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バレンタイン編

 今日はバレンタインである。

 去年までなら義理の一つでも貰えたらいいなーと思っていた。

 そうすればひとまず北川には勝てたからだ。

 しかし、今年は難しい。

 英陵は俺以外全員女子なので、もしかすると一つくらいは貰えるかもしれないという淡い期待はある。

 でも、相手がお嬢様だからなぁ。

 小早川や相羽くらいはくれないかな、くれたらいいなと思っているんだけど……。

 そんな風に思いながら朝食をもしゃもしゃやっていると、制服姿の妹がやってきて、赤い包装紙でラッピングされた細長い箱を差し出してきた。


「ほい。一年間お疲れ様」


「ありがとう」


 左手で受け取ると、千香は少しムッとした表情になる。


「何よ、せっかくあげたんだからちょっとくらい喜びなさいよね」


「喜んでいるよ」


 これは嘘ではない。

 千香がいる限り、北川には負けないからである。

 奴は肉親にすら見放されているので、毎年戦果はゼロだ。

 そのくせ、「今年こそは貰う!」と意気込む生き物なのである。

 今年はどうなんだろうな?


「んー、ツンデレさんなのかな?」


 妹は俺のほっぺをツンツンしてくる。

 これはからかっている時の表情だな。

 ちゃんと口の中のものを飲み込んだタイミングでやってきたことからも分かる。

 怒っている時は容赦なく咀嚼中にぶん殴ってくるからな。


「そうです。ホワイトデーのお返しはあまり期待するなよ」


「うん。実の兄の甲斐性くらい知っているから、全く期待していませんことよ」


 千香は軽やかに憎まれ口を叩きながら、朝食を摂り始める。

 相変わらずと言うか、勝者の風格だった。

 まあこれは千香に限らず、女という生き物の特徴かもしれない。

 恵みを求める生き物がいる限り、与える側の女は絶対的に優位なのだから。


「それにしてもお兄ちゃん、今年はちょっと楽しみだね? 三つか四つくらいはいけるんじゃない?」


 言うまでもなくバレンタインチョコのことだろう。


「いや、どうだろうな」


 表面上こう切り返すのは、期待しすぎると外れた時が辛いからだ。

 妹は瞬きを二度ほどすると、何かを察したのか「ああ」と一人うなずく。


「お金持ちのお嬢様たちの中に、そういう風習があるのか怪しいよね」


 うん、それが一番引っかかっているんだよな。

 バレンタインってあくまでも庶民のイベントなのでは……という危惧がある。

 それさえクリアしていれば貰えると思うのは自信過剰のように見えるかもしれないけど、まずくれるだろうと確信出来るくらいいい子が揃っているのは事実だ。

 さすがに三つや四つは多すぎるだろうけど、一つくらいは……あわよくば二つくらいか。

 などと考えながら学校に向かう。


 道中、ちらちらと視線を感じた。

 これは一体なんだろう?

 普段も視線を感じることはあるけど、さすがにこんな頻度ではない。

 もしかするとバレンタインということと何か関係があるのか?

 答えは教室に入ってから判明する。

 いつものようにあいさつをして、机にすると既に来ていた小早川が寄ってきた。

 近くの子があいさつしてきたりするのは珍しくないが、遠い席の小早川がわざわざ来るのは滅多にない。

 ひょっとしてと思っていたらあいさつが終わるや否や、さっと白い紙袋が差し出される。


「赤松君、これはバレンタインデーのチョコレートよ。クラス一同から」


 クラス一同?

 ぎょっとしたがとりあえず受け取っておこう。


「どうもありがとう」


 ちらりと中を見ると、水色の上品そうな包装紙に包まれた、大きい四角の箱が見える。

 さてと問題はこれをどうするかだな。

 冬なら溶ける心配はいらないと思った人は甘い。

 英陵は冷暖房完備だからこの季節はばっちり暖かくて、教室でも廊下でも半袖で過ごせるくらいなのだ。

 俺の心情を察知したのか、小早川は微笑みかけて


「大丈夫よ。保冷機能つきの箱に入っているから、一日暖房がきいた部屋に置いたままでも大丈夫。それに防臭機能もついているものだから、教室に置いたままでも平気よ」


 と言ってくる。


「そ、そうなのか」


 とてもあっさり言われたけど、何やらとんでもない事を言われた気がするんだが。

 たかがチョコレートを入れる容器に、恐ろしいハイスペックなギミックが使われていないか?

 いやでもまあ、お嬢様たちばかりだし、クラス全員分で割ると大した金額にはならないのかも……そう思いたいだけなのは否定しない。


「ありがとう。家でゆっくり食べるよ」


 俺はもう一度礼を言って、ひとまず鞄と一緒にかけておく。

 計算されたようにスムーズに収納できた点について、もう何も考えないことにした。

 小早川は立ち去る前に


「お返しに関しては気にしないでね。人数分は大変だろうから」


 と言い残した。

 でも、そういうわけにはいかないよなぁ。

 クラスの女子全体にお返しになりそうなこと……これは妹様の知恵を借りるしかない。

 この時俺はこんなことを考えていたわけだが、ほどなくして世間を甘く見ていたことを知る。

 より正確に言えば英陵というところはだろうか。

 休み時間になると百合子さんが俺を訪ねてきたのだ。

 片手を背中に隠しながらもじもじしていた時点で、ピンときてしまう。


「あの、これはわたくしのクラス一同からです」


「クラス一同……?」


 俺は思わず聞き返していた。

 百合子さん個人からは予想できたのだが、さすがにクラス全体からは意外すぎる。

 この反応をどう思ったのか、可憐な美少女は何やら悔しそうな表情をした。


「は、はい。わたくしとしては個々でお渡しするべきだと思ったのですが、赤松様が大変だろうから皆で一つにしようと……ご迷惑でしたか?」


「いや、嬉しいよ。ありがとう」


 百合子さんみたいな美少女に手渡しされるというのは嬉しい。

 そもそもお嬢様たちにチョコを貰えて迷惑なんてあるはずがなかった。

 またしてもクラス全体だからだったということで、ちょっと驚いただけである。

 接点がない子の方がずっと多いんだから。

 受け取ると同時に百合子さんの顔が嬉しそうに華やぐ。

 価値百万ドルの笑顔があると言うならば、まさにこれがそうだろうと断言できそうな素晴らしい笑顔。

 それが強張ってしまったのは数秒後だった。

 何故なら、紫子さんと季理子さんがそれぞれ箱を片手に、仲良くやってきたからである。

 へえ、百合子さんってたくさんチョコを貰えるんだな、なんて言ったら苦笑されてしまいそうな分かりやすさで、二人は俺の方を見ていた。


「お姉様」


 困惑や緊張がまざった声を出した妹にそっと微笑みかけた後、紫子さんはこちらを見る。

 季理子さんに至ってはさりげなく百合子さんを無視したよ、おい。


「もうお分かりかと思うけれど」


 そう言って二人は箱を差し出してくる。


「クラス全体からね」


「こちらもそうです」


 何とまたしてもクラス全体からかよ。

 いくら何でもおかしくない?

 エイプリルフールは四月であって、二月じゃないよ。

 二ヶ月ほど間違えていませんか。

 よっぽどこう言いたかったが、さすがに言えなかった。

 ひとまず礼を言って受け取り、教室内に戻る。

 すると再び小早川がやってきた。


「やっぱりね。私たちが用意した紙袋を使って」


 やっぱり……?

 何かさらりと恐ろしいことを言われた気がしたけど、大人しく従った。

 白い紙袋に入れてみると、見事に入ってしまう。

 まさかこれを見越しての紙袋?

 どこか満足そうな同級生たちの顔を見て、頭が下がる想いだった。

 この休み時間はこれですんだけど、次の休み時間になるとちょっとした騒ぎが起こる。

 どうしてかと言うと、前生徒会長の姫小路先輩を筆頭に、新旧役員の皆がやってきたからだ。


「やっほー」


 なんて能天気なあいさつをしてきたのは、言うまでもなさそうだが内田先輩である。


「それぞれのクラスを代表して持ってきたの」


 水倉先輩はそう言って優しく微笑む。


「もしかして、全部クラス全体ですか……?」


 恐る恐るたずねると、先輩たち全員が苦笑した。


「やはりそういうことになってしまっているね」


 姫小路先輩と高遠先輩はちょっと複雑そうな顔になる。


「生徒会でさ、赤松君にチョコレートを渡す際は集団で一つって通達しておいて正解でしたね」


 内田先輩が晴れやかな顔でネタ晴らしともとれる発言をした。

 ああ、そういうことだったのか。

 と、ちょっと待て。

 だからと言って、数が多くない?


「とりあえず受け取っていただけるかしら?」


 なんて考えていたら、高遠先輩からクールな一言が。

 しかもよく見たら、クールな顔にどこか不安そうな色が浮かんでいる。

 クールな美人の代名詞とも言える高遠先輩にそんな顔をされたら、とても拒否なんてできません。

 もちろん、全員分ありがたく受け取った。


「あ、あの、お返しをする際、お知恵を借りたいと思うのですが」


 これほどの人数となると、千香の知恵を借りてもどうにもならんと思う。

 かくなる上は恥を忍んでお嬢様がたに訊いた方が早いのではないか。

 そう考えて言うと、先輩たちは優しい目を向けてきた。


「その話はおいおいやりましょう。今は受け取って、味わってね?」


「まだ来る可能性は忘れない方がいいわよ」


 励ましているのか、からかっているのか、よく分からないことを言いつつ先輩たちは去っていった。

 ……この後、結局全クラス分を受け取ることになり、保存場所がないと泣きそうになる。

 そこで思いついたのが、「冷蔵庫に入れなくても、暖房がきいた部屋に置きっぱなしでも数日はもつ」ハイパースペックのことだ。

 さりげなく聞いてみたところ、全てのチョコレートの容器に使われているらしい。

 えっと金持ちの間ではそういうギミックが普及しているんだろうか?

 いくら何でも、俺の為だけに用意されたなんて考えすぎだよな。

 自意識過剰なことがちらっと脳をかすめたので反省する。

 家に帰ると先に戻っていた千香が出迎えてくれた。


「おおー、持って帰ってきたね。どれどれ」


 本来ならば勝手に見るなと怒るべきなのかもしれない。

 しかし、今の俺は衝撃を一刻も早く共有したかったので咎めなかった。


「ひーふーみー……今年は大量だね、お兄ちゃん」


 妹は何とも形容しがたい顔になっている。

 からかおうという雰囲気はどこかに吹っ飛んでいたけど、これは無理もあるまい。


「これは食べるのが大変だよね、頑張ってね」


「いや、ちょっとは手伝ってくれよ」


 ダース単位で数えなきゃいけない量、一人で消化するのはきついよ。

 でも、千香は首を横に振る。


「ダメだよ、頑張って食べるのがくれた人への礼儀だよ」


「そうだけど……お前、面白がっているだろう?」


「あ、ばれた?」


 妹は舌を出した。

 可愛らしいがさすがに実の兄はごまかされない。

 こちらが何か言うより先に素早く口を開く。


「それより保存場所をどうするの? この数、うちの冷蔵庫じゃ入らないよ」


「ああ、それなんだけどな……」


 ハイパーギミックのことを説明したら、千香は目を丸くしていた。


「すごいスケールだね」


 うん、他に言いようがないわな。

 とりあえず、数日は冷蔵庫に入れなくても平気だから、そのうちに何とか減らそう。

 部屋に戻って携帯をチェックすると、北川から戦果をたずねるメールが来ていたので、ありのままを教える。

 一分後、「見栄を張りすぎだ」という返事が来ていたので、紙袋の中身を携帯のカメラで撮影して、メールで送ってやった。

 三十秒後「ファッ!?」なんて反応が返ってきたので、満足して携帯を机の上に置く。

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