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黒幕令嬢のサーヴァント  作者: 球磨川つきみ
第一章:黒幕令嬢と瀟洒な従者
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 血の滴るようなレアに焼きあげられたフィレ肉のステーキは、その身に食い込むナイフに抵抗らしいことをせず切られるに任せたかのような柔らかさで、赤黒いソースの下から肉汁を溢れさせた。


 一口、舌に乗せると濃厚な旨味の結晶を溶かしこんだ汁がほとばしり、一噛みごとに確かな弾力を返しながら、ついにはほろりと崩れるという絶妙な柔らかさで、香ばしい甘さと共にやって来た口福はいつまでもその余韻を残し続ける。


 会食の間、勿体ぶらない言い方をすれば食堂だが、その場に居るのは二人の貴人とその従者だけであり、そう呼ぶには少々気品がありすぎた。


 もっとも、その片方はもう一方の従者なのであるが、配膳を行う女給長のクリスティーナを始めとした他の従者たちからは、どうもそうとだけは思われていない節がある。

 トモエの従者の中でも、アヤトは別格の存在として皆に扱われているのだった。


「今日の料理はまあまあだったわね。少なくとも、おまえが用意した時とは大違いだわ」


 やがて用意されたコース料理を完食すると、彼女はアヤトをジト目で見つめてそう言った。


「未熟者で申し訳ありません」


 初日、アヤトは命じられるまま主と自分のための料理をしたのだが、その味は彼女のお気に召さなかったのだ。

 ただ、彼が料理下手というわけではなかった。むしろその逆で、普通人ならば舌鼓を打つような見事な料理を用意したぐらいだった。


 だが、それでも流石に本職のコックと比べれば見劣りし、味劣りする。

 今日の料理を担当したのは、一流のコック技能とその設定を持っていたメイド長のクリスティーナとその助手たるメイド隊である。


「まあいいわ。それよりアヤト、わたくしに隠れて何かしているのではなくって?」

「何のことでしょう」


 しれっととぼけたが、内心を冷や汗が伝った。

 アヤトの行動パターンを読んだ上でのカマかけということも十分考えられるが、どこまで掴まれているのか。緊張を表には出さないことに成功していたが、心の内でまで抑えることはできなかった。


「…………」

「…………」


 しばし、視線が交錯する。逸らせば負けなのか、逸らさねば感付かれるのか、あるいはその逆か。

 答えなどないが、アヤトが目を逸らさないでいると、やがて主人が先に飽きたようだ。


「いいわ。今日も、あとの時間は好きになさいな」


 ここ二日、お決まりになった台詞を口に出して、トモエは退出していった。

 アヤトは恭しく首肯してからそれを見送った。


 さて、今日はチクタクマンの情報収集体制が整う予定日だ。好きにしろと言うのなら好きにさせてもらおう。

 下膳をクリスティーナらに任せ、彼もナイフとフォークを置いて会食の間を退出した。



■□■□



「チク、タク……結果から言おう。この世界においてレベル100以上の存在は確認されなかった」


 その結果を聞いて、アヤトは衝撃を受けた。


「意外だな」


 そう、意外だ。

 他のプレイヤーがギルド拠点ごと転移しているとすれば――マスターマインド以外に100レベル以上のエネミーをテイムしているギルドが皆無というわけではない――元々この世界に存在するものも含めて二桁、いやひょっとすれば三桁は居てもおかしくないとすらアヤトは考えていたのだ。


「チク、タク、チク、タク……私の手勢で確認できた限りなので、情報防壁を張っている者が居ないとも限らないがね」


 実際、レベルが高いほどにそうした身を隠す手段を持ち合わせている可能性は高くなる。

 ファーブニルも情報防御能力によって、長年プレイヤーたちからの発見を避けてきたのだ――トモエの手で破られ、狩り出されたが。


「まあ、そうか。しかし、そこはひとまず考えの外に置いておくとしよう、キリがない」

「同感だ。悪魔の証明に付き合ってやる必要はない……チク、タク」


 そうした手段によって自身のレベルないし存在そのものまでを隠蔽している存在が、100体を超えているかどうかは……微妙なところだろう。多くてもせいぜい、10を超える程度なのではないだろうか。


「99レベル以下の者も同じように二日で探せるか?」

「チク、タク……そもそも、力量(レベル)という不確かで変転するものを定量化、定式化するのは困難だ。99レベル以下となると、殆どの者が該当するだろう事もあって、二日では不可能と推定する」


「すまない、聞き方が悪かったな。仮に、80レベル以上の者を探すとしたらどれくらいかかる?」

「あまり差異はない。100レベル以上というのは際立って特異であるから捜索が可能だったが、99レベル以下ならば我々と変わらない。世界中を総ざらいする必要が出てくる為に時間は膨大にかかる事になる……チク、タク」


 100レベル以上というのは図らずも、魔導機術で探しやすいラインだったわけだ。アヤトは頷く。


「なるほど、よくわかった。ではもう一つの件だが」

「チク、タク、チク、タク……各地の情報の集積・分析を行った結果、〈界渡り〉が元の世界に戻ったというエピソードは23件あった、しかし――」


「しかし、なんだ?」

「往復、つまり元の世界とこの世界を行き来できるようになった〈界渡り〉の話は0件だった……チク、タク」

「それは……つまり元の世界に戻った〈界渡り〉はダアトに再度来訪することはない、不可逆の帰還という事か」

「チク、タク、チク、タク……あくまで現存する文書等からの情報を分析した結果だと断った上で、肯定する」


 これは、どうなのだろう。

 元いた世界へと戻れれば、アヤトとしては再びダアトにやって来たくなどないが……しかし、彼の主人は違うだろう。帰りたくないなどと言い出しかねない。


「対象の同意を得ずに帰還させられそうな方法はあったか?」

「……皆無。いずれも、元いた世界への帰還を望んで、本人が行動を起こさねばならない」


 これで強引に現実へと帰すという選択肢は現時点では消えた。

 そして、さらに考慮すべき問題がある。


「なあ、チクタクマン。俺はトモエ様を元の世界に戻したいと思っているが、仮に二度とこうして――君たちの前に降り立てない、としたら君はその事をどう思う?」


「チク……タク、チク、タク。唯一の近衛たる貴方の意思なら、私は口を挟めない」

「違う。職分としての話じゃあない。個人的な意見を聞きたいんだ」

「チク……タ、ク」


 時計の針の音が、乱れている。


「チ、ク、タク。貴方と至高天たるトモエ様がこの空中庭園にその姿を表した時、我らを歓喜、そう呼ぶべき感情の渦が支配した……私にそのような機能はないが」


 時計の針の音は元に戻ろうとしているが、それはチクタクマンの感情の動きを反映しているようにしか、アヤトには見えなかった。


「人間の、不完全な感情というものになぞらえて言うのならば、そう……寂しい、というのが近いように、思う……チク、タク」

「……そうか」


 で、あるならば。アヤトは嘆息と共に諦念を口にした。


「可逆な、つまり行き来可能な帰還方法を探さなければ元の世界に帰ることはできないようだ」

「それは、チク、タク……主の為にならないのでは、ないか」

「そう思う。だが実際問題として、同意なしで帰還する方法が現状ないとなれば、あの方を説得するのは不可能だ。あの方はやりたいようにやる。その点だけを取ってみても、往復可能な手段が必須だ」


 加えて、チクタクマンの意思。

 トモエとアヤトが元の世界に帰還し、二度とこうして彼らの前に姿を――現実のように――表さないとなったら寂しいと、感情の希薄な彼は言った。それはきっと他の管理者達も、否、戦闘能力のないアンデルセンやクリスティーナ達も同様なのだろう。


 そしてそれらに関わらず、主の同意なしでの帰還が現状では不可能であるという事実もある。

 ならばそれを、生きた人間と変わらない意思と自我を持ち合わせる彼らの感情を、欠片も斟酌せずにいられるほどにアヤトは冷酷でも冷血でもなかった。


 主のことが最優先である。その上で、それと並び立つのであれば、彼ら主人を同じくする同士達を慮って行動方針を決めることには躊躇の必要性がない。


「ミスタ・アヤト……チク、タク……貴方は帰りたくないのか、至高の世界へ」

「トモエ様が居なければ、どんな世界も塵芥だよ」


 それは偽らざる本心だった。

 普段なら口にしないものの、同士を前にして、ついこぼした本音。


「チク、タク……理解。そして貴方に感謝と敬意を、至高天のただ一人の近衛よ」

「ああ、こちらこそ感謝するよ。協力してくれてありがとう……これからも手伝ってくれるか?」

「喜んで。などと機械神である私が言うのは奇妙だが……チク、タク、チク、タク」


 二人は固い握手を交わし、今後の情報収集方針の打ち合わせなどをすませてから別れた。



■□■□



「――まあ、なにかしら、これは」


 トモエは奇妙な心地を味わっていた。

 このダアトに転移した時の僅かなそれを除いては、生まれて以来ついぞ記憶に無い――高揚感。


 今、ベッドの上に座している彼女の目の前には、リアルタイムに映像を流し続けるウィンドウが浮かんでいた。

 チクタクマンのジャミングを抜くのには手間取ったが、手間を掛けるかいのあるものが見れた。


「アヤトにしては、面白い事をしているじゃない」


 そう、あの男にしては稀なことだ。自分を楽しみな心地にさせるとは。

 

 ――トモエ様が居なければ、どんな世界も塵芥だよ。


 その一言を皮切りに、この不思議な気持ちが湧いてきたことに、彼女自身は気づけない。

 自分と人との関係は、即ち支配する事とされる事。もちろん自分は常に支配する側であった西園寺巴にはまったくもって人の感情に関する機微が――否、それはありすぎるほどにあったが――自らのそれに関してのみ甚だしく不理解だった。


 故に、生まれたのは著しい錯誤。

 やっぱりあの男は、両親の復讐を企てているに違いない。だから私が居ないと困るのだ。

 ああ、復讐するとしたらそれはどんな形で? ただ殺すだけならとっくにしているだろう。だからそうではない。きっと死ぬより何千何万倍も、西園寺巴が苦しむような方法を考えているに違いないのだ。


 そして、そのためには二人が住まう現実の世界でなくてはいけない。このダアトではいけないのだ。


「何を、考えているのかしら」


 ああ、なんてこと。


 わからない。


 あの男の行動が、読めない。何を考えているのかわからない。久々の出来事だった。

 はて、以前はどんな時だったかしら。そうそう、丁度あの男の両親を自殺に追い込んだと教えてやった時のことだ。

 実に意外で、だけど期待はずれな事を言ってくれたが――それは勘違いだった、彼のことを見なおさねばならないかもしれない。

 

「期待を裏切らないようにね。でないと――捨ててしまうわよ?」


 くすくすと。

 上品に、だがこの上なく堕落した者の笑い声が、寝室にいつまでも響き渡った。


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