11
影に成り代わり主人の後をついて歩く内、アヤトは己の胸中を若干の不安が満たしていくのを感じていた。
「トモエ様。あのような危険な真似は謹んで頂きたい。99レベルの使用人たちを敵に回すおつもりですか?」
初めから99レベルで生み出されたNPCである為にユニークスキルこそ持っていないものの、レベルの上では自分たちと同格の存在を相手に、その心を試すような真似をわざわざそれと分かるようなやり方でトモエはやったのだ。
その理由は――反発する者が居たら面白い。その程度であろう。
「あら。何故わたくしが、お前の指図を受ける必要があるのかしら」
くすくすと忍び笑いを漏らす彼女は全てを誤魔化されそうなほどに魅力的だったが、だからこそアヤトは誤魔化されなかった。進言のひとつもせずにいることが、必ずしも主人のためにはならないからだ。
現状では、アヤトの他にそれが出来る人間は居ない。ゲーム外においても、それは変わらないのだが。
「御身の安全の為です」
「そんなものは、お前が確保していれば済むことでしょう」
その通りだが、そういう問題ではない。
危険に自ら飛び込む人間を守ろうとするのは非常に難しい。
しかし、そんな事を主人は百も承知で言っているのだ。
「自分から危険に飛び込まれたら守れない、とは言わないわよね? それでもなんとかするのがお前の仕事です。わたくしのしたい事を、従者の都合で制限されるのは御免よ」
「……仰るとおりです」
これだから敵わない。
少なくとも口では一生彼女には勝てないだろうなとアヤトは暗澹たる気持ちに沈んだ。
こんな性格の主人が、多くの情報収集系スキルを所持しているという事実もそんな気持ちに拍車をかける。
自分よりレベルが上のキャラクターの居場所を知る魔法、それと同系統で自分以下のレベルの者を探す魔法、そういったスキルを彼女は持っているし、おそらくは既に使った後の筈なのだ。
アヤトに仕事を言いつけ一人になった、30分の間に。もっと情報系技能をとっておくべきだったかと少々後悔する。
「だから、ねえアヤト、お前はわたくしを守れますね?」
100レベル以上の存在が、もしこの世界に居たとしたら。
トモエは喜んで会いに行くかもしれない。そいつと進んで敵対する可能性だって十分にありえる。
セフィロトの中ではカンストレベルであっても、このダアトにおいては大した戦士ではないという事だって無いとは言い切れない。
または、他のプレイヤーが居た場合も危険だ。メンテ時間までログインを続けていたのが二人だけということはさすがにないだろう。それだけがダアトへ転移した条件とも限らないが、いずれにせよ他にもこうして送り込まれた人間は居ると見ておくべきだ。
そして、アヤトとトモエは課金額を除けばゲーマーとしてはヌルい方であり、いわゆるガチ勢と出くわし敵対した場合、戦闘面で大きく遅れを取る可能性は高い。
「――誓って」
それでも、彼は言った。
「何が相手でも?」
「いかなる者でも」
御身は必ず守ります。
いかなる者が相手でも、いかなる災厄が襲おうと、そこに貴女が自ら飛び込もうとも。
そう、アヤトは誓う。
「そう、それで良いのです。その程度の事もできないのなら、お前の価値は犬にも劣ると知りなさい」
「肝に命じて」
そうだ、確かにそれすらできないのなら己の存在に価値はない。
彼がそう考えるのは、過去の出来事を抜きにしても自然なことだ。
この世で最も大事な人すら守れないのなら、生まれてきた意味など無いに等しい――男なら誰しもそう考えるだろうと、アヤトは信じているからだ。
「ふふ、それじゃあまずは待ちましょう」
「待つとは、一体何を?」
「機会の訪れを、耳を澄ませて。布石はもう打ってあるのよ」
■□■□
蒼穹を切り裂いて一対の翼をはためかせ上昇してゆく天馬の一群があった。
軽鎧に身を包んだ騎手達は皆、戦士の顔身体つきをしており、扱いの難しい天馬を自らの手足のごとく駆っていた。
分けても、先頭を行く鷹のように鋭い目つきの女騎士は、若々しい覇気に満ちていながら、馬上の体捌きからは歴戦の風格すら滲ませている。
「しかし、団長。雲の上を島が飛んでるなんて……本当ですかね?」
「さあな。はるか昔の伝説で空飛ぶ島というのは聞き覚えがあるが」
天馬の手綱を繰りながらそう答えた女団長――イザベル・クロス・マルヴィンは、しかし自分自身、眉に唾でも付けたい気分だった。
「宮廷魔導師が言うんだ、少なくともただの勘違いや見間違いという事はなかろう」
あるとしたら、例えば彼らが遠見の魔法を使った際に幻覚系の魔法を受けたような場合だろうか。
その場合でも、カノッサ王国の領空に何かある、というのはやはり間違いなくなる。
空に浮かぶ島は無くとも、合衆国の天使や帝国のドラゴンライダーが息を潜めており、情報系魔法に対する幻覚魔法のカウンターによって迷彩を施しているというなら、まんざらあり得ない話でもなかった。
「こうした領空の守備と視察も、我々の任務だ。本当にただの見間違いであることを祈りながらやるしかないさ、副長」
「それは、そうですが……」
部下が煮え切らない気持ちを抱えるのは無理からぬと、イザベルも思っていた。
この程度の未確定情報であれば、斥候として天馬騎士団の内数名を派遣すれば済む話である。
団長及び副長を含めた12名規模の隊で視察せよとは、大仰に過ぎる。
「団長に斥候任務をやらせようなんてのは、平民派の連中の発想でしょう?」
イザベルはカノッサ王国の名門マルヴィン家の長女であり、歳若いながらも武官の貴族としては急先鋒である。
一方、宮廷文官の多くが所属する王国議会は平民の議席数がやや優勢。
そして、そうした平民議員の多くは――武官の中にも無論そうした考えは根強いが――貴族をその特権的地位から、隙あらば追い落とそうと目を光らせているのだった。
たとえば、危険が待ち構えていそうな場所へ、貴族派の代表的な人物を送り込むといった形でだ。
「そうかもしれないが、しかし正式な命令だ。建前であっても、その目的が正当なものである以上、軍人が拒めるものではないさ」
領空侵犯に対しては確固たる態度で臨まねばならない。
だからこそ、王国でも最強の戦力であるイザベルを送り込む――というのは一理ある。
その裏に潜んでいる本音は別にして、建前にほんの一理でもあるならば、軍人である彼女らに上層部の決定には唯々諾々と従う他ないのだ。
イザベルは胸鎧板に刻まれた文字を撫で付ける事で〈人馬一体〉の魔法を起動させた。
一定の高度になると、人間の体は空のマナの地上との濃度差によって様々な変調を起こしてしまう。それを防ぐため自らが騎乗する天馬と同等の耐性を、鎧に刻まれた魔法文字によって獲得したのだった。
当然ながら、これは天馬騎士団全員の標準装備であり、副長以下全ての部下たちもほぼ同時に〈人馬一体〉を起動し、団長に送れまいとさらなる上昇を、馬の脇腹に拍車をかけ天馬騎士に独特の角度で手綱を引く事によって命じた。
雲にぶつかるのを避けながら通りぬけ、空を切る猛烈な圧力を魔法の守りの上から感じながら突き進む。
やがて、最も低い層を漂う雲を完全に抜けた一行は、驚くべきものを目にする。
「そんな、まさか……私は幻でも見ているのか?」
雲間を漂う島。
宮廷魔導師たちの報告通りのものが、遠方にあった。それがこの場合、最も驚くべき事だった。
距離はかなりのものがあったが、それでも島とわかったのは、その常識はずれの大きさ故だろう。
「幻覚魔法か何かの方が、この場合マシですな。確かに、自分の目にも島が見えます」
副長以下、全員が同じものを見ている。見間違いでないことだけは確かなようだった。
一同は、誰からともなく息を呑んだ。どれほどの距離があるのか、目測では測りかねる。だが、そんな距離からでも全容を見渡せないほど巨大かつ広大な、まさしく島がそこにはあるのだった。
「総員、最大限警戒せよ。速度を出し過ぎるな、天馬を休ませるんだ」
「はっ!」
天を駆けようとも、地を駆ける馬と同じように疲労はする。自らの力で天を行くのだからその消耗の激しさは推して知るべしだろう。カノッサ王国天馬騎士団は、大陸にその名も轟く最強のペガサスライダー達であり、団員のみならず天馬達の練度と持久力も随一と言われるが、生物として限界というものはある。
「これより我らはあの島に接近し、任を果たす。何が起こるかわからないが、敵対存在を発見した場合ただちに撤退、帰還する事を念頭に置け!」
「了解であります、団長」
この場合、最悪の事態というのをどの程度の脅威度に置けばよいものか、イザベルも考えあぐねた。
あれが幻覚系魔法などでなく、見たままの存在であった場合、空を飛ぶ島というのは例えば――帝国のドラゴンライダー1個小隊と比して、どの程度危険なのだろうか?
答は出なかったが……王国臣民として、領空の守護を担う天馬騎士団の長として、成すべきことを成さねばならないという想いは揺らがなかった。
意を決して、彼女たちはどれほど遠いのか、あるいは近いのか、そして王国にとって災いとなるか吉となるか、全てが不明瞭な島を目指し天空を飛翔した。