第八幕 3
第八幕 3
宿へ帰り、夕食と風呂を済ませたあと、俺たちは宿屋で一番大きい部屋に全員集まって、明日についての打ち合わせと再確認を行った。会議にはオスクロ国の非開戦派であり、協力者の代表代理を務めるシャムロフ大臣やネストールたちも同席し、開戦派が目論んでいることなどを報告してくれた。
「イザベル、ちょっといいか」
有意義な会議を終えて各人が次々と退室していく中、俺はイザベルを呼び止めた。
「明日のことについて、話がある」
扉を閉め、完全に二人きりとなった部屋で向かい合う。
「……――イザベルはまだ、この国が、憎いか……?」
しまった。なんと切り出したらいいものか、迷いながら言ったせいで肝心の主語が抜けた。本当は、両親や親戚を排斥したやつらが憎いのか、そう訊ねようと思っていたのに。
しかし、イザベルは俺の言いたいことを察してくれたらしく、彼女はゆっくりと長息を吐いた。
「――じゃから、妾が案内役を買って出たとき反対しなかったのじゃな」
「……テュルクワーズを発つ前から……イザベルにあの話を聞いたときから、考えてた。イザベルの心の一部が、過去の出来事と憎悪に囚われているなら、何かしらの形で決着をつけるべきなのかもしれない……。
こんなの、俺なんかが言うことじゃないし、余計な世話だって分かってるけど……――それでも、今回のこの旅で何かしてやれるんじゃないかと悩んでたんだ……」
イザベルは黙って続きを促した。それが、俺には辛かった。例えばライライのように「なんで? どうして?」と質問してくれれば俺はそれに答えるだけで済むし、ヴィリオーネなら自分から進んで話してくれるだろう。ところがこういう場面において、イザベルは殆ど口出ししない。俺が質問と回答を一人でやらなければならないのだ。
深窓の姫君のごとき面には、内心を伺えるような色は出ていない。五人の妃候補たちの中でも最も思慮深いのは間違いなくイザベルだろう。物事をあらゆる面から捉えられる彼女は、殆どの事柄に対して理性的に、そしてときには損得勘定を交えて判断を下す。
口では色々言いつつも、俺の女嫌いに一番気を遣ってくれたのはイザベルだ。一度も強引なことはせず、一線を越えない限りは、ライバルであるはずの妃候補たちに牽制もしない。それどころか今日、エステルにしてあげたように後押しをすることさえ多々あるのだ。
「そんなときに同行をお願いされて、正直ほっとした。悩む猶予ができたし、オスクロ国でのイザベルの様子を見れば、少しは答えを出しやすくなるだろうと思ったんだ」
「――それで、リセイ殿の答えは?」
息つく暇もなく発言を催促される。
「……結論から言おう。君の家族を貶めたハップ・チャンドラー卿に直接、制裁を下したいと思うか? ……ただ――制裁と言っても、ビンタ一発が精々になるだろうけど……」
馬鹿馬鹿しく愚かな提案だった。家族を殺された怒りを、ビンタ一発で治めてくれと言っているのだ。怒られたり、詰られたりしても仕方ない。
――だがそれでも、何もしないで内に憎悪を抱えたままでいるよりはマシだと……何かをしなければ、どんなに忘れようと努めてもできないことだけは、俺も知っていた。
俺の場合とは程度が違いすぎて比べることすらおこがましいかもしれないが、俺は一生あいつらを許さないだろう……。たとえやつらが地面に額を擦り付けて許しを請うても、鼻で笑ってやるさ。
俺ですらこうなのだから、彼女の怒りは計り知れない。こんなことでその怒りが鎮まるはずもないし、忘れようと努めていた過去を、果たして眼前に突きつけてもいいものだろうか?
……それが、俺がこの旅の間中、抱き続けていた葛藤だった。
「――ふっ」
「!?」
唐突にイザベルが吹き出した。あまりの怒りにおかしくなってしまったのだろうか?
「フククク……! ほんに、ロレンツォ殿に似ているようで大違いじゃな、そなたは」
イザベルは間違いなく笑っていた。肩を震わせ、両手で口を覆って必死に笑いを堪えようとしている。
戸惑う俺が意味もなく両手を上下させているうちに、イザベルは笑いすぎて滲んだ目を拭った。
「昔、ロレンツォ殿も妾に同じことを訊いてきた。もっともあやつの場合は数段過激なものじゃったがな。あやつ、言うに事欠いて、国王とハップ・チャンドラー卿を殺してやろうかと、そう言いおったのじゃ。――そして、妾はその提案を断った。くだらん、と一蹴してやったわ! そんなことをすれば、戦争を終結させようとしてきたことが全て無駄になるし、妾にとっては一利にもならぬからな……」
一言では言い表せられない不思議な微笑をすると、「じゃが――」とイザベルは星の瞬く夜空のような瞳で俺を見た。
「ビンタくらいなら……――それに、妾を共犯に選んでくれたということじゃろう?」
デートの誘いを受けたように、嬉しそうに笑うイザベルへ、俺も泣き笑いで頷いた。