20
「アヤト、アヤト、居るのでしょう?」
更に三日が経過し、ついにトモエの待っていた時が来た。
「はっ、ここに」
呼ばわる声を聞きつけて、〈従者の転移〉を行使したアヤトが現れる。
トモエは寝室で姿見を――否、そこに映しだされた遠隔地の風景を見ていたようだ。
そこには、いずこかの農村に降り立つ無数の天使達の姿が映しだされている。
「わたくしは育成ゲームで遊ぶことにしました」
「は……育成ゲーム、ですか?」
何のことやらわからず、アヤトはオウム返しに尋ねていた。
「たとえば、なんでもない普通の子供を英雄に育てる――というのは、今のわたくし達にも困難でしょう」
いたずらっぽく指先を振って、トモエは未来への展望を語る。
「どれほど資金と武力を持ち合わせていても、人の育成というのは難しい。英雄を育てるならば尚の事……その理屈はわかります。しかし誰を育成しようというのですか?」
「さっき言ったでしょう。お前は鳥より記憶力が無いのかしら」
トモエは愉快げに嘲笑した。
「なんでもない普通の子供を、手に入れてくるのです。だから、行きますよ――〈転移〉」
〈高速詠唱〉スキルにより一語でもって発動され、〈魔法射程拡大〉と〈魔法効果拡大〉を受けて強化された転移魔法が、二人の肉体を遠い地上へと瞬きの間に運んでいった。
■□■□
天から差し込む光の道を辿るように降りてくる有翼の人型。
男とも、女ともつかぬ中性的で人形のような美形がそれらの顔には張り付いている。
天使の降臨。
それはこの世界においては一種の災厄であり、台風や大地震とそう変わりのない災害であった。
何故なら天使は、降り立った地において人間の『掃除』を行うからだ。
そしてその災害をこそ、マスターマインドは待ち構えていた。
天使が、目を見開いて剣を構え直し、しかしどうすべきか分からぬというように静止する。
今まさに襲いかからんとしていた少年たちの事が目に入らぬかのように。もっと言えば、明白な脅威を発見したかのように。
兄妹とみられる少年と少女は――哀れなほど震えていた――天使の視線の先、つまりアヤトとトモエを眼にした瞬間、その震えを止めたようだった。
「命じます。あの天使共を全て、薙ぎ払いなさい」
「御意に、お嬢様」
交わされた言葉は短く、あまりにも明瞭だ。
執事は敵の力量を読み取る力は持ち合わせていない。だが天使たちの戦力を甘く見ているわけではなかった。
ただ、この天使たちが1レベルであろうと100レベルであろうと、彼のやるべき事にいささかの変化もないというだけの話。
主たるトモエの命ずるままに。
アヤトは片手を高く掲げ、指を鳴らした。
「〈切札乱舞〉」
乾いた音と共に彼の周囲に空間のひずみのようなものが生まれ――カード化された対天使特効の武器が常人の目には追えない速度で射出される。
アヤトが指を鳴らしてから一秒を数えるときには、もう全てが終わっていた。
天使の全身を武器が描かれた無数のカードが貫いており、そしてそれは、天から降り立ってくる最中であった数百の天使たちも同じなのだった。
少なくとも、この場所から視界に収まる範囲に居た全ての天使が死んでいて、重力に従い落下していく。
「ひ……」
落下した天使たちの肉体は光の粒子となって消え去っていく。
その光景を前にして、少年はか細い悲鳴を上げる。
彼らの眼に浮かんでいるのは恐怖と警戒。アヤト達が現れる前にも増してその身体は震えを強めていた。
「この子たちをどうするか、わかりますね? アヤト」
「はい、お嬢様」
目をつぶった少年の元へ、アヤトは一歩一歩近づく。これ以上の警戒を呼ばぬように。
幸いなことに、恐れのあまりか少年たちは逃げようともしなかった。
「君たちはひとまず天使たちの手から逃れた。だが君たちの村はどうなっていると思う?」
「え、と……あの、それは……」
金魚のように口をパクパクと動かし、言葉をもつれさせながらも少年は目を開いてこちらを見返した。
「もしか……助けて、くれるの? ですか?」
「それは君たち次第だな」
「どういう……こと?」
片膝を付いて視線を合わせようとしたが、それでもなお少年の頭はアヤトより下にあり、少年はこちらを見上げながら質問していた。
「君たちは兄妹か?」
「そう、だけど」
「ならば、そうだな。私が村に向かって天使たちを滅ぼす代わりに、君は私と主を同じくする。あるいは妹がそうするか、どちらが良い?」
少年はアヤトの肩越しにトモエを見た。この恐ろしい強さの男の、主を。
「嫌だ」
彼はかぶりを振った。
アヤト達への感謝など欠片も湧かない、ただ恐怖と警戒心だけが少年を支配していた。
「どっちも嫌だ」
だが、そんな彼に向けてアヤトは無慈悲な言葉の鉄槌を下す。
「ならば、村は滅びるだろう。こうしている間にも、天使は村人たちを斬殺しているぞ」
それは酷く卑劣な言い様だった。
お前か妹が身を捧げなければ、村人は死ぬぞ――そう脅している。
鉄面皮の裏に少年たちへの罪悪感を押し隠して、アヤトはその脅迫を口に上らせたのだ。
主たるトモエが全てに優先する。それがアヤトという男の支柱であるから。
子供を気遣う良識や、死にかかっている人を助けるべきだというヒューマニズムは、もう一方の天秤にトモエという女が乗った途端に彼方へと飛ぶのが道理だった。
「……ひどい! なんで助けてくれないの! どうして!?」
妹の方が先に、恐怖の呪縛から立ち直ったのか、非難の言葉を吐いた。
「助ける理由が我々にはないからだ。だが君たちはその理由を作れる、現状たった二人だけの人間だと理解しろ」
兄の方が、見た目にはようやく12歳にとどくかどうかといったところか。
妹などまず6歳前後の、少女というよりは幼女と言うべき外見だ。
そんな二人に向けていい言葉ではないし、選択肢でもないだろう。しかし、天使が蹂躙しようとし、突如現れたアヤトらによって虐殺せしめられたこの場において、人道はとっくに踏破されてしまっている。
ここにあるのは鬼畜生の冷徹で身勝手な論理のみだ。
「言っておくが、承諾した瞬間に、あるマジックアイテムによって行動が縛られる。多くはトモエ様の意のままになるだろう。家族にも気軽には会えないだろうな」
冷淡に、努めて冷淡であろうとしながら、執事は氷の糸で言葉を紡ぐ。
「もちろん、どちらも拒否して逃げ出すという選択肢も君たちにはある。村を失い、二人きりで生きる当てか、あるいは幸運への自信があるならそれも良いだろう。好きに選べ」
やや沈黙があって、再度口を開いたのは兄の方が先だった。
「……わかっ、た。俺が、奴隷になる」
その言葉は、なるほど今後の彼の処遇にぴったりであると言えた。少なくとも少年自身の認識においては。
奴隷という呼び方から考えて、温いものになるかより激しく冷たい行く末が待ち受けているのかは、アヤトにも想像がつかなかったが。
「では、契約は成立です」
「ダメ、お兄ちゃん!」
トモエが歩み寄って来る。その前に、兄を庇うように立ちはだかった妹を完全に無視して、無慈悲な女王は銘の掘られていない、新品の〈調教の鞭〉を振るう。よくしなる鞭先が空を切り裂いて快音と共に少年の手の甲を打った。
「〈調教〉《テイム》」
起動の儀式と共に〈George〉という銘が〈調教の鞭〉の持ち手に刻まれた。
〈力量看破〉のスキルを持つトモエの目には明らかなことだったが、少年のレベルは1だ。99レベルのトモエとのレベル差補正によって、いともたやすくテイムは成功した。
「痛っ……これで、約束だぞ。村を、父さん達を助けてくれ!」
「ええ勿論。契約は守ります。護衛を置いていくから、貴方達はここで待っていなさい」
魔法通信によってバルベローから派遣させたのは、クース・トース配下の巨鳥、ロック・バードというモンスターだった。
厳しい猛禽の嘴に爪、全長3メートルを超す巨体は白茶けた羽毛で覆われている。
卵のような形状の眼はギョロギョロと油断なくあらゆる方位を見据えていた。
そのレベルは60と大したことがないが、機動力と防御性能は同レベル帯の中でも群を抜く、ギルド攻城戦では防衛の要として広く使われるモンスターだ。
スキルである〈カバーリング〉によって、大抵の攻撃から一度は仲間を守ることができ、その機動力によって戦力の足りない戦場に迅速に移動させることが可能なのだ。
「行きますよ、アヤト。この子たちの村を救ってあげなくては、ねぇ?」
「ご意向のままに、お嬢様」
〈転移〉――
発動した瞬間移動の魔法は、過たず虐殺が行われている村へと二人を運ぶ。
この後に待っているのは、対象を変えた虐殺なのだが。