ分の経験値が加算される仕組みになっていた。
このダアトという世界においては、倒さずとも経験が加算されていたとしても不思議はない。ゲームだったセフィロトと似て非なるこの世界では。訓練も、方法を間違えなければ糧になるのは現実も同じだ。
「一旦休憩にしよう、待っていろ、今飲み物でも……」
「はいはーい、そんな時はわたしにお任せですよー」
いつものメイド服に身を包んだライヒが、銀のトレイにコップを3つ乗せてやって来た。
やけにタイミングがよかったが、どこから現れたのやら。もしかしたら影から様子を伺っていたのかもしれない。
「サンキュー、ライヒ」
「わ、ありがと」
「どういたしまして。アヤトさんもどうぞどうぞ」
「……いや、遠慮しておく」
1つだけ妙に白っぽく濁った水を見て、それを飲みたいと思う奴が居るだろうか。
「あっ、手が滑っちゃいましたあ!」
言いながら手でコップを掴み、勢い良くアヤトめがけてぶちまけるライヒ。
が、レベル差によるスピードの違いが、容易にそれを回避させた。装備品のお陰で毒に耐性はあるが、ライヒは耐性貫通系のアイテムを多く所持している。盛った毒にまで耐性貫通を付与しかねないので、避けるに越したことはない。
結果として水は派手に地面にぶちまけられたわけだが、その地面が異音を立てて腐食し溶け消えて、ぽっかりといびつな形の穴を開けた。
「おい」
毒どころか普通に物理攻撃だった。それも酸属性の。
万一飲み込んでいたら口も内蔵もグズグズに溶けていたかもしれない。これに対してアヤトの耐性がどの程度働いたか、試してみたいとは彼も思わなかった。
「ちぃ、失敗か……てへっ」
舌を出して頭をコツンとやるライヒ。
「その仕草で何を誤魔化せているつもりなんだお前は」
「何気ない日常のミスを?」
「せめて殺意を誤魔化せ」
やれやれと肩をすくめて、アヤトは木剣を拾い上げた。
「再開するぞ、ジョージ。今度は俺が相手だ」
「イエス・サー」
ぴょこんと飛び跳ねながら、少年も木剣を手に取り身構えた。
少しづつだが、様になって来ている。
これならこの世界の基準での英雄に成長するのも、そう遠くない日のことかもしれないな、とアヤトは感じた。
■□■□
「う、ぐぐぐ……」
木剣を介して押し合いへし合い、アヤトという巨大な山と対峙する事は、まだ幼い少年にとっては大きなストレスだった。
「どうした」
手加減に手加減を重ねた、それでも斧のように重い一撃が受け止めた木剣ごと少年を大きく吹き飛ばした。
アヤトは〈物理無効Ⅳ〉のスキルがあるため必要ないが、ジョージは怪我を最小限で留めるよう、革鎧を身につけている。
アイテムボックスの中に放り込まれていた、アヤトから見れば低レベルな鎧だが、それでも様々な〈付与効果〉があるためにこの革鎧がこのレベル差のありすぎる二人の訓練を可能にしていると言っても過言ではなかった。
「もう終わりか、ジョージ。そんな事では自分の身すら守れんぞ」
そして、重量軽減などはされていないため、革と言ってもしっかりとなめされ蝋で固められており、少年の身にはいささか重い。そんなものを身につけて木剣を振り回しながら動き回って、何度も攻撃を受けては吹き飛ばされているのだ。疲れないわけがない。へたり込んで起き上がれなくてもおかしくない筈だった。
「ま……まだ、まだぁっ!」
しかし、ジョージは立ち上がり、アヤトに打ち掛かる。
何度も、何度でも。精一杯の力をその手と剣に込めて。
そしてその度に、疲れから力は弱くなっているのだが、それがかえって動作から無駄な力を無くしており、鋭さという点ではむしろ増していった。
「ぜやぁっ!」
「ほう……」
今の横薙ぎの一撃には、アヤトも瞠目する。
危うく武器を弾き飛ばされるところだった。
「おぉっ!」
――いや、まだだ。ジョージの攻撃はまだ終わっていない。
横薙ぎの攻撃を受け流されたその勢いを借りて瞬時に一回転すると、再び薙ぎの一撃がアヤトの胴に直撃した。
「よし、ここまでだ」
ジョージのレベルが足りず、その一撃はアヤトに何の痛痒も与えなかったが、それでも文句なしに一本である。
「はぁ、はっ……やっ、た……」
「よくやったな、ジョージ。これなら明日からはもう少し厳しくしてもいいか」
「やだ! この前、アヤトさんの少しって言うの信じてひどい目にあったもん」
はて、そんな事もあったろうか。
アヤトは記憶にございませんと言いはる時の政治家のような顔で、ジョージの文句を受け流した。
「またレベルが上ったかもしれないな」
「そっかなー……自覚ないんだけど」
「それを言えば、俺にだってないさ」
「そうなの?」
「ああ」
なにせ、唐突に異世界に転移――このダアトの人々の言葉を借りれば〈界渡り〉してしまったかと思えば、その時既に最強だったのだ。強くなる自覚などあるわけがなかった。
そしてまた、地球の感覚で言っても、それは同じようなものだ。ある日突然「俺は強くなった」などという自覚が出るものではない。緩やかに、しかし確実に筋力が増し、技術から無駄が削ぎ落とされていく。それは日常の延長線などというものではなく、日常の内に鍛錬があった神薙綾人だからそうだったのかもしれない。
しかしともかく、強くなるとは唐突なものではない。日々の積み重ねの結果として強くなっていくのだ。
そして自分自身の変化には、人は中々気づけないものなのである。
「なんか意外だな」
「何がだ」
「アヤトさんは、なんていうか……最初から強いから、自分は強いって誰よりも知ってるみたいな……そんな感じがしてた。俺もそんな風に生まれてたら、皆を守れたかなって」
ジョージのそんな言葉に、アヤトは虚を突かれたような顔になる。
「まさか。俺は弱いよ……とても弱い」
「嘘だ」
「力については嘘かもしれないな。だが覚えておけ、ジョージ。力だけが強さじゃないんだ」
神薙綾人は弱い人間である。
両親のために何をすることもできない、孝心の欠片を振るう余裕も持たない人間を、弱者以外のなんと呼ぼう。
想い人に心を伝えることすらできない人間が、弱者でなくて何だと言うのか。
「自分の意志を押し通して何かを成し遂げる事ができる。それが強いということだ」
「そっか……じゃあ、オレも弱いね」
「かもしれん。だが、これから強くは成れるだろうさ」
家族のために自ら身を捧げた、あの時の想いを忘れなければ。
アヤトのように間違った方向へはいかないだろう。そう彼は思った。
いや――願ったのかも、しれなかった。