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「まあ! 皆さんも、この世界をダアトと呼んでいるのですね」
「ええ、奇妙な一致ですね」
仮に名づけたそれが、元々の住人たちの呼び方と一致するというのは、さて偶然と片付けて良いものか。
そう沸き起こった思考を、今は無意味と放り捨てて、トモエは偽りの微笑を――彼女自身もそうだとは気づいてすらいないそれを――浮かべたまま会話を続けた。
裏側の空虚さに目をつぶれば、この会談はトモエのみならず、アヤトの視点からも大変に有意義なものだと言えた。
現在、迷彩を始めとした防衛システムがシャットダウン中の空中庭園、その真下に領土を持つカノッサ王国が議会を通さねばいくつかの重大事を決定できない王国、つまり制限君主制の国家であること。
この世界に魔法はもとより、特殊技能や先天的才能といったセフィロト内のゲーム用語も、ほぼ同様の意味を持った概念として存在していること、などが判明したのだ。
力量、アイテム、職能、バッドステータス、などなど……思いつく限りの用語をひとつひとつ確かめるような事はさすがにしなかったが、多くの言葉がこの世界の人間に対して通じるというのは良い発見だった。
あるいは、とアヤトは今自分たちがこの世界の住民たちと何気なく会話をしている事実に目を向ける。
彼と主人は日本語を話しているつもりであるが、向こうはどうか。トモエと会話するイザベル達の口元に目を向けると、喋っている内容と口の動きが明らかに一致していなかった。
この事実から分かるのは、何らかの力が働いて彼我の間で自動翻訳が行われているということだ。
ニューロリンカーにインストールできるアプリのようなタイムラグも無く。それは一体どんな力なのかと問うて見たい気もしたが、主の手前もあってアヤトは口をつぐんだままトモエの後ろに控え、思考を巡らせていた。
「チキュウ、というのはそれは素晴らしい場所なのでしょうね。貴方方のような人々が暮らしているのですから」
「さあ、どうでしょう。皆さんの世界も等しく素晴らしいとわたくしは思いますわ」
トモエが欠片もそう思っていないことを彼にだけ分かる感覚で捉えながら、思考だけが回る。
確か、セフィロトの世界観設定として、10のワールドは全てひとつの世界の一地方であり、それぞれの地方に住まう異種族達の(主にプレイヤー間の、だが)会話を問題なく行えるようにしている十大天使結界という代物だった。
その『設定』が活きているとすれば、現状を上手く説明できる気がした。
もちろん、証拠がない現状では当て推量以上のものにはならないのだが、ゲーム用語が通じると感じているのも言うなれば十大天使結界の『翻訳』の結果なのではないか?
少なくとも、翻訳が働いていることは間違いないのだから、ひとまずはそう捉えておいて良さそうだった。
何はともあれ、ゲーム用語も含めた言葉が当たり前に通じるというのはどう考えてもプラス要素だろう。
今後の情報収集を始めとした活動が一気にやりやすくなったな、とアヤトは考えた。
「生産に伴う毒物による公害も深刻ですし、自然災害も多いのですが、ダアトではどのような災害がありますの?」
「そうですね……地のマナが暴走する地震や水のマナによる洪水など、マナの乱れを原因としたものが多いですが、他には天使の襲来などもあります」
会話は続く。トモエがどれほどの情報を得るつもりなのか、あるいはそれ以外にも狙いがあるのか、アヤトにもそれは読みきれなかったが、一つだけ確かなことがある。
「天使の襲来、というのは?」
トモエはイザベル達の、もっと言えばこの世界の住民の都合など、欠片も斟酌してはいないということだ。
「地に降り立った天使は、人を殺すのです」
ただ、自分の都合だけを考えている。
それが彼女の在るべき姿で、生まれた時から周囲がそのように彼女を形作ったのだった。
「海を隔てた遥か北方にある合衆国が天使を送り込んできていると見られていますが、その思惑は不明です。常時戦争状態にある、とカノッサのみならず他の国家の多くも認識していますが……民にとっては災害でしかありません」
恍惚とした瞳でトモエを見上げ、そう語る声は聞く者に屈辱の匂いを微かに嗅ぎ取らせた。
おそらく、天使による殺戮を、国軍はほとんど止められないのだろう。
唐突に雲の上から降り立つ、人よりも強大な力を持つ天使の群れ。どこに降り立つかもその時になってみるまで分からないとあっては、防衛も後手に回るしかあるまい。
「なんて痛ましいのでしょう。自然災害のように突発的に襲う戦災、という事ですね」
天使、というとセフィロトにおいては幅広いレベル帯を持つエネミーでありつつ、召喚魔法で自らの戦力にできる他、キャラメイク時にも選択可能な異形種族である。
どの程度のレベル帯が出現するのか、参考までに知っておきたいとアヤトは考えたが、この場で割り込んで訊くのは躊躇われた。
まあ、トモエ様が必要ならば尋ねるだろうし、そうでなければ出しゃばってまで知りたい情報でもない。と、アヤトは沈黙を選択した。
会話は運河のように流れ、トモエの満足という岸に達するまで続いていった。
■□■□
伝導体の弾丸が二本のレール電極に挟み込まれる。
電流が流し込まれたレールは電気回路を形成し、伝導投射体は電磁誘導によって加速され超音速で撃ち出された。
彼方の標的であった鋼鉄の塔が、爆音を立てて崩れ去る。
「な、なんという兵器だ……」
天馬騎士団の副長がごくりと喉をならしながら呟いた。
イザベルは言葉もなかった。こんな兵器を搭載した機械兵が、視界には数百体と広がっているのだから。
黒鉄の人形達は、物言わぬ口を鋼鉄のマスクに隠し、バイザーの奥から黄色い光を放って整列している。
「誤解の無いよう申し上げておきますけれど」
何日でも何年でも、命令を待ち続ける彼らを腕を振ることで示して、トモエは涼やかな口調で言い添えた。
「彼らはあくまで防衛用の戦力です。この空中庭園を害する者と、演習用の標的以外には決して、あの電磁加速砲が向けられることはありません」
仮に他の相手に攻撃を仕掛けたい場合、もっと適任な別の戦力が担当する――とは、いくら〈傾城香〉が効いていてもトモエは言わなかった。
〈傾城香〉はあくまで敵意を抱かせないだけだ。
記憶を消去したりはできないし、一度かければ効果が永続するというわけでもない。
必要のないことは教えないのが吉である。
もっとも、ある程度の情報を与えてやらねばまた来られてしまうだろう。故に、バルベロー空中庭園についていくらかの事は教えてやる事にしたのだ。
見せてもらえた戦力がこれこれであり、まだ見ぬ戦力もあると見られ、行動目的はどれそれである――などと彼女たちが国元に報告できるように。少々の嘘も交えたが基本的には真実をトモエは教えた。
つまり、何故この世界にきてしまったかは不明であり、困惑しているということ。この世界の人々と敵対の意思は(今のところは)ないということなどを、だ。
「……率直に言って、凄まじい兵器であり戦力です。本当に、これを用いる気はないのですか?」
「ええ。少なくとも今のところは」
「カノッサ王国ならば歓迎し、皆さんの今後の後ろ盾にもなることと思いますが」
「ありがたいお誘いですけれど、興味がありません」
「そうですか……残念ですね」
トモエへの敵対的な思考を抑えつけられたイザベル達は、空中庭園の主の言葉を疑わない。
それができるようになるのは、カノッサへと帰還して〈傾城香〉の範囲外に出た時だ。
また、その時には彼女たちは得るべき最低限の情報は得ており、また空中庭園の戦力を目にもしている。
再びやって来ることがあるとしても、相当に戦力を整えてからだろう。
「とはいえ、領空侵犯を続けてしまうのも本意ではありません。空中庭園はどこかへ姿を隠すことにします」
「この島は、移動できるのですか?」
「ええ。ですから突然この島が消えたとしてもご心配なく」
「わかりました。そうしていただけると当方としてもありがたい」
そして、再びカノッサが偵察か、あるいはより敵対的な意図で部隊を派遣してきたとしても、その時には以前を超える視覚防御と防空体制が敷かれたこの空中庭園を発見すらできないだろう。
カノッサ王国の〈魔法使い〉達が空中庭園を発見したのは、リベル達がセキュリティをシャットダウンした後のことだと、既にイザベル達の口から確認済みだ。
イザベルを含め、カノッサ王国が戦力的にどれほどのものを抱えているか、それはアヤトには分からない。
ただ、再び迷彩を施された空中庭園を発見する事ができないというのはほぼ確かであり、そのことから安全が担保されたと判断して良いだろう。
「他にお知りになりたいことはありまして? 色々と教えていただいたお礼に、答えられることは全てお答えしますわ」
「そうですね……」
そう前置きを口にしたものの、続く言葉をイザベルは持っていないのだった。
巧妙に操作されてはいるが、知るべき情報は既に得られているのだから。
空中庭園の正体――見たまま、現実に空に浮かぶ島だった。
脅威度の確認――戦力的には極めて危険。ただし敵対の意図は見受けられないため、総合的には低いか。
目的の推察――〈傾城香〉が効いていなくとも、言葉で聞いた以上の情報は得られないとイザベルも判断しただろう。
「どうやら、知るべきことは知り終えたようです。後はあなた方がカノッサに敵対しないと信じて祈るのみでしょうね」
「ええ、わたくしもそう願いますわ」
そう言ったトモエの笑顔の裏に限りない謀略の糸が張り巡らされていようとは、アヤトを除いては誰にもわからないことであった。