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第三幕 4

第三幕 4


 格好を整え、それまでは殆どの人に『さん』付け、丁寧語で話していた口調をタメ口に切り替えた俺へ、次なる試練が降ってきた。

 それは、国王としての技能だ。

 王たるもの、哲学から帝王学、経済学に政治学、処世術に、果ては人を落とし込むジゴロ力まで、とにかくあらゆる能力が必要らしい。

 だが、三週間しか時間がない俺にそれらを学ぶ猶予などなく、この世界の常識を詰め込むだけで精一杯だった。

 知識を吸収していく過程で新たに判明したことだが、どうやら俺はこの世界の文字――ガイア言語が読めるらしい。英語の筆記体のような文字を、たどたどしいながらも読むことができたのだ。その言語能力はイザベルさん曰く「五歳児レベルじゃの」とのこと。まあ、五歳までこの世界にいたらしいのでそれは納得だ。

 徐々に単語の種類を覚え、間違いはあるものの、最低限の文章なら読めるようになった俺へ、アレク、イザベル、エスターの三人が交代で家庭教師をしてくれた。ちなみに、ライライは俺に抱きつこうとしたり、カードゲームで遊んだり、ボードゲームに誘ってきたりと邪魔ばかりしてくれた。

「――リセイ様、なにかいてるの?」

 遊びに飽きたのか、ライライが横からひょっこり顔を出してきた。

 後ろで一緒にパピエ・マヒアをしていたドミニカとイザベルも机に寄ってくる。

「……」

 俺は無言で椅子を引いて、入れ替わるようにカードとおはじきの散らばるベッド脇まで下がった。

「……勝手に部屋に入ってくることについては、この際とやかく言わない」

 アレクから部屋の鍵をもらったその晩、彼女たちは合鍵を使って寝ている俺の部屋に忍び込んできやがったのだ。夜も覚めるような大騒ぎのあと、急いで鍵を別のものに変えてもらい、内側からかんぬきを差せるようにし、さあこれで一安心と思ったのも束の間、ラインハルト姉妹が、今度は鍵をかけていた窓をぶち破って侵入したのである。さすがにこれはイザベルの雷が落ち、アレクとエスターからも控えめに注意をされ、二人は塩をかけられた山菜のようにしょぼくれた。

 泣きじゃくりながら謝るライライに釣られてアレクも泣き出すというカオスな状況の中、ドミニカが扉越しにだが城の主であるオリネラさんに謝った。その後もしばらく、ライライはしゃっくり上げていたのだが、そのとき彼女が放った一言に、ついに俺は白旗を上げた。

「ごめんなさい。でも、リセイさまと少しでもながくいっしょにいたかったの……!」

 ……こいつ、絶対またやるな……。

 以降、修復された部屋の扉は施錠されることなく、俺の部屋は誰でも入室オーケーになってしまったのだ。

 ……王様のプライバシー丸裸すぎね?

「けど、用もないのに俺の部屋で遊ぶのは止めてくれないか? というか、子供はもう寝る時間だぞ?」

 時計がないため明確な時間は分からないが夕飯から三、四時間は経っている。たぶん、夜の十一時とかそこらへんだろう。ちなみに、この世界の時間は地球に近い、一日二十二時間制で、五十五分で一時間、五十五秒で一分となっている。とはいえ、混乱するから自分で考える分には、使い慣れた一秒一分、六十分一時間制を使っているが。それは何も時間の単位だけでなく、数や言語もそうだった。

「リセイさまー。これ、なんてかいてあるの?」

「人の話を聞きなさい」

「……リセイ様の、世界の言葉……?」

「らしいのう。授業中にこうしてメモをしておるのを見かける」

 妃候補たちのスキル『都合の悪いことは耳に入らない』が発動。

 俺の退避勧告はものの見事にスルーされた。これが男なら、腕をひっつかんで部屋の外に放り出していただろうが、女が相手となればそうもいかない。こういうときばかりは、自分の女嫌いが心底恨めしかった――ん? 女嫌いじゃなかったら、そもそも女を追い出す必要がないのか。

「そうだよ……。何の変哲もないただの日本語だ」

 俺はガイア語を読めるが書けない。そのため、学んだことはすべて日本語でノートにまとめていた。誰かに解読される心配もないため、その日起きたことなんかもまとめていたりする。

「へんなのー。色んな形があるー」

 漢字とひらがな、カタカナをなぞりながら、小さい唇をむぅと突き出す。

「……難しそう」

 いえいえ、俺の今の立場ほど複雑じゃありませんよ。

「ねえ、これよんでー」

「読んでも楽しいことなんてないぞ。いいから、さっさと自分の部屋に帰りなさい」

 唯一可能な口での抵抗を毅然と行ってみたが、効果はなかった。

「いや! 読んでくれるまで帰らない!」とライライは俺のノートを両手で掲げ、「今日こそは寝所を共にするのじゃ。妾がそなたの部屋で寝るか、そなたが妾の部屋で寝るか。二つに一つじゃ」とイザベルは舌なめずりでもしそうな笑みを浮かべて指を二本立てる。

「いいでしょー?」

「さあ、どうするのじゃ?」

 二人して一歩詰め寄って来た。

 思わず、俺も一歩後ろへ下がる。カードや駒を蹴散らしてしまったが、そんなことに構っていられる余裕はなかった。

「あ、あいにくだが、そんな日は永遠に来ない。ほら、ドミニカ、ライライを連れ帰って寝てください」

 ライライの弱点は姉のドミニカだ。どんなわがままも、彼女が少ない言葉で静かにたしなめれば大人しく諦める。しかし、妹に比べれば素直なはずのドミニカは、迷うように視線を反らしただけで動かなかった。

 この間にもイザベルとライライは一歩、また一歩と足を進めて来る。

「リセイさまぁ」

 ライライが熱っぽい表情でさらに一歩踏み込んで来た。潤んだ瞳がなぞるように俺を見つめ、鈴を転がすような声音で甘やかに名を呼ぶ。

「――うだぁぁああっ!」

 我慢の限界だった。

 不快感から、本物のトリ顔負けの鳥肌が全身に立ち、気分が悪くなってくる。まるで、体内に侵入した不快感が胃の中で踊っているかのようだ。

「リセイ殿?」

「ワヒィッ!」

 唐突に、顔を覗き込まれて勢いよく仰け反った。

「ぅあ」

 ふくらはぎがベッドと衝突。ぽふん、という柔らかな音をたてて俺はベッドに仰向けに転がった。

「わーい!」

「……!」

 左にライライがダイブ、右側にはドミニカが飛び込んできた。反動で、ベッドがトランポリンのように弾む。

 セミダブルのベッドは三人で寝ころぶとさすがに窮屈で、いつ女に当たってしまうのかと気が気でなかった。身動きの取れない俺はムンクの叫びみたいに顔を引き攣らせ、「よし、君たちがここで寝なさい! 俺は廊下で寝る!!」とヤケクソ気味に叫んで、弾みをつけて起き上がろうとする。

「そんなつれないことを言わずに、そなたも一緒に寝ようではないか」

 トン、と顔の横に手を付かれた。イザベルの顔越しに、天井に描かれた幾何学模様が見える。

「少女マンガみたいな展開だな! ただ、男女の立ち位置が激しく逆だけど!?」

「何もせぬから安心せい。ただ、一緒に並んで寝るだけじゃ」

 間近で、色も肉付きも薄い唇が艶然と動く。星の散らばるサファイアブルーの瞳に、情けなく眉を寄せる男が閉じ込められていた。

 ああ、畜生! なんで俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ! 王様代行だからか!? ロレンツォと同じ魂を持っているからか!?

「――なぁ、どうして君たちは、そんなに俺に固執するんだ? 俺が本気で王様になる気がない以上、君たちが王女になることもないんだぞ?」

「……違う」

「そんなのどうでもいいもーん」

「妾たちは別段、王女という地位に興味はないのじゃ。妾たちがそなたに固執する理由は前にも言うたじゃろう。リセイ殿、そなたを好いておるからじゃ」

「好いて……って、出会ってまだ十日しか経ってないのにか?」

 この十日間、俺が彼女たちへ特別なことをした覚えはない。だいだい、彼女たちは最初からこの調子だ。イザベルさんだけはずっと昔に会ったことがあるようだが、それだって俺が五つのときだ。だいたい、少し笑わせてもらったから好きになったなんて、どこのマンガのヒロインだよ。ありえねぇだろ。

「あのね、ライライたちはロレンツォ様から話を聞いて、それでリセイ様のことが好きになったの」

 お見合い制度もビックリの間接さだ。話しただけで好きになるとか、どんなドラマチックな話し方をしたんだろう?

「――けどさ、それはつまり、俺がロレンツォに似ているからじゃないのか?」

「!」

 禁断の質問に、その場が静まりかえった。俺の上に覆いかぶさっていたイザベルが顔を強張らせ、それを見られまいと立ち上がる。すかさず俺はベッドから起き上がり、今度はドアの近くまで後退した。

 ひとまずピンチからは脱したが、それを素直に喜べない、妙な緊張感が糸のように張りつめている。

「あー、何というか……悪かった。今のはなかったことにしてくれ」

 それが言ってはいけないことだと、何となく分かっていた。

 俺から切り出さなければこの城の者たちは誰一人としてロレンツォのことを口にしないし、最近では俺をまともに見る者は少ない。だから、ずっと気になってはいたが口にしないようにしていた。

 ――俺には関係ないことだと思っていたのもある。

「――違うもん!」

「そうではない!」

「違う……!」

 ドミニカまでもが声を荒らげて、疑惑を否定した。だが、それが嘘だと、言った本人たちの緊張に張り詰めた表情が告白しているように見える。

 現に、ライライは俺の姿を見て泣き出したし、城の住人ほどではないが、アレクや彼女たちもまた、俺を見ると、ためらいのような、もの悲しい表情の片鱗を浮かべるときがあるのだ。

「……そうか」

 ……彼女たちは俺を見て、俺の中にあるロレンツォの面影を愛でていただけだ。

「馬鹿なことを訊いたな」

 本当に、無意味な質問だった。彼女たちの本心がどうであれ、俺の行動は変わらない。俺はただ、拒絶して、否定するだけ。

 ……誰とも、愛を交わそうなどと思わないのだから――。

「――リセイさま、あのね、はなしが――」

「今日はもう遅い。話はまた明日しよう。さあ、もう自分たちの部屋に戻って眠りなさい」

 強引にライライの言葉を遮って退室を促す。今度は三人とも抵抗せず、大人しく部屋から出て行った。

 誰もいなくなった部屋を沈黙が占める。

「――なぜ、傷ついている?」

 静寂独特の、耳鳴りのような無音を呟きで遮る。疲労と脱力感から、ベッドに倒れこんだ。

 ここでは、誰も俺を――京極利惺を見てくれる者はいない。

 それに気づくのが……事実を目の前に突きつけられるのが嫌で、考えないようにしていたのに、全部自分でぶち壊した。

「……なにやってんだろ……俺……」

 この晩、初めて俺は、元の世界を思い出して泣いた。


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