第八幕 4
第八幕 4
翌日、テュルクワーズの王族の礼装をして、俺は衆目の前を歩いていた。
大通りの左右にはロープが張られ、その向こうでは国民たちが一分の隙もないほどぎゅうぎゅうに詰めかけている。大通りに軒を連ねる屋台も、このときばかりは営業を一時停止して屋主たちも興味部下深そうにこちらを見ていた。
だが、彼らの熱い視線を集めているのは俺ではなく、少し後ろを歩くイザベル――光影の言霊術でうさぎの立体映像を作り、自分に被せている――だ。
なぜ、王の後ろをうさぎの着ぐるみが歩いているのか? 幻術だとしてもなぜ、そのような姿をしているのか? 彼らの熱い視線はそう語っていた。
そのイザベルの横には唯一の護衛としてエステルが付き従っているが、彼女も同様に、イザベルの言霊術によって別人の顔をしていた。さらにその後ろにはオスクロ国の兵士十数名が続くのだが、自国の兵士を一人しか連れていないばかりか、うさぎの着ぐるみと歩くことになって、戸惑いを顕にした奇妙な無表情をしている。
異様な雰囲気の中、俺たちはパレードを終えてウィリアム国王の待つ王城前広場に辿り着いた。
「ロレンツォ王、これは何の冗談のつもりですかな」
表面上はそれなりに和やかだが、ウィリアム国王の鋼色の瞳は冷ややかに俺たちを見ていた。
広場の中央、対談用に設置された豪華な机や椅子、陽を遮るためのドーム状の屋根までもが、自分たちはこんなに歓迎しているというのに、そちらはふざけているのか、と声高に主張している。
「いえ、大真面目ですよ」
握手をしようと手を差し出しながらそう言い切る。隣では同じように、うさぎの着ぐるみ姿をしたイザベルが、王の側近ハップ・チャンドラーに右手を差し出していた。
パンッパンッ!!
乾いた音が二発鳴り響いたのはその直後だった。チャンドラーのよく発達した頬袋が、思っていたより派手な音を出したのだ。
うさぎの着ぐるみにビンタされて、チャンドラーは声もなく呆然としている。
そんな雰囲気ではないというのに、俺は思わず笑いそうになった。チャンドラーの丸い頬に、徐々にイザベルの張り手の赤い跡が浮いてくるものだから、とうとう堪えきれずに「ぷっ」と吹き出してしまう。
「――なっ何をするっ!?」
ようやく現実を認識したチャンドラーが、白豚のような顔を紅潮させて唾を飛ばした。
「これくらいですんだことを感謝して欲しいくらいじゃ」
辛辣に吐き捨てるイザベルこと、うさぎの着ぐるみ。それへ向けてチャンドラーが短い指を突き付けた。
「こ、ここここやつを――」
「お待ちください!」
白い髭を蓄えた男――シャムロフ大臣が血相を変えて広場へ駆け込んだのはそのときだった。
「陛下、急いで対談を中止してください! 今朝方、ネストール・ベルゲンを始めとした貴族たちが殺害されているのが見つかりました。目撃者の証言から、犯人はロレンツォ・デ・パブロ国王に間違いありません! 他にも行方不明の者が多数おりまして、現在捜索しております!」
言い終わると同時に、町民と兵士の間を抜けた大臣が広場の中央に飛び出る。そこで初めて大臣は俺たちに気づいたというように目を瞠った。
「動くな!」
牽制と同時に、近場にいた一人の兵士が槍を突き付けてきた。他の兵たちはウィリアム国王とチャンドラーを手引きして広場から退かせている。
突然の出来事に町民たちはざわめいているが、俺たちが兵士の包囲網内にいるのを見てか、逃げ出す者は少なかった。
「どうやら、和平を望んでいたのは我々だけのようだ」
兵士の向こうからシャムロフ大臣が声を張り上げる。
「どのような意図があって、このようなことをされたのかは分かりませんが、あなた方を拘束します」
シャムロフ大臣が兵たちに拘束を命じる寸前、新たな勢力が広場に乱入した。
「その者はロレンツォ様などではありません!!」
俺たちが来た大通りとは別の小道から、アレクとテュルクワーズの兵士たちが息を切らせて突入してくる。
「偽物です!」
矢のような糾弾が大衆のみならず、俺たちに槍や剣を突き付ける兵たちをも動揺させた。
「おのれ不届き者め! 今、正体を暴いてやる!」
「影の真実!」
「しまった!」
テュルクワーズの兵士が放った言霊術に、俺は顔を両手で覆ってうろたえて見せる。
幻を解くその言霊術が、イザベルをうさぎの着ぐるみ姿から人の姿へと戻し、ロレンツォの顔の幻を被っていた俺も本来の姿を晒す――そう大衆は思ったことだろう。
しかし、実際にはこの瞬間に、イザベルが光影の言霊術を発動させて俺の顔をまったく別人のそれへと変え、自身もどこにでもいそうで実在しない少女の姿へと変貌していた。
テュルクワーズの兵士が放った、幻を解く言霊術のエフェクトもただの幻だ。
闇と光の発散のあと、そこに現れた三人の姿に民衆の間をどよめきが走った。
「顔が違うぞ!」
「どういうこと!? あの人は隣国の王様じゃないの!?」
「だが、王様が人を殺したっていうのはどういうことだ……!?」
不安に襲われる民衆に、アレクは追い打ちをかけるがごとく声を発した。
「あいつです! あいつが、ロレンツォ様を殺害し、国王に成りすましていたのです!」
「ちっ、バレてしまっては仕方ない。その通り、俺がテュルクワーズのロレンツォ国王を殺し、やつの力を手に入れた男だ! 本当はウィリアム国王も殺すつもりだったが、今日のところは見逃してやろう!」
声高にそう告げた瞬間、閃光が迸り、俺を注視していた兵士たちと民衆が苦鳴を上げて顔を両手で覆った。イザベルの発した閃光の言霊術に目を眩まされたのだ。
「――リセイ様、今の内です」
最初に槍を突き付けたオスクロの兵士が俺たちの手を引いた。彼はシャムロフ大臣と同じ非開戦派の協力者で、両目を閉じて難を逃れたのだ。
「やつらが逃げたぞ! 南の方角だ!」
その兵士が嘘の怒鳴り声を上げると、同じく協力者の兵士たちがわざとらしく「こっちに逃げたぞ!」「いや、こっちだ!」と四方に分かれて、居もしない逃亡者を追っていく。
混乱した上に視力の不明瞭な大衆が、騎手のいない馬のように混乱して逃げ惑う中、非開戦派の兵たちの手を借りてこっそりと広場を抜け出す。ちなみに、人ごみに紛れたとき、イザベルが再度光影の言霊術を使って、俺たち三人の姿をオスクロ国民へと変えてくれていた。
……ほんっと、大根芝居をして逃げるのに光影の言霊術は最適だな。場所がオスクロでなければ、これほど上手くいかなかっただろう。
「三人で逃げれば怪しまれる」
人のいない裏通りに駆け込むと、一度そこで息を整える。
「予定通り、ここから国境のボンダの町までは二手に別れて行くぞ。三日後に、そこで落ち合おう」
「リセイ殿、どうか御無事で」
「必ず、また会いましょう」
イザベル、エステルと視線を交えて頷き合うと、二人は北の方角へ駆けて行った。その先に、シャムロフ大臣の用意してくれた馬がいる。
「我々も行きましょう」
俺は街の西から出て、南へ大きく迂回をしてボンダへ向かう手はずとなっていた。
「ああ……だが、目的地は変更する。ボンダじゃなくて、南の国境沿いの街リーボを目指す」
「ボンダでお二人と再会するのではないのですか!?」
「彼女たちは国に帰るさ。……そして俺は、晴れて自由の身ってわけだ。時間がないんだろ? 行くぞ!」
背中で兵士の反論と疑問を遮って、俺は自由へ向けて駆け出した。