表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/27

第五幕 2

第五幕 2


その日は、久々に父さんと二人で出かけた日だった。

 真夏の太陽がここぞとばかりに灼熱の光を日本列島に投射し、おかげで外はサウナかよ、という熱気に満ちていた八月の盆。

 高校三年生になった俺は進級と同時に近場の学習塾に入塾し、平日は学校、休日は塾という学生生活を送っており、休日が不規則な父さんとは前にもまして休みが重ならなくなった。そんなわけで、三年生進級以来、初ともいえる親子水入らずで過ごす休日だったのだ。

 さすがに高校の最高学年にもなれば目に見えてウキウキするわけもなく、それでも胸の内では父さんとの外出を喜んでいた。

 男二人で向かう場所は、候補こそ色々上がったものの、結局昔から行っている隣県の水族館ということになった。水族館の領地内には海岸があり、夏のメイン行事ともいえる海水浴もできるため海で泳ぐこともできる。

 久々の水泳にその気になっているのは俺より、むしろ父さんのほうであった。

「こう見えても父さんはな、昔から泳ぐのが得意なんだよ」

 準備で忙しい朝の一幕、父親はくいっと眼鏡を押し上げて言った。

「そうは見えないけどな。それより、水着とゴーグルは見つかったのか?」

 フライパンの卵焼きをひっくり返しながら俺が言う。自分の分の準備は昨夜のうちに済ませており、弁当の準備も、あとはこの卵焼きを切って並べ、持って行くおむすびを握るだけであった。

「それが見つからないんだよ。どこいったかなぁ~?」

 それから、俺がおむすびを握り終えて簡易な朝ごはんの支度を終えた頃、ようやく父親は自分の準備を終えた。といっても、とっぽい父親が準備すべき物は自分の海パンとゴーグルだけだったが。

 そして太陽が一日の活動に本腰を入れ始めた時分、俺たち京極家は意気揚々と山間を抜ける旧国道を走っていた。お盆初日ということもあり、混雑が予想されるだろう高速道路は避けて下の道を通ることにしたのだ。予想通り旧国道を走っていた車は少なく、カーナビに映る矢印も順調に上へ向けて滑っている。

母方は元より、父さんの方も親戚とは疎遠であるため、俺たちにはお盆に参るべき墓がない。クラスメイトたちは親戚で集まったりするといっていたが、そんなに大勢で集まってお墓参りをしてどうするのか。お墓に眠る始祖の霊たちも一度に大勢で来られるよりも、少人数で日にちをずらしてくれた方が嬉しいと思うのだが。

「――まさか……っ!」

 隣の運転席から歯を食いしばった呻き声が聞えたのは、俺がいつものようにどうでもいいことを考えていたときだった。

「どうかし、うわっ!」

 唐突に車体が右に大きく振れ、車の右側面からガードレールに突っ込んだ。そこで止まってくれたら良かったのだが、安全運転第一の父さんが規定速度を守っていたにも拘らず、山奥の経年劣化したガードレールは車体の重さを支えきれずに呆気なくひん曲がり、横転した車がその上を乗り越えてしまった。

 俺が、我ながら驚くほどの冷静さを発揮して事態を把握できたのもここまでだった。恐らく斜面を転がり落ちたのだろう。上下左右に振り回され、方向感覚がしこたま狂い、目どころか脳みそまで回っているような感覚に襲われて吐きそうになったとき、ようやく車は運転席を下にして横向きに止まった。半規管が狂った以外に外傷がないのは、ひとえに衝撃を感知して作動したエアバックと身体を固定するシートベルトのおかげだろう。

「……無事か?」

 血の臭いと、油の臭いが鼻についた。

「父さん!?」

 首を捩って運転席を見る。助手席と違い、運転席はひどい有様だった。

 ガードレールと衝突した扉は内側に歪み、割れたガラスが運転席に散乱している。いくらかは身体に刺さっているらしく、父さんのTシャツには血が滲んでいた。

「いま助ける!」

 慌ててシートベルトから抜け出し、父さんの腕を掴む。

「無理だ……」

 弱々しく、父さんは頭を振った。

「お前じゃ僕を引き上げられない。それに、足が扉と座席に挟まった。どうにも自力じゃ抜け出せそうにない」

 回転したときに打ったのか、父さんは苦しそうに胸を抑えていた。脂汗を浮かべる顔はひどく蒼ざめている。

「とにかく、お前は逃げて助けを呼んでくれ」

 それが最善であることくらい、分かっていた。

「――でも」

 父さんの土気色の顔と、どこかからするガソリンの臭いが俺の足を捕まえる。目を離したら、二度と会えない嫌な予感がしたのだ。

「僕を救いたいなら逃げろっ!」

 それが、俺が聞いた父さんの最期の言葉だった。

 泣きながら車から這い出し、斜面を登って道路に出た頃、まばらな木立を赤と黄の閃光が染め抜いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ